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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · プロイセン王国およびヴァルデック侯国

ローホフの銃は装填されたままであった

1867年から1868年にかけ、密猟者ヘルマン・クロスターマンに二名の森林官を重傷たらしめた嫌疑がかけられた。オルペ谷における追撃劇は靴職人ローホフの死をもって幕を閉じる。パーダーボルン重罪裁判所の陪審は、殺人未遂ならびに歩兵シュトラックに対する襲撃の容疑を退けたものの、フォン・ヴレーデおよびハイネマン両名に対する重傷致死傷罪を認定した。後年の『ピタヴァル』誌の法廷記録は、懲役八年の判決が下された事実を伝えている。

森の奥処は、すでに暮色に包まれていた。首席森林官フォン・ヴレーデは、前方を行く逃亡者の人影を認めた。誰何の声を発する森林官に対し、実録集『ピタヴァル』が伝えるところによれば、返ってきたのは威嚇の言葉であった。近づくな、さもなくば撃つ、と。フォン・ヴレーデは馬を進めた。一発の銃声が轟き、騎夫は愛馬もろともどうと地に倒れ伏した。狙撃者は木立の闇へと消え去り、負傷した森林官は相手の面輪を確かめることすら叶わなかった。

1867年10月1日の夕刻、深手を負った官吏はハルデハウゼンへと運び込まれた。ローデンより駆けつけた医師バルーフが診察したところ、左脚には円形で深く、血の噴き出す傷口が七、八箇所も穿たれていた。傷口からは潰れた鉛弾が摘出された。散弾の広がり具合から見て至近距離からの発砲であり、骨にまで達していると医師は結論づけた。フォン・ヴレーデは数箇月後に職務へ復帰できるまでに回復したものの、医師の所見は重傷と断じられた。一方の捜査の手は、追うべき容疑者の名すら掴めずにいた。

警察と司法当局は懸命の探索を重ねた。ミンデン県庁は、犯人の割り出しに繋がる有力情報に対し二百ターラーの報奨金を懸けた。だが、何らの手応えも得られなかった。狙撃者は森の地形を官憲よりも熟知した密猟者であった。事件が新たな局面を迎えるのは、それから四箇月を経た1868年2月1日の邂逅を待たねばならない。

その日、ヴァルデック侯国の森林官ハイネマンは巡回区域を見回っていた。遥かに響いた二発の銃声から密猟者の気配を察知した彼は、木こりのアウグストならびにカールのベネケ兄弟を呼び寄せ、オルペ川に架かる小橋の畔に身を潜めた。やがて木立の合間から、仕留めたノロジカを肩に担いだ男が姿を現した。『ピタヴァル』はその名を、ハイネマンにとっても旧知の男、ヘルマン・クロスターマンと記している。森林官が歩み出た。男は数歩の間合いまで引きつけるや、銃を構えて引き金を引いた。

弾丸は左腕を貫通して胸部へと至り、肺を傷つけた。バルーフ医師の記録によれば、肩には大きく裂けた傷口があり、弾道には紙片と羊毛の残滓が残り、鎖骨の下には皮膚をかすめた散弾の痕が認められた。ハイネマンは三箇月のあいだ病床に臥すことを余儀なくされた。一命は取り留めたものの、公判で朗読された医師の診断書は、腕の自由が利かず、胸部に重い後遺症が残った無惨な容態を伝えている。だが今度は、目撃者がその姿を捉えていた。容疑者には確固たる名があった。

手配書の配布は、やがて大がかりな山狩りへと発展した。ミンデン県とヴァルデック侯国は多額の懸賞金を提示した。クロスターマンが潜伏先に用いていたヴェストハイムには軍隊が進駐し、憲兵と森林官が山野を隈なく捜索した。しかし、徒らに数週が過ぎ去った。追跡隊は解体された鹿の痕跡を見出し、時には銃声を耳撃ちしながらも、影を捕捉することはできなかった。『ピタヴァル』の筆致は、神出鬼没の逃亡者像を色濃く描き出している。変装の妙、窓からの脱出、消石灰の穴に身を隠した逸話などが語られるが、これらは実録文学特有の挿話として捉えるべきであり、公式の調書に裏付けられた情景と同一視することは慎まねばならない。

5月24日の未明、兵士、憲兵、森林官からなる十三名の追跡隊がオルペ谷に布陣した。密猟者らが森へ帰還する退路を封鎖せんとしたのである。やがて武装した二人の男が現れた。気配を察するや逃亡を図った二人に対し、追跡隊は発砲したが弾は逸れた。逃走者らは身を翻し、歩兵シュトラックへ立ち向かった。一方が発砲し、シュトラックは応射して一人を撃ち倒した。被弾したのは靴職人のローホフであり、数時間後に息を引き取った。

横たわる遺体の傍らに、雷管を装填されたままの銃が残されていた。この記録は、裁判における決定的な証左を提示している。ローホフの銃が装填されたままであったという事実は、彼がシュトラックに向けて発砲していないこと、すなわちシュトラックの一撃が敵の射撃に対する応射であったことを物語っていた。最初に放たれた弾丸は雷管銃(パーカッションロック)から撃ち出されたものであり、シュトラックが所持していたのはドライゼのツンドナーデルゲヴェーア(撃針銃)であった。しかし、クロスターマン自身が発砲したのか否かについて、シュトラックは確証を持てずにいた。『ピタヴァル』の記述に従えば、この現場は疑う余地のなき目撃証言を欠いており、武器の残された状態と他者の状況証言が結びつくことで、辛うじて告発の論拠が成り立っていたのである。

クロスターマンはこの包囲網をもすり抜けた。捕縛されたのは6月13日から14日にかけての夜、森の空き地ではなく、ブリロンに工房を構える銃工ルッターの邸内においてであった。戸口を叩いて自らの素性を明かした彼を、ルッターは招き入れた。クロスターマンは珈琲を所望した。妻が官憲へ通報するため駆け出しているあいだ、銃工は言葉巧みに逃亡者を引き留めた。忍び寄った警官隊が屋内に突入し、寝台の端に腰掛けていた男は逃げ場を失い、捕縛された。電信によって逮捕の報は瞬く間に駆け巡り、彼はパーダーボルンへと護送された。

当年二十九歳。すでに密猟、脅迫、公務執行妨害、監視逃れなどで七度の前科を有していた。ブランデンブルクのレツィンに生まれ、若くして父の粉挽きを亡くしたのち、歩兵連隊に服役し、日雇い労働者として糊口を凌いでいた。記録者は彼を、卓越した射撃の名手、健脚の持ち主、獲物の捌き手として描写する一方、酒場で金前よく振る舞い、義賊の如く大衆に慕われた男としても描いている。だが、こうした1869年の記述に見られる伝奇的な色付けに惑わされてはならない。二名の男が重傷を負い、追跡の過程でもう一人が命を落とし、法廷が裁かんとしたのは公務中の官吏に対する明白な暴力であった。

予審は三つの事案に分割されて進められた。フォン・ヴレーデへの狙撃、ハイネマンに対する銃撃、そしてローホフが落命した銃撃戦である。当初、クロスターマンはすべての容疑を否認していた。10月1日は終日ヴェストハイムに滞在しており、森へ足を踏み入れたのはその後のことだと弁じた。その夜、彼が立ち寄ったフレックナー夫妻の家には時計がなく、彼が訪れたのは日が暮れて晩鐘が鳴った後であったと証言された。また別の村民は、森林官が撃たれたとの報をクロスターマン自身から耳にし、その際にフォン・ヴレーデは自分を疑っていないと語っていたことを記憶していた。人々の記憶に頼る時刻と発言の齟齬が、被害者の負傷時刻や森林と村落を繋ぐ道程と照合された。

検察側はローホフの未亡人の証言も提出した。彼女によれば、クロスターマンはフォン・ヴレーデとハイネマンの双方を撃ったと己に告白したという。バルーフ医師もまた、息を引き取る前のローホフから、二件の銃撃はすべて逃亡者によるものであり、本人の口からそう聞いたと証言された旨を語った。これに対しクロスターマンは、証人らは虚偽を述べていると反駁した。ローホフは以前己の銃を盗んだ男であり、銃工ルッターもまた密猟者らと通じていたではないか、と。『ピタヴァル』の記述はこれらの供述を辻褄の合うものとして提示しているが、当時の尋問調書の原本そのものが示されているわけではない。その説得力は、あくまで編纂者の筆を経て伝わっているに過ぎない。

ハイネマンの一件については、負傷した森林官自身とベネケ兄弟が出廷した。カールはクロスターマン本人であると確信を込めて証言し、アウグストは、あそこまで酷似した人間が他に存在しないならば彼に相違ない、と幾分かの留保を附した。被告人は否認した。樅の木の合間から腕と銃口が見えたため、身の危険を避けるべく先手を打って発砲したのだと主張した。だが証人らはこの言を否定した。人の丈ほどの木立は疎らに生えているに過ぎず、ハイネマンは二人の木こりのあいだに腰を下ろしており、次いでアウグストが歩み寄ったのである。彼らの目には、腕の下に銃を抱えていた森林官をクロスターマンが一方的に狙い撃ちしたと映り、発砲の構えをとる敵手に対する防戦などでは断じてなかった。

第三の事案は、より厳密な法理上の問いを投げかけた。クロスターマンは他の者とともに逃亡した事実こそ認めたものの、シュトラックへの発砲は断固として否認した。彼は死んだローホフこそが撃ち手であったと名指しした。だが、ローホフはすでに物言わぬ骸となっており、弾丸の装填されたままの彼の銃から弾が発射されたはずはなかった。鑑定人は、雷管銃の発射音とシュトラックの撃針銃の破裂音とは明確に区別しうる旨を陳述し、兵士もまた、逃亡者の一人が己よりも先に発砲したと証言していた。『ピタヴァル』は、これらの物証が死者への嫌疑を晴らしたとしながらも、果たして誰の指が引き金にかけられたのかという疑念を完全に払拭するには至らなかったと見做している。

公判は1868年11月12日、パーダーボルンにおいて開廷され、15日まで続いた。市街のみならずヴァルデックからも、森の「リナルド」を一目見ようと群衆が押し寄せた。記録は、法廷における彼の沈着な物腰と、新聞記者らに注ぐ鋭い視線を書き留めている。弁護人は、陪審員の中に複数の市長や地方行政官が含まれている事実を捉えて忌避を申し立てたが、裁判所は、無効の事由を厳格に制限するプロイセンの法規を盾にこれを斥けた。

審理の席において、クロスターマンはフォン・ヴレーデとハイネマンに対する致傷の事実を認めたものの、正当防衛の主張を崩さなかった。前官吏については相手が誰であるか判別できず、後官吏については木陰に隠れた武装した腕を狙ったに過ぎぬと強弁した。シュトラックへの発砲については終始関与を否定した。検察官は懲役二十年を求刑したのに対し、弁護側は、事件の一部がより刑の寛科なヴァルデック侯国の領内で発生した点に触れ、懲役三年を求めた。

陪審は、殺人未遂の諸点ならびにシュトラックに対する襲撃の事実についてはいずれも「否」と答申した。他方、フォン・ヴレーデおよびハイネマンが職務を執行するに際して振るわれた暴行と、両名に負わせた重傷については有罪の判断を下した。裁判所はプロイセンとヴァルデック双方の刑法規定を参酌し、重禁錮八年(Zuchthaus)の刑を言い渡した。検察の求刑たる二十年には及ばず、弁護側の求めた三年間をも上回る量刑であった。

かくして裁判は、訴追側が並べ立てたすべての告発事実を認めたわけではなかった。法廷は殺人未遂罪も兵士への襲撃も退け、二名の森林官に対する重傷致傷罪のみをもってクロスターマンを断罪した。『ピタヴァル』は逃亡者を一旦は伝説へと昇華させつつも、その伝説を最終的には八年の懲役という冷徹な現実に引き戻している。装填されたまま残された一丁の銃が死者の汚名を雪ぎ、証言の食い違いと逡巡の果てに、被告人は己の罪科の一端を認めざるを得なくなった。この事件の幕を引いたのは、英雄視された無法者の面影ではなく、陪審員らが証拠の有無を見極め、確証と疑惑のあいだに引いた峻厳なる一線であった。

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中篇小説(ノヴェラ)

合図灯の影なき証言

1903年、国境の鉄道駅にて、空の貨車が衝突する事故が発生した。駅務長は若いランプ番が二つの信号器を勝手に操作したと告発する。ランプ番は合図灯を移動させた事実は認めたものの、それは駅務長からの口頭指示に従ったまでだと主張し、一方の駅務長は何一つ命じてはいないと言い張る。一人の女性電信手が運転日誌を調べると、事故時刻の欄に異なる三つの筆跡で時間が上書きされているのを発見する。虚偽の自白によって事件が闇に葬られるのを防ぐため、彼女は鉄道員らの任地換えが行われる前に、列車運行の再現実況見分を行うよう判事を説得しなければならない。登場人物および事件はすべて創作である。手続き上の些細な記録の齟齬から過失の所在が覆されてゆく、緊迫した法廷捜査劇を読みたい方は、ぜひ本篇に清き一票を。

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長篇小説(ロマン)

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1951年、堤防の決壊により架空の工業地帯の地下室が悉く水没した。市の主任技師は堤の亀裂に関する事前報告書を握り潰したとして告発されるが、彼はその文書など机上に届いていなかったと頑なに主張する。水損した設計図面の修復を命じられた見習い製本職人の娘は、差し替えられた一枚の頁に日付が後から転写されていた痕跡を突き止める。被災した住民家族が損害賠償を叫び、市当局が工場の早期再開を急ぐ中、彼女は誰が書類の順序を改竄したのかを突き止めねばならない。争点はあらかじめ仕組まれた犯人探しではなく、警鐘が伝達される経路そのものの不備にあった。登場人物および経緯は創作である。古文書の復元作業と公権力の利権が激突する重厚な社会派法廷劇を望まれる読者に、本篇をお薦めする。

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大河三部作(トリロジー)

各々の眼に映りしもの

五十年の歳月を隔てた三つの時代を舞台に、司法解剖および鑑識写真を家業とする一族を描く創作三部作。1880年、一枚の不鮮明な湿板写真が、児童を轢いた無関係の辻馬車御者を犯人に仕立て上げてしまう。1930年、修正の手が加えられたガラス乾板が放火事件の真の発生時刻を隠蔽する。1980年、連続写真の解析が、重要証人の主張するアリバイの矛盾を暴き出す。各篇とも、世論が信じ込む「絶対の証拠」と、印画紙に残された物理的限界との相克を描き出し、主人公たちは徒弟修行の矜持、一族の写真館の存続、そして亡き母の名誉回復という個々の動機に突き動かされていく。登場人物および犯罪事象は完全な創作であり、クロスターマン事件とは関わりを持たない。視覚的証拠がいかにして三代にわたる人々の真実を照らし、また惑わせたのかを追う壮大な年代記に関心をお持ちの読者に、本書を推す。

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歴史的典拠と文学的再構成について

本章は、首席森林官フォン・ヴレーデが負傷した初発の事件を1867年10月1日、森林官ハイネマンの負傷を1868年2月1日とし、同年5月24日のオルペ谷での銃撃戦におけるローホフの死、ならびに6月13日から14日にかけての夜におけるクロスターマンの捕縛に至る経緯を辿っている。パーダーボルン重罪裁判所における陪審公判は1868年11月12日から15日にかけて開廷された。本稿の記述は実録集『ピタヴァル』に報告された判決主文に準拠している。すなわち、陪審は殺人未遂およびシュトラックへの襲撃については無罪と答申し、フォン・ヴレーデとハイネマンに対する重傷致傷罪を有罪と認め、裁判所は「Zuchthaus(重禁錮/懲役)」八年の刑を言い渡した。なお、当時の裁判所公文書原本や独立した同時代の他紙報道の直接検証は行っておらず、1869年刊行の『ピタヴァル』誌を唯一の典拠としているため、人物造形や法廷内の発言引用はすべて同書の記述に依拠している。参照資料:フラクトゥール体のOCR処理による同書356–386頁(通読済、ファクシミリとの逐字校合は未了)。原本たる印刷書籍はパブリックドメインに属するが、参照したデジタルファイルはGoogle/Archive.orgによる非商用利用規定の対象である。本稿は画像、OCR原文、長文の直接引用を含まず、歴史的事実の文芸的再構成にとどまる。デジタルファイルの利用可能性を無制約の再許諾と混同してはならない。

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