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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · フランス

タストゥスの青いズボン

タストゥスにて一家五名を手にかけた罪に問われたヨハネス・マノーの公判廷で、幼き息子は己が目にしたと称する光景を語った。隣人らの証言、血液鑑定の所見、犯行時刻をめぐる疑義が交錯するなか、陪審はすべての問責に「然り」と答えつつも情状酌量を認めた。かくしてマノーには無期徒刑の判決が下されたのである。

「この人は、おいらの父ちゃん、マノーだ」と、その子は答えた。

裁判長に促され、被告人の面前に立たされたのである。ジロンド県重罪院の法廷において、男児は己の目撃した次第を語らねばならなかった。そのわずか数歩先には、父と呼ぶべき男が佇んでいた。当時の記録に男児の正確な年齢は記されておらず、ただその応答のみが留められている。千八百七十三年三月中旬に行われたこの対質尋問は、タストゥスにおいてマノーの親族五名――舅、姑、妻、そして二人の幼子――が無惨に命を奪われたあの惨劇の夜を、陪審員らの脳裏にありありと呼び覚ますものであった。審理は大詰めを迎えつつあったが、検察側はなお、この幼子の記憶、押収された衣類、そして血痕の証拠を、厳格なる尋問の篩にかけねばならなかった。

現存する訴訟記録は公判の半ばから筆を起こしており、事件の発端から記されているわけではない。三月十日から十三日までの審理を報じた『裁判報知(ガゼット・デ・トリビュノー)』の既報を参照するよう指示されており、三月十四日、十五日、十六日の記録に含まれぬ捜査の経緯を、ここから詳らかにすることは叶わない。したがって、これらの紙葉が描き出すのは、告発と反駁、そして判決へと至る審理の最終盤の様相である。

ベルナール少年の証言は、ごくありふれた日常の情景から始まった。一つの部屋、衣服、行李、そして製粉機。少年が語るには、父親がズボンを手にして部屋へ入り、それを製粉機の傍らに、次いで行李の上に置いたのち、寝床にいた己の体を揺さぶったという。次いで父親は幼い弟をも揺さぶり、「マノー、寝ているのか」と声をかけた。母親が悲鳴を上げたと少年は言った。幼い妹たちのほかは、皆が声を限りに叫んだという。法廷の速記録は、これらの言葉を整然たる一夜の物語に仕立て直すことなく、法廷で証言された断片のままに留めている。

裁判長は少年に向かい、誰かに唆されて同じ言葉を繰り返しているのではないかと質した。少年は、カトリーヌ・ベイリスからも、村長からも、また遊び仲間からも、何も吹き込まれてはいないと答えた。マノーは、予審の段階で息子に直接尋問する権利を奪われたと異議を申し立てたものの、今となっては格別の意見もないと述べた。父の傍らに立たされた子供は、先刻と同じ答えを繰り返した。新聞の記すところによれば、マノーの顔には朱が差したものの、その佇まいは終始平静を保っていたという。かつて切り株を掘り起こすのに用いていた鶴嘴を示されると、少年は間違いなく見覚えのある農具であると認めた。

続いて弁護人が立ち、証人の記憶の信憑性を探るべく尋問を重ねた。なぜ夜半に起きたのかと問われ、少年は製粉機のそばにあった本を取るためであったと答えた。暗闇のなかで、いかにして周囲の様子を見分けることができたのか。それには、祖母の行李の上に置かれた蝋燭が部屋を照らしていたからだと応じた。裁判長が一枚の見取図を示すと、記者の筆によれば、少年は室内の調度を寸分の狂いもなく指し示したという。しかしその直後、絵入りの新聞でその部屋の挿絵を見たことがあると言い添えた。この一言は、少年の記憶の確かさを裏付ける証左とも、あるいは作為を疑うべき契機とも受け取られ、法廷に微妙な波紋を残した。この対質は一時間半近くに及び、傍聴席は息を呑むような緊張に包まれていたと記録されている。

もっとも、検察側の主張はこの少年の証言のみに依拠していたわけではない。続く記録が物語るそれまでの審理において、近隣の住民や知人、ならびにマノーの両親から打ち明け話を聞かされた者たちが次々と証言台に立っていた。少なからぬ証人が、姑が生前、娘婿の夜遊びや放蕩、借財、さらには脅迫めいた言動に絶えず頭を痛めていたと述べていた。ある婦人は姑が涙を流すのを見たと証言し、別の証人は、婿が帰宅するまでは恐ろしくて戸締まりもできなかったという姑の述懐を記憶していた。これらはいずれも伝聞の域を出ず、また又聞きの証言も混じっていたため、その証拠能力をめぐって法廷では激しい議論が交わされた。

マノーは脅迫の事実を断固として否定した。酒や居酒屋通い、博奕を好んだことは認めたものの、浴びせられた非難の数々は針小棒大であると抗弁した。ある証人に対しては、家族と縁を切るつもりではあったが、決して殺すつもりなど毛頭なかったと色をなして反駁した。その一方で、彼を借金まみれで酒場に入り浸り、預かった金銭の清算すら滞りがちであった人物と評する証人もいれば、かつては勤勉実直な雇い人や下男として働いていたと振り返る者もいた。描き出される人物像は一様ではなかった。法廷は客観的な事実のみならず、惨劇ののちに村人たちの胸に形づくられた心証をも聴取することとなったのである。

犯行の時刻をめぐっても、議論は平行線をたどった。四月十日の深夜、あるいは白み始めた早朝に悲鳴を聞いたと語る村人が複数いた。法医ラファルグは、被害者らの胃の消化状態から見て食後数時間が経過していると考えられたが、食事の内容次第では消化が早まることもあり得ると解説した。遺体の横たわっていた位置、衣服の乱れ、そして土間に転がっていた角灯の状況から、医師は夜明けに近い時間帯を推定していた。しかし検察側は、それよりも早い午後十一時前後の犯行とする見解も十分に成り立つと主張した。医師はいずれとも断定を下さず、提起された諸要素を鑑みれば、双方の仮説ともに矛盾なく説明し得る旨を述べるにとどまった。

次いで、押収された証拠品が鑑定人および陪審員らの前に提示された。角灯は掛け金のあたりが歪んでおり、マノーは元からそのような形跡はなく、また昔から農場にあった品だと主張した。鶴嘴、仕事着のブラウス、クラバット、そして問題の青いズボンが順に示された。また、灰の中から見つかった燃え残りの布片も提出された。これらの品々が持つ意味合いは一様ではない。検察側はそこに犯行と証拠隠滅の跡を読み取り、弁護側はいつそれらの鑑定が行われたのか、他に合理的な説明が成り立ち得ないのかと厳しく問い質した。

ラファルグ医師は、ブラウスの上に十五箇所ほどの人血の痕跡を認めたと述べた。そのうちの幾つかは、妻の遺体に触れたことで付着した可能性もあると指摘しつつ、板敷きに残された一痕は擦れたものではなく、明らかに飛散したものであるとの見立てを示した。化学者ロビノーもまた、鶴嘴、ブラウス、クラバット、鼻紙、ならびに壁面に人血が存在したことを報告した。しかし青いズボンに関しては、確かに複数の染みは認められるものの、それが人血であるとの確証は得られなかった。布地の傷みと痕跡の薄さが災いし、確たる結論を下すには至らなかったのである。マノーは、クラバットを身につけ始めたのは事件の数日前からにすぎず、それ以前は息子が用いていたのだと申し立てた。

このズボンをめぐっては、すでに証人らの間でも耳目が集まっていた。四月八日あるいは九日に、マノーが青いズボンを穿いているのを見たと複数の者が証言していた。法廷で示された現物をそれと認める者もいれば、同一の品であるか定かではないと口を濁す者もいた。マノーは自らのものとの同定に強く異を唱え、司法が衣服の件を持ち出して以降、証人たちが後知恵で記憶を都合よく作り上げたのだとなじった。ある証人は膝に継ぎ当てがあったと述べ、別の証人は汚れのない綺麗な仕立てであったと述懐した。この議論が持ち得る射程は極めて限られていた。その衣服が被告人の身にまとわれていた可能性を示すことはできても、記録された鑑定結果は、そこに残された染みが人血であることまでは証明していなかったのである。

三月十四日、法廷の内外は黒山の人だかりとなり、通信員の伝えるところでは二千人を超える群衆が裁判所の周囲を取り囲んでいたという。裁判長は、本件の審理を今宵のうちに結了する旨を言い渡した。証拠品の精査が続行され、マノーは医師団の所見に対峙させられた。彼は染みの正体、角灯の歪み、そして衣類の不審な点について逐一異議を申し立てた。弁護人は、ブラウスの血痕の一部は妻を抱きしめた際に付いたものではないかとの仮説を提起した。また弁護側は、ブッサンによる別の鑑定書を、ラファルグやロビノーの結論よりも被告人に有利なものとして援用したが、裁判の記録はその詳細を遺漏なく記してはいない。検察官は、鑑定人の見解が対立する場合にはパリから招聘された専門家の結論を採る旨を言明した。

午後三時、休廷が宣された。再開後、ド・ブレゼ弁護士が弁論に立ち、その熱弁は三時間におよんだ。裁判長による総括ののち、深夜十二時に陪審員らは評議室へと退廷した。一時間十五分後、彼らは再び姿を現した。すべての問責に対し、多数をもって「然り」との答申が下された。同時に陪審は、多数をもって情状酌量を認める旨をも答申した。これにより、ヨハネス・マノーには無期徒刑の宣告が下されたのである。

遺された公判記録のみをもって、あの惨劇の一夜の全容を確証の域にまで引き上げることは叶わない。そこに記されているのは、ひとりの幼子の証言であり、家族の不和をめぐる風聞であり、互いに一致を見ぬ鑑定結果であり、そして陪審が下した有罪の断決にほかならない。もっとも痛切なる情景は、父の前に立たされた男児の姿であり、もっとも物質的な謎は、付着した染みのすべてを同一の血液と断定し得ぬままに調べ上げられた青いズボンとブラウスであった。法廷において、陪審はその答えを選び取った。今日に伝わる記録は、裁判所が刑を言い渡したその瞬間をもって筆を擱いており、公判の全貌を明かすことも、法医ら自身が宙づりにした疑念の霧を晴らすこともないまま、静まり返っている。

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この実在事件の記録をお読みいただきありがとうございます。本事件をもとに3つの小説企画(中篇・長篇・三部作)を構想しています。あなたが最も読みたい作品にぜひご投票ください。

中篇小説(ノヴェラ)

風車の蝋燭

架空の寒村にて、裁判所に持ち込まれた角灯の反射光に、幼き少女は兄の面影を認めたと思い込む。裁判官が少女を再喚問するなか、近隣の者らは犯行時刻の矛盾を鳴らし、農場の番人は日没前に男の衣服を目撃したと証言する。調書の筆写を命じられた若い女性書記は、ふたりの証人が同一のランプを別々の器物と見誤っていた事実に気づく。本作は、子供のあやふやな記憶、夜の灯火、そして村落の因習が決定的な鍵を握る捜査を描く短編推理小説である。登場人物および事件はすべて創作による。

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長篇小説(ロマン)

窪道の証人たち

人里離れた農場で起きた一家惨殺事件を受け、元道路補修手の男が裁きの場に引き据えられる。男の幼き息子は人影と青い衣服について語るが、鑑定人らは犯行時刻についても血痕の正体についても意見を異にしていた。被告人の妹から懇願された新米の女性弁護士が調書を読み解くうち、人々の証言が巷の噂によって後から形づくられたものであることが露わになる。審理が幾日も続く中、問われるのは人間性の深奥である――罪人を指し示すよう求められたとき、子供は肉親に対して何を負うべきなのか。舞台、人物、事件はすべて架空の物語である。

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大河三部作(トリロジー)

三つの証拠品

数十年の歳月を隔てた三つの裁判を繋ぐ、長編歴史法廷三部作。小作農場から持ち去られた角灯、火災の跡から発見された行李の鍵、そして陪審の前に示された血染めの外套。地方裁判所の女性書記が各事件の記録を留め、やがてその手記は弁護士となった娘へと受け継がれてゆく。いずれの法廷においても、無言の物証は証人たち以上に雄弁であるかに見えながら、その検証は常に限界と誤認、相反する解釈を孕んでいた。三つの事件、登場人物、判決はすべて創作であり、法廷がいかにして物質的な痕跡をひとつの「物語」へと仕立て上げるかを描き出す。

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歴史的典拠と文学的再構成について

本篇は、千八百七十三年三月十四日、十五日、十六日付の法廷記録(第二百四十九〜二百五十頁、二百五十四〜二百五十五頁、第二百五十八頁)に掲載された続報のみを基に構成されている。これらは三月十日から十三日にかけて行われた既報の審理を参照しているが、その前半部分は本抄録には含まれていない。記録された結末は情状酌量によるマノーの無期徒刑判決であり、公的な正本記録そのものではない。

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