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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · フランス

囚人の四百リーヴル

1571年、兇徒追補の資を携えパリへ上った一人の貴種がいた。だが、旧来の遺産争奪の遺恨により、その途上で不意の縛に就くこととなる。

ダルコンヴィルは、兇手を捜査する費用に充てるべく、四百リーヴルもの大金を携えていた。路銀を懐にし、親族の絆にすがり、追補の列に加わらんとの志を胸に彼は上京したのである。しかし、彼がパリの門をくぐったとき、その身は馬上に固く縛り上げられていた。道中、弓手隊の兵らは行き交う群衆に向かい、この男こそ惨殺の下手人であると指さして囃し立てた。詮議は端緒に就いたばかりであったが、巷の民草はすでにその手で断罪を済ませていたのである。

この暗転劇の根底には、長年くすぶり続けた一族の確執があった。骸の転がるはるか以前、そこには生前贈与があり、婚礼があり、さらなる婚礼があり、そして法曹らが未来をも支配せんと張り巡らせた周到な契約の数々が存在していた。高名なる代言人シャルル・デュ・ムーランは、みずから妻を娶る気など露ほどもなかった1537年、ボース地方にあるミニョーの所領を弟フェリへ譲渡した。弟の婚礼に際してのことであった。当時の契約条項によれば、持参寡婦産として年間二百リーヴルの年賦金が定められ、三千リーヴルを以て買い戻し得ると記されていたという。

ところが翌年、シャルル自身も妻を娶るに至る。独身時代の気前のよさは、所帯を持った男にとって手痛い足枷となった。彼は自領の奪還を画策し、第一審で敗訴したものの、義妹の寡婦産分を保障することを条件に、辛うじてミニョーの地へ復帰を果たす。兄弟はその後も法廷闘争を続け、1543年に至ってようやく和解を結んだ。肉親の平穏は取り戻されたかに見えたが、冷徹な契約書の文言は、融通を利かせることなくその効力を発揮し続けていた。

やがてフェリは一人の息女を遺して身罷った。後見人は、負債が遺産を上回る事態を避けるべく、限定承認の手続きをとらせた。だが、年代記の筆者シャンパニャックが説くところによれば、この相続人たる身分には思わぬ落とし穴があった。娘は寡婦産としての年賦金を請求する権利を失ってしまったのである。かくしてミニョーの所領から二百リーヴルの重荷は消え去り、シャルル側の継嗣らにとっては、現状の維持こそが最大の利権となった。

このフェリの遺児を娶ったのが、ダルコンヴィルであった。新米の夫はやがて冷酷な現実に直面する。負債を清算してしまえば、手元に残る遺産は、放棄させられた年賦金の額に遠く及ばない。知己の勧めを受け、彼は妻の未成年を奇貨として、先の相続承認の取り消しを求める勅許状を申請し、これを見事に勝ち取った。他方の血統がとっくに立ち消えたと信じ込んでいた旧来の債務が、俄かに息を吹き返したのである。

その間にシャルルはこの世を去っていた。その娘は高等法院の代言人にしてコロミエの代官を務めるボビエの許へ嫁いでいた。ダルコンヴィルはボビエを訪ね、事の次第を説いて、両家の争議を有識者の仲裁に委ねようと持ちかけた。ボビエもこれに応じた。この時点においては、互いに気脈を通じるに足る近しさであり、利害の調整に仲裁人を必要とする程度の間柄として、机を挟んだ談合で決着する余地が残されていたのである。

だがその矢先、ボビエの屋敷に四千八百リーヴルもの巨額の富が転がり込んだ。

それは妻の有していた年賦金の払い戻しによってもたらされた金であった。記録の伝えるところによれば、下僕らもその大金の存在を嗅ぎつけていたという。現世の通貨がそこに積み上げられ、屋敷に出入りする者たちの胸中に生々しい妄念をかき立てていた。これほどの富は、強奪の動機としてはあまりに直接的で十分すぎるものであった。にもかかわらず、初動の追及において、この目の前の金貨は、数年越しの係争にあった年賦金の影に押しやられる運命にあった。

1571年1月のある土曜日、ボビエはコロミエへ赴くと告げた。幾度となく出立をためらった末、彼は屋敷を後にした。残されたのは妻と二人の幼子、召使の若党が一人、そして女中が一人であった。上の子は八歳、末の子は生後二十二か月にすぎない。日曜日が過ぎても、屋敷の扉が開く気配はなかった。月曜日になっても、人の出入りは途絶えたままであった。

隣人は異様な物音を耳にしていた。かねて夫婦仲の冷え切っていることを知っていたため、またぞろ痴話喧嘩が始まったものと早合点したのである。その証言によれば、いずれ自然と収まるものと高をくくっていたという。記録にも残るボビエの常軌を逸した家庭内暴力が、皮肉にも警戒すべき凶行の物音を、見慣れた日常の諍いとして覆い隠してしまった。知悉していると思い込んだ事柄に、みだりに首を突っ込む者はいなかったのである。

ただならぬ不審が限界に達し、隣人らは警務官へ急報をもたらした。警吏が証人らを伴って駆けつけ、扉を破らせた。内にあったのは、喉を掻き切られた母親、二人の児、そして女中の無残な骸であった。若党の姿は煙のように消えていた。

箪笥はことごとく押し破られていた。銀器には手がつけられず、黄金と正金のみが根こそぎ持ち去られていた。汚物溜めからは、指輪数点、蝋燭、そして姿を消した召使のマントが発見された。主の出立の場に居合わせたごく限られた者の中から忽然と消え失せた男――屋敷には、捜査の手がかりとなる明白な物証が遺されていたのである。

木曜日になってボビエが帰還した。惨状を知るや、彼はダルコンヴィルを名指しして告訴に踏み切った。その論法は、この一族の者が手にするであろう利得のみに基づいていた。妻と子の死は、利害の清算をめぐって異議を唱えていたあの男を利するに違いない、というのである。民事の争議が、そのまま刑事記録の容疑者欄を埋めることとなった。直ちに身柄拘束の令状が下された。

その頃、ダルコンヴィルはブリー地方のラ・シャトルに居を構えていた。前年八月にボースの領地を小作に出しており、1571年の初頭には小作人との談判や、縁戚関係にあったロピタル大法官の近親者を歴訪するため、同地方を幾度か往還していた。惨劇の報に接した彼は、直ちにパリへ向けて馬を走らせた。その懐には、兇賊追補の陣立てに投じるための四百リーヴルが収められていた。

短衣の警視総監がラ・クー・アン・ブリーの街道で彼を待ち構えていた。その場で捕縛され、縄を打たれた。護送の任に当たった者らは、行く先々の街道で、この男こそが血塗られた兇手であると言いふらして回った。ラ・シャトルの館でも次なる捕縛が行われ、妻も、下僕たちもことごとく荷車に押し込められた。道行く者らにとって、その女もまた「人殺しの妻」に他ならなかった。

パリの牢屋敷で、囚人らは引き離された。夫婦の家財も領地もことごとく差し押さえを受けた。しかしながら、シャンパニャックの記すところによれば、ダルコンヴィルの素行に関する調べからは、彼に有利な証言しか浮かび上がらなかった。入獄の翌日に行われた審問において、彼は決定的な事実を突きつけた。凶行のその刻限、みずからはボースの途上にあったという不在証明である。妻の供述もまた、夫の言と寸分の狂いもなく合致した。

妻と下僕らが放免されるまでに、六週間の月日を要した。夫はなおも警務官の監視下に留め置かれた。夫妻は令状の不当、不法なる拘禁、不当な財産差押えを不服として控訴した。そして、この騒頭を引き起こした張本人たるボビエに対し、みずから起こした訴訟を法廷で維持するよう迫った。だがボビエは原告当事者となることを拒み、告発の言を曲げぬまま、追訴の責務を検察長官へ丸投げしたのである。

ここに及び、碩学エティエンヌ・パキエがダルコンヴィルの弁護に立った。弁護人の前には、いかなる財産目録にも記し得ぬ難題が立ちふさがっていた。世論も裁判官らも、あらかじめ被告に対する強固な偏見に凝り固まっていたのである。記録によれば、弁論の口開けには野次と怒号が浴びせられたが、やがてその弁舌の威信は場内を圧し、罵声を惜しみない喝采へと一変させたという。この劇的な逆転の底流にあったのは、憶測の利害関係のみで仕立て上げられた告発に対し、有罪を裏づける証言が何ひとつ存在しないという冷厳な事実であった。

ダルコンヴィルは晴れて無罪放免を勝ち得た。ボビエには訴訟費用の全額負担と、記録の伝えるところによれば三千フランの損害賠償が命じられた。兇手を捕らえんとして私財を投じようとした男は、自らが兇手として追われた屈辱に対し、かくて償いを得たのである。

しかし、件の若党の行方は杳として知れなかった。シャンパニャックはその召使こそが真犯人であると断じ、大金が運び込まれたのち、男が夜な夜な屋敷内を徘徊していたのを書記官がボビエに警告していた事実を引いている。だが、この年代記作家の確信を裏づけるような、召使に対する裁判の記録は一切残されていない。彼がその後いかなる運命を辿ったかは、闇の中である。荒れ果てた屋敷で四人の命が失われ、パリへと続く街道では、正当な年賦金を求めんとしたばかりに、一人の男が生涯の名誉を危うく奪われかけたのであった。

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この実在事件の記録をお読みいただきありがとうございます。本事件をもとに3つの小説企画(中篇・長篇・三部作)を構想しています。あなたが最も読みたい作品にぜひご投票ください。

中篇小説(ノヴェラ)

義捐の銀貨

四人の犠牲者を出した遺族へ、見舞金の財布を届ける役目を帯びた飛脚の視点で描く短篇。目的地へ達する前に受取人は捕縛され、金を渡す行為そのものが兇賊への加担と見なされかねない窮地に陥る。たった一日のうちに、飛脚は金を託した主を探し出し、誰に手渡すべきか決断を迫られる。厄介な代物と化した財布をめぐる、完全な創作劇。善意の施しが決定的な証拠品へと変貌し、中身の変わらぬ革袋がその意味合いを刻々と変えてゆくサスペンスを味わってみませんか。

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長篇小説(ロマン)

兄弟の領地

二人の兄弟による所領の分割に端を発し、その子らが三十年にわたる法廷闘争、政略結婚、示談工作に翻弄される姿を描く歴史長編。一家が惨殺されたとき、若き未亡人は、古びた証書が自ずと完全な犯人像を作り上げている事実に気づく。彼女は真実の金を目撃した男たちの行方を追う。過去のあらゆる誓約の再読を強いる捜査の過程で、正義を叫ぶ者たちもまた自らの継承への欲望を直視せざるを得なくなる、重厚な一族の物語。

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大河三部作(トリロジー)

ミニョーの裔

法曹の家系に連なる三代の軌跡をたどる歴史大河三部作。第一巻は、寛大な生前贈与が骨肉の争いへと転じる様を描く。第二巻は、惨劇の利得者と目され法廷へ引きずり出された子孫の闘いを描く。第三巻は、嫌疑が晴れて久しいのちもなお、被告の名が呪いのように染みついた土地を売却せんともがく女相続人の苦闘を追う。世評のしぶとさ、金銭では贖えぬ傷、そして先祖の契約の代償を払い続ける子孫たちの宿命を描く大河ドラマはいかがでしょうか。

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歴史的典拠と文学的再構成について

後世に編まれた単一の司法記録を全篇精読して作成したものであり、原資料の個別調査や古文書スキャンによる校合は経ていない。事件発生は1571年、無罪判決の正確な月日は原典に記載がない。寡婦産および限定承認の法的手続きはシャンパニャックの記述に準拠し、独自の法的解釈は差し控えた。ダルコンヴィルは免訴、ボビエは訴訟費用負担および三千フランの賠償を命じられた旨が記録されている。召使の若党を有罪とする見解は年代記筆者の確信に基づくものであり、逮捕や裁判の記録は存在しない。家庭内暴力や夜間の不審な徘徊の証言は原資料の所伝に従った。典拠のない人名は一切付加していない。

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