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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · 英国

断ち切られた糸車

1805年、スピタルフィールズ。妻と別居した絹織工サミュエル・ワイルド・ミッチェルは、およそ十二歳になる実の娘サラを手にかけて自首した。オールド・ベイリー中央刑事裁判所で読み上げられた供述書を経て死刑を宣告され、一月十四日、ニューゲイト監獄の門前にて絞首台に消えた。年代記編纂者ペラムは、男の祈り、妻との最後の面会、そして解剖後に我が身を埋葬してほしいという懇願を今に伝えている。

サミュエル・ワイルド・ミッチェルの公判は、1805年1月11日、オールド・ベイリー(ロンドン中央刑事裁判所)にて開廷された。後代の記録者ペラムの筆によれば、法廷に引き出された男の憔悴しきった面構えと、古びた夜会帽がまず読者の目を引く。男はおよそ十二歳になる娘サラの命を奪い、その咎を自ら認めていた。だが、この裁判の本質は男の風貌にとどまるものではない。背後には直前の破綻した婚姻、二つの家から連れ合わされた子供たち、そして別れた妻からその手元に残された娘をも奪い去らんとした、父親の冷徹な決断が横たわっていた。

ミッチェルはスピタルフィールズの紡績工であり、娘サラにもその手技を仕込んでいた。カムデン・ペラムの記述によれば、夫婦の諍いは絶えず、男は烈火のごとき癇癪持ちであったという。無論、これは後世の編纂者による見立てにすぎない。当時の近隣の証言や口論の細部は歴史の狭間に消えている。ただし、厳然たる日付が一つ残されている。前年の12月17日、二人はついに別居へと至った。妻はサラの手を引いて家を出た。その妻の連れ子であったエリザベスも、かつてはミッチェルのもとで暮らしていたが、やがて別の部屋へ引き取られていった。男の統制を離れ、かつての家庭は四散しつつあったのである。

法廷で朗読された供述書の中で、ミッチェルは、妻が連れ子のエリザベスばかりを偏愛し、実の娘であるサラが他人のように訪ねてくるのをなじったと申し立てている。男は娘を「この上なき熱情をもって愛していた」と語りながらも、同時に自らの決意を明かしている。すなわち、妻にも自分にも、この子を渡すまいとしたのだ。この言葉は、記録の解釈をもってしても埋めがたい矛盾を露わにしている。父親としての愛情をどれほど言いたてようと、子供に手をかけることで母親を痛罵し、罰しようとした意志の残酷さは覆いようもない。

ペラムの伝えるところによれば、母親が家を空けた折、サラは炉端に座り、一心に管巻きの仕事に励んでいた。父親は抽斗から剃刀を取り出した。供述書によれば、男は一度ためらい、刃を戻しかけながらも、ついに手を下した。喉を掻き切られた子供は、悲鳴を上げることも抗うこともなく、即座に息絶えたという。被告の口述においてその光景は簡潔極まりないが、のちのすべてを決定づける重心がそこにある。断ち切られた糸車の仕事、刃を握った当事者の手による生々しい描写、そして裁判の儀式をもってしても決して埋め合わせることのできぬ永遠の沈黙である。

ミッチェルは脱兎のごとく家を飛び出した。かつて身を寄せていたベルという男の元へ駆け込み、主人の織りかけの仕事が無事であるよう手配を頼んだ。次いでデラフールを訪ね、ワッピングの友人らの元へ足を向けた。その日の夕刻には捕縛され、すべてを余すところなく自供した。いかなる手口で官憲が男の足取りを掴んだのか、また母親の名が何であったのか、ペラムは何ひとつ書き残していない。架空の捜査劇で糊塗することなく、欠落は欠落のままに留めておくべきであろう。

公判において、男の供述書が朗読された。弁解を求められたミッチェルは罪を全面的に認め、妻との不和によって心神が乱れ狂っていたゆえの凶行であると申し立てた。記録によれば、陪審員団は即座に有罪の評決を下した。判決言渡しを前に、最後に言い残すことはないかと裁判長から問われたが、男は「もはや付け加えることは何もない」と答えた。裁判所は、明くる月曜日に絞首刑に処し、その遺体を解剖および人体解剖に付すべしとの極刑を言い渡した。法廷は満廷の傍聴人で埋め尽くされていた。ペラムによれば、婦人席から陪審員に至るまで涙を禁じ得ぬ者が続出したのに対し、ミッチェル自身は終始落ち着き払っており、審理に耳を傾けながら、時に低く祈りの言葉を呟いていたという。

裁判の翌日、ミッチェルは互いに赦し合いたいと妻との面会を乞うた。日曜日に現れた妻は、二人の友人に両脇を支えられなければ辻馬車にも乗れぬほど憔悴しきっていた。面会を終えたのち、男はその日の大半を祈りに費やした。原典には二人が交わした言葉も、母親がどう応じたのかも一切記されていない。この面会とて、前月の別居の苦渋を消し去るものでも、命を落とした娘を取り戻すものでもなかった。ただ、後戻りのできぬ犠牲者となった我が子を挟み、残された二人の大人が最期の数日に対峙したという事実を物語るのみである。

ミッチェルはまた、フォード教誨師の手を経て、自身がイングランド国教会の信仰のうちに死に行く旨を世間に布告するよう望んだ。ペラムの補足によれば、男をメソジストの信者と疑う向きがあったためである。月曜の朝六時半、祈りを捧げるために教誨師が訪れた。礼拝を終えた男は、監獄の中庭を二人の友人に付き添われて歩みながら、共に祈ってほしいと頼んだ。年代記の筆者は、男が宗教的な平安を得ており、処刑台に上ることが自らの大罪を雪ぐ贖罪になると信じ込んでいたと描いている。その信仰が男にとっていかなる意味を持っていたのか、今となっては測り知る術もない。だが、そうした内心の慰えも、娘から生きる道も語る権利もことごとく奪い去ったという無残な事実を何一つ変えはしない。

男の最期の願いは、己の亡骸の処遇であった。解剖が終わった暁には、遺骸を娘に引き渡し、葬礼を営ませてほしいと執行吏に願い出たのである。ペラムによれば当局はその願いを聞き届けたとされるが、それがどちらの娘を指すのかは判然としない。この願いは、死刑囚に課された三つの手続き――公開処刑、司法解剖、そして家族による埋葬――の過酷な現実を浮き彫りにしている。むろん、すでに冷たくなった実の娘サラは、父親のいかなる釈明も受け取ることは叶わなかった。

1月14日、ミッチェルはニューゲイト監獄の門前にて露と消えた。規定の時間が過ぎたのち、遺体は解剖のために聖バーソロミュー病院へと運ぎ込まれた。ペラムの筆は、絞首台から病院への搬送をもってこの章の幕引きとしている。編纂者の関心は男の祈りや贖罪、そして公開処刑の威容に注がれていた。それに比して幼きサラの事績はあまりに短く、徒弟修行の務め、引き裂かれた両親の狭間に置かれた境遇、そして父親が凶行に及んだその瞬間にも糸を紡いでいたという事実のほか、我々にはほとんど知る手立てがない。史料の限界は、決して罪の重さを減じるものではない。後悔に身を投じた死刑囚の姿ばかりを、紙面に名を刻まれた幼き犠牲者の唯一の記憶としてはならないのである。

史料注記:本稿はカムデン・ペラム編『犯罪年代記――新ニューゲイト・カレンダー』第1巻(ロンドン、T・マイルズ社、1887年刊、序文1840年7月1日付)所収の「サミュエル・ワイルド・ミッチェル――殺人による死刑執行」(416–417頁)に基づいている。この回顧録は法廷で朗読された供述書を引いているものの、事件記録の全容や詳細な証言録取を網羅したものではない。当時の裁判録、囚人名簿、教区帳簿、あるいは病院の原資料に直接当たったものではない点に留意されたい。

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中篇小説(ノヴェラ)

断ち切られた経糸

独立完結の中編。1812年のリヨン。機織りの徒弟修行に励む娘が、口論の末に父親の織機に火を放ったとして捕縛される。妹は姉が工房から逃げ出すのを見たと証言するが、職長は火の手が上がる前にすでに経糸が鋭利な刃物で断ち切られていた不審に気づく。帳簿と鍵の行方を丹念に洗った職長は、家を出ようとしていた娘を陥れ、多額の保険金を手に入れるために父親自らが己の仕事を灰燼に帰した謀略を暴き出す。親方衆の評議会で帳簿の偽細工を突きつけられた男は罪を白状し、近隣への弁済の末に工房を追放される。無実の身となった娘は晴れて年季を解かれ、共同工房で再び誇り高く杼を投げる。動かぬ証拠、正当な償い、そして明快な結末を描き出す本格歴史法廷推理。

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長篇小説(ロマン)

二つの家の狭間で

独立完結の長編。1848年のロンドン。両親の離別後、幼い弟を惨殺した罪に問われた父の公判に、長女が証人として召喚される。姉の胸に残る弟の最期の記憶は、法廷に提出された弟の手紙の内容と鋭く食い違っていた。弁護士事務所に身を寄せる若き女代筆人は、父親が「息子が我が身を慕って戻りたがっていた」と偽装するために自ら手紙を偽造していた痕跡を掴む。やがて彼女は、下町の織物工房の片隅から、生前の弟が遺した真筆の書き付けを探し出す。陪審員団は非情な父親に有罪を宣告。娘は伯母の機織り工房で修行をやり直す道を選び、世間の邪推から己の誇りを守るため、真実の書簡を世に問う。冷徹な証拠捜査と、破滅した家族の再生を描く重厚な法廷歴史小説。

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大河三部作(トリロジー)

哀悼を織る三代の手

独立完結の三部作。織工の家系に生まれた三代の女性たちが、それぞれの手で血塗られた事件の真相を解き明かす。第一部(1794年、ルーアン):娘ジャンヌは親方の出納帳を暴き、窃盗の濡れ衣を着せられた兄の潔白を証明。真犯人に道具を返還させる。第二部(1837年、マンチェスター):ジャンヌの娘エリーゼは、失踪した幼い徒弟の手紙が工場主による偽造であることを突き止め、連れ去られた息子を両親のもとへ連れ戻して悪徳工場主を断罪に処す。第三部(1889年、パリ):エリーゼの娘ルイーズは、工房での不審死を単なる労働災害として握り潰そうとする策動を打ち砕き、遺族に隠蔽された機密書類を手渡して正当な補償を勝ち取る。各部ごとに確固たる物証によって事件を解決し、次代へと誇りを受け渡していく女性たちの闘いを描く大河推理巨編。

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歴史的典拠と文学的再構成について

本稿は、カムデン・ペラム編『犯罪年代記――新ニューゲイト・カレンダー』第1巻(ロンドン、1887年刊、序文1840年)所収の回顧記録「サミュエル・ワイルド・ミッチェル――殺人による死刑執行」(416–417頁)を抄訳・再構成したものである。ペラムの原著は被告の供述書を引きつつ裁判の概略を筆写した二次史料であり、当時の法廷速記録や公式の行政公文書に直接拠ったものではない。

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