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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · フランス

テーニの二重放火

ニエーヴル県テーニ村において、三ヶ月の時を隔てて生じた二件の火災は、クロード・ペローとアルフレッド・ロジェという二人の男を引き合わせた。ロジェは当初、ペローを庇うためと称して双方の放火を自白したものの、公判結審の直前に至ってこれを全面的に翻した。だが陪審は、両名に対し情状酌量を認めつつも、共に有罪の評決を下すに至ったのである。

審理がまさに結審を迎えようとしていたその前夕、アルフレッド・ロジェが発言を求めた。「真実を申し上げたい」――彼はそう切り出し、ペロー邸の別棟にも、助役ブーダンの厩舎にも火を放ってはいない、これまでの供述はすべて嘘であったと告白したのである。この突然の翻意は、ただでさえ錯綜を極めていた事件をいっそう深い混迷へと突き落とした。ロジェは数ヶ月にわたり、自らが二件の放火の真犯人であると言明し、ペローを救わんがために罪を被ったのだと主張し続けていたからである。しかし陪審は、この土壇場の弁明を退け、両名を有罪と断じた。

最初の業火が舐め尽くしたのは、ニエーヴル県テーニ村の農業営農者、クロード・ペローの所有する農家建築であった。千八百七十五年五月の公判記録が伝えるところによれば、ペローは年来、壊滅的な財政難に喘いでいたという。その不動産には資産価値を上回る抵当が設定され、日々の借財の督促に追われていた。焼失した建物群と屋内に収められていた家財には保険が掛けられていたが、検察側の見立てでは、その補償額は実際の価値を不当に吊り上げたものであった。検察はこの保険金詐取の思惑を犯行の動機と位置づけたものの、それのみをもって、何人が火種を仕掛けたのかを断定することは叶わなかった。

八月十六日、ペローは中庭に放置されていた農具や雑具をことごとく屋内に収容した。次いで二人の子供を連れ出し、実姉のパヌティエ夫人のもとへと預けている。翌朝、母屋および付属建屋の戸締まりを厳重に済ませた後、彼は妻の顔を見るためと称して巴里へと発った。その出立から十六時間を経た八月十八日午前五時頃、近隣の住民らが鋭い破裂音を耳にした。見れば、納屋の屋根を突き破って猛火が噴き上がっている。近隣の者が平屋の小屋根に駆け登って懸命の消火を試みたものの、火勢はすでにその内部にまで達していた。かくして付属の二棟は灰燼に帰したが、幸いにも母屋だけは類焼を免れたのである。

この出火は偶発的な延焼によるものではない、と検察側は主張した。屋根裏の粗朶の束を検分したところ、その下から鉋屑や紙片などの可燃物が発見され、それらには大量の猟用火薬が撒き散らされていたのである。壁と屋根を貫く煙道の如き通路が穿たれ、紙の導火線が軸木を束ねた燐寸へと伸びていた。検察の立証によれば、小屋内部の熱気が高まるにつれて燐寸が自然発火し、火の手が屋根裏へと達する仕掛けであったという。この精巧な発火装置は二つの建屋の境目に据えられており、粗朶を取り除いて装置を組み、再びそれを元の位置へ積み直すには、優に二時間以上の手間を要したはずであると検察は推計した。

現場に残された物証もまた、ペローへの嫌疑を深める材料となった。鉋屑の木質はペローの作業場の削り屑と酷似しており、紙片は公判記録によれば被告宛ての手紙の一部であった。家宅捜索では猟用火薬も押収された。さらに出立の前日、彼が一束の蝋燭を購入していた事実が判明したにもかかわらず、屋内にその蝋燭は見当たらなかった。検察はこの消失を、かつて近隣の郡部で発生した、蝋燭を遅延信管として利用した放火事件の手口と結びつけて追及した。ペローは自らの建屋に火を放った事実を断固として否定し、これら物品や日時の符合から導き出された推論に対しても一貫して異議を唱えた。

火災の被害は、土地の所有者たるペローにとどまらなかった。ペロー自身の損失は保険金で賄われる算段であったが、類焼した建物のなかには、グラッセが所有しボードカンに貸し出されていた納屋が含まれていたのである。ボードカンはそこに、二千五百フラン相当と見積もられる収穫物を保管していた。さらに厩舎には、ある奉公人が貯蓄していた紙幣千五百フランを収めた葛籠が置かれていた。当時の記録からは、その金が灰と化したのか、あるいはロジェが逃走の折に持ち去ったのかは判然としない。ペロー自身の被災額についても種々の試算が法廷に提出されたが、それらは新聞が伝えた概算に過ぎず、精緻な帳簿鑑定に基づくものではなかった。

第二の火災は、それから三ヶ月後、村の助役を務めるブーダン邸で発生した。ロジェはヴァランシエンヌでの滞在を終え、テーニ村へ戻ったばかりであった。彼はまずペローの義弟であるジャン=バティスト・パヌティエの戸を叩き、次いで一夜の宿を求めて村内を彷徨った。助役のブーダンは彼を哀れんで迎え入れ、温かい夜食を与え、毛布一枚を貸し与えた。そして不在の雇い人の寝台と荷物箱が置かれていた厩舎へと案内し、そこに身を横たえさせたのである。十一月二十五日から二十六日にかけての深夜、その厩舎は隣接する納屋や収穫物もろとも炎に包まれた。損害総額は五千五百フランに達したと見積もられている。

貸し与えられた毛布を携えたまま、ロジェの姿は消えていた。だが彼はその日のうちにクラムシーの憲兵隊へ自首し、ブーダン邸への放火を認めた。当初の尋問において、彼はその動機を、財産家たちに対する抑えがたい憎悪と怨嗟の念によるものと供述していた。しかし、その供述は長くは続かなかった。明けて一月二日、彼は予審判事へ宛てて一通の長文の手紙を認めた。その文面において、彼は八月に生じたペロー邸の放火についても己の犯行であると突如として告白したのである。粗朶の下に発火装置を仕掛けたのも、隣接する作業場から鉋屑を持ち出したのも己であり、二つの火はともに己が放ったものだと主張した。

その際、彼は自白の動機として思いもよらぬ経緯を語り出した。ル・アーヴルでの勾留を経てヴァルジーで浮浪罪により捕らえられた折、獄中でペローと知り合ったというのである。ペローが八月の放火の容疑で追及されていると知るや、獄窓の友を救わんがため、自らが罪を一身に背負う決意を固めたのだと述べた。そして自らの告白に信憑性を持たせるため、あえてブーダン邸に火を放ったのだという。ペローが義弟パヌティエへ言づてを頼んだ書状の数々は、二人の間に通わされた奇妙な絆の証左と見なされた。それらの書状は、義弟に対して証拠を隠滅すること、そして万事ロジェの指図に従うことを強く促す内容であった。

十月、ロジェはペローから託された九通の書簡をマルタン・パレという男に渡し、パレはそれをパヌティエへと届けた。だが、後ろ暗い証拠を握らされることを恐れたパヌティエは、書簡を村長へと差し出し、村長は直ちに検察へ急報した。さらにロジェが出所した際、その身体検査によって、同一の義弟へ宛てられた七通の書簡が新たに押収された。公判資料に引用された一通において、ペローはロジェを自らの内情に精通した青年として紹介し、彼の助言に従うよう求めていた。二人の間に密接な関わりがあったことは明白であったが、法廷に提出された文言の背後で、両名が真に何を約していたのかは、依然として憶測の域を出なかった。

しかしながら、犯行日時の照合は、八月の火災に関するロジェの自白の信憑性を根底から揺るがした。司法当局の綿密な調査の結果、八月十六日から二十二日にかけてロジェは巴里に滞在していた事実が確認され、火災の当夜、彼がテーニ村に居合わせることは物理的に不可能であったと判明したのである。それにもかかわらず、ロジェは頑なに自らの犯行であると主張し続け、ペローはその自白を盾に自らの無実を訴えた。事件を報じた新聞は、ペローが己の建屋を焼き、ロジェがブーダン邸に火を放ったものと結論づけた。だが同紙も、犯行が到底不可能であった事件について、なぜロジェが頑迷に罪を被ろうとしたのか、その心理を解き明かすことの難しさを率直に認めている。この疑念の霧は、公判の審理を通じてついに晴らされることはなかった。

法廷において、ペローは気脈を通じて無罪を主張し続けた。ロジェも当初は、二件の犯行はすべて単独で為したことであると言い張っていた。弁護人は、検察の告発が確たる物的証拠を欠き、状況証拠と蓋然性の積み重ねのみに依拠しているとして、両名の無罪放免を求めた。ペローの弁護人は、保険証書やその付帯書類、さらには妻の貴金属類までもが母屋に残されていた事実を挙げ、詐欺の企図を否定した。ある陪審員が、それらの書類が実際に現場から発見されたのかと問うと、裁判長は検証調書がそれを裏付けていると答えた。次いで証言台に立った保険代理人は、保険証券は常に三部作成されるため、契約者所持の原本が失われようとも保険金の支払いに支障は生じないと証言した。この証言は弁護側の主張を一部減殺したものの、放火の実行犯を特定する決め手とはなり得なかった。

この局面において、ロジェは突如として法廷で供述を翻したのである。彼は八月の火災にも十一月の火災にも一切関与しておらず、これまでの言葉はすべて虚妄であったと申し立てた。検察官が若干の論告を行い、弁護側がこれに応酬した。裁判長による総括の後、一時間半に及ぶ評議を経て、陪審員らは情状酌量を付しつつも、両被告人を有罪とする評決を下した。裁判所はペローとロジェの双方に対し、各々二十年の重労働刑を言い渡した。陪審がどのような判断過程を経てその結論に達したのか、新聞記録は詳らかにしていない。残されたのは、二転三転した供述の残影のみであった。二つの火を自らの手柄のように語り、知人を救うためと称し、最後にはすべてを否定したロジェ。だが陪審は、そのいずれの弁明にも惑わされることなく、二人の男に等しく断罪の鉄槌を下したのである。

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この実在事件の記録をお読みいただきありがとうございます。本事件をもとに3つの小説企画(中篇・長篇・三部作)を構想しています。あなたが最も読みたい作品にぜひご投票ください。

中篇小説(ノヴェラ)

氷室の鍵

吹雪の夜、雪深い山間の施療院で食糧庫の合鍵が何者かに持ち去られた。帳簿上は若き運搬人に嫌疑がかかるものの、錠前にこじ開けた痕跡は微塵もない。配給された粗食の記録と出入りした面会人の時刻を丹念に照合した寮母は、扉を開けた者が糧食を盗むためではなく、追手から逃れる負傷者を匿うために忍び込んだのだと悟る。かつて己を救ってくれた一族を告発すべきか、それとも村人が冬を越すための命綱を危険に晒すべきか。信頼と施しの痕跡を辿る葛藤を描く短編小説。

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長篇小説(ロマン)

失われた時刻

霧深き鉄路の隧道内で、貨物列車が停車中の先行列車に激突した。現場の信号手は己の過失を認めて口を閉ざすが、若き電信手の女性は、沿線三駅の標準時計がそれぞれ異なる時刻を刻んでいた事実に気づく。機関士が不当に解雇され、鉄道会社が組織的な怠慢を闇に葬る前に、彼女は真の運行記録を復元せねばならない。矛盾に満ちた仕業票や時計の点検簿、乗客の曖昧な記憶を繋ぎ合わせ、不完全な伝達と信号機の致命的故障を白日の下に晒す歴史長編小説。

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大河三部作(トリロジー)

留め置かれた言の葉

人の証言が、無機質な物的証拠の前にその意味を根底から覆される瞬間を描く三部作。第一部では、座礁船の救難信号が見落とされた嵐の夜、灯台守の娘が潮汐日誌の記録を死守すべく法廷で孤立無援の闘いに挑む。第二部では、劇団とパトロンの対立の最中、台詞を故意に改竄したと糾弾された舞台の附帳係が、稽古用の書き抜き帳を頼りに役者たちの偽証を暴いていく。第三部では、大洪水によって洗礼台帳が濁流に呑まれた村で、一人の赤子を巡って名乗りを上げた二組の親の真実を産婆が解き明かす。

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歴史的典拠と文学的再構成について

本稿は『官報・法廷新聞』(Gazette des Tribunaux)第14963号(1875年5月30日付、519頁第4欄および520頁第1〜3欄)に掲載された、5月11日から14日にかけてのニエーヴル県重罪院公判記録に基づく。同記はテーニ村で相次いだ二件の火災、すなわち前年8月18日のペロー邸の火難と、11月25日から26日にかけてのブーダン助役宅の厩舎火災の経緯を詳述する。検察の立証、アルフレッド・ロジェの二転三転する自白、ペローの無罪主張、弁論、そして判決に至る全容が記録されている。ロジェは当初、ペローを庇う目的で双方の放火を己の所業と称したが、公判終盤で突如これを否定した。陪審は両名に対し情状酌量を認めつつも有罪評決を下し、裁判所は双方に二十年の重労働刑を言い渡した。なお、原典のOCR処理テキストにおいて「Roger」が「Boger」と誤読される箇所が散見されるが、本稿では紙面の印字に従い「Roger(ロジェ)」として標準化した。記録に明記された供述以上の私的な動機については、原資料の記述を逸脱する推測を交えていない。

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