パンは卓上に残されたままであった。ルンプフがそのまま食事を続け、怪しげな白い粒をナイフの背で払い落とし、どこの家にも日常茶飯事として転がる不注意の仕業と片付けていれば、それですんだはずであった。だが男の手は止まった。目を凝らし、見届けたばかりの不審な異物を、他の者の目でも確かめさせようと思い立ったのである。
すでに幾人もの死者を呑み込んでいたこの奇怪な事件において、真相への端緒を開いたのは、ついに最後まで手をつけられなかったその一膳の食事にほかならなかった。
ゲーシェ・ゴットフリートはブレーメンに暮らしていた。近隣の者たちは誰もがその手厚い看病を知り、病人に向けるかいがいしい心遣いや、他の者が途方に暮れるばかりの病床にその人がいてくれる心強さを頼もしく思っていた。世人は親しみを込め、この女を「ブレーメンの天使」と呼んだ。のちの裁判を経て、その呼び名が慄然とするほどの皮肉を帯びることになろうとは、そしてかつてそれが純粋な信頼の証であったことすら忘れ去られようとは、当時は誰も思い及ばなかった。
枕許にて
近所に住むレーネという娘が、洗濯物を運ぶ手伝いに通っていた。身内の者ではない。万事に手際がよく、病人の枕許で口を慎む心得があるというので、頼まれて雇われたのである。ゲーシェは布を置く場所を手短に示し、椅子を一客寄せるよう言いつけると、娘が気圧されるほど温かな言葉で礼を述べた。普段の手伝い先では、仕損じたことばかりを咎められていた娘である。
寝物語に病人が呼ぶ声がした。ゲーシェはただちにいざないの戸を開けて中へ入る。その身軽な物応えに打たれ、娘は敷居の外に佇んでいた。女が枕の乱れを繕い、薬湯の器を捧げ持ち、口許を拭うさまが窺える。かつて己の母が見せてくれた手つきと聊かも異なるところはない。まさにその見慣れた温もりこそが、この光景から一切の忌まわしい気配を拭い去っていたのである。
やがて病室が空になり、洗い物を引き取る段になっても、娘の目に入る道具立ては何ひとつ変わらなかった。湯呑みは前日と寸分違わぬ器であり、どれほど手厚く整えられた寝床であっても、そこに臥せっていた人がもはや帰らぬ人となった事実を留めることはできない。娘は小さく涙を落とし、次いでは我が身の感傷を恥じた。あれほど夜を徹して付き添っていたゲーシェのほうが、遥かに深い痛手を負っているように見えたからである。
また手伝いに参りましょうか、と娘は自ら申し出た。
繰り返される見舞い
実際のゴットフリートの生涯において、毒牙に倒れたのは親しい者たち、それも身内に連なる人々であった。甲斐甲斐しく世話を焼く女の身辺で、病と死が代わる代わる訪れた。だが、その慈愛に満ちた佇まいと忍び寄る死の影とを結びつけて怪しむ者は、容易には現れなかったのである。
もっとも、レーネの胸中には、ある勘定が芽生え始めていた。本人がそれを疑念と呼んだわけではない。ただ、仕上がった布を運んだ家々の顔ぶれや、容態を尋ねるたびにすでに身罷ったと知らされた人々のことが、ふと脳裏をかすめたにすぎない。一つひとつの死を切り離して見れば、それは世の習いとしての不運にすぎなかった。しかしそれらが重なり合ったとき、娘の胸には、口にするのも憚られるような後ろ暗い胸騒ぎが巣食い始めたのである。
ある晩、娘はその胸中を母に打ち明けた。母は娘を窘め、あのように尽くしてくれる人について軽々しい口を利くものではない、世の中にはただでさえ恩知らずが満ちているのだから、と戒めた。その言葉の理を認めたがゆえに、娘は口をつぐんだ。人は往々にして、沈黙を強いるものは脅迫であると考えがちである。だが、時と所を誤った良識の忠告もまた、人を黙らせる確かな枷となるのであった。
ルンプフが糺したるもの
一八二八年、ルンプフは供された食物のなかに不審な粉末を認め、その正体を吟味させた。この確たる物証によって、それまで人々を安んじていた言い逃れの連鎖は断ち切られた。三月に下ったゴットフリートの捕縛を皮切りに、過去の不審な死の数々を洗い直し、まったく異なる視線で見つめ直さねばならぬ審理が幕を開けたのである。
レーネはその知らせを往来で耳にした。見知らぬ女が娘の腕をひっつかみ、恐るべき凶報を真っ先に他人に告げる者が帯びる、あの異様な熱気を孕んだ声で告げたのである。女がゲーシェの名を、次いで毒薬の不穏な名を口にしたとき、娘の耳には、決して並び立つはずのない二つの言葉が一つの文のなかに強引に押し込められたように思われた。
娘は家へ駆け戻り、かつてあの女から借りたままであった籠を探し出した。卓の下に置かれたその籠には、古い端切れが詰まっていた。あたかもその器物そのものが持ち主のおぞましい秘密を吸い込んでいるかのごとく、娘は取り憑かれたような手つきで中身をぶちまけた。母は物も言わずにそれを見つめていた。娘は言い訳を待ったが、老いた母はただ、私たちに分かりようはずがなかったのだ、と呟くのが関の山であった。
「けれど、私、前にお母さんに訊いたじゃないの……」
言葉はそこで途切れた。当時はいずれの胸にも確証などなかったというのに、今さら母の過ちをあげつらうつもりはなかった。ただ、あのとき恐れを抱くことの、どれほど怖ろしく、どれほど難しかったかを、誰かに認めてほしかっただけであった。
信を寄せていた街の顔
捕縛から処刑に至るまで、三年の月日が流れた。一八三一年の大聖堂前広場において、ゴットフリートの首は刎ねられた。毒殺の凶行をつぶさに聞かされた市井の人々は、家庭という密室の闇に隠れて重ねられた兇悪な罪業に、公儀の裁きが幕を引くのを見届けたのである。
レーネはその広場へは足を向けなかった。人混みが怖いのかと母に問われ、そうではないと首を振った。娘を引き留めたのは、口に出すのも面映ゆい思いであった。その日集まった群衆が、あの女には昔からどこか怪しいところがあったのだと口々に言い立てるであろう、その場に居合わせたくなかったのである。自分自身、何ひとつ気づきはしなかった。布を運び、行き届いた手つきに見惚れ、進んで手を貸した。その過ちの重みを、後知恵の慧眼で塗り潰すことなしに、静かに噛みしめていたかったのである。
ブレーメンの街は処刑の記憶を長く留め、やがて罪人の首の落ちた石畳の上に唾を吐きかける風習が生まれた。通り過ぎる者にとって、それはみずからの嫌悪を誇示する至極たやすい手立てであった。安易な振る舞いほど人に好まれるものはない。この事件が家々の奥底に残していった問いの数々は、そうやすやすと言葉にできるものではなかったからである。
戸口のそばの椅子
それから長い歳月が流れたのち、レーネは病を得た隣人の枕許へと呼び出された。差し出された湯呑みを受け取る際、娘の指先はわずかに躊躇った。ほんの瞬きの間のためらいであったが、床に伏せっていた女はその微かな揺らぎを見咎め、何か気に障ることでもあったのかと尋ねた。
適当な口実を取り繕うこともできたはずであった。だが娘は器を置き、椅子を引き寄せると、自分はときおり、理の通らぬことが恐ろしくなるのだと静かに打ち明けた。
「なら、お聞きなさい」と病人は言った。「少なくとも、立ち止まって尋ねてくれる人がここにいるのだから」
娘は暮れ方まで病人のそばを離れなかった。枕を直し、寝衣を改め、窓を少しばかり押し開けた。その手つきのいかほども、かつてのゴットフリートの記憶に明け渡してはならなかった。苦しみを和らげようとする看護の業は、依然として、人の痛みを思う者の手にあるべきものであった。
ただ一つ、何かしら腑に落ちぬものを覚えたとき、それに気づいてしまった己の心を恥じることだけは、レーネはもう二度としなくなっていた。
