パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼは、銀貨五十エキュの支払いを拒んだ。暗殺が成ったあかつきに莫大な富を約束するほうが、着手金を工面するよりもはるかに安上がりだったからである。公の面前に立つ男は、軍功ある隊長の風格も添え状も持ち合わせていなかった。フランシュ=コンテ出の貧相な書記にすぎず、胸に秘めた計画の途方もなさに比して、手元の路銀はあまりに心もとなかった。それでもバルタザール・ジェラールが申し出た役目からすれば、要求した額などわずかなものだった。沈黙公ウィレムの懐に飛び込み、その命を奪うための元手である。
約束は交わされたが、財布の紐は固く締められたままであった。歴史家ジョン・ロスロップ・モトリーの引く史料によれば、顧問官ダソンルヴィルは、万一命を落とすことがあっても報奨金は遺族に渡すとジェラールに請け合ったという。この配慮ゆえに、企ては奇妙にも家庭的な色合いを帯びることとなった。一国の君主を屠る謀略が、遺産相続の算段のごとき周到さで整えられていったのである。
ダソンルヴィルはもう一つ条件を課した。もし捕縛されても、パルマ公の名を決して口にしてはならぬというのである。この戒めは、二者の運命の不条理な懸隔をあらかじめ示していた。接近、発砲、逃走、そして囚われの身となった場合の過酷な尋問に至るまで、すべては書記一人が背負わねばならない。一方で権力者たちは、安全圏に身を置いたまま事の推移を眺めることができる。前金だけをせしめて約束を果たさぬ輩を、彼らはすでに嫌というほど見てきた。その苦い経験ゆえに吝嗇となったのであり、殺人の果実を貪る気構えだけは些かも衰えていなかった。ジェラールは路銀の支給を諦めて出立を承諾し、いずれ自らの名を世に轟かせてみせると言い残して去った。
ジェラールはヴィラファンの生まれであった。狂信的なカトリック信徒であり、ネーデルラントにおけるスペインの権威と旧教の復権を阻む最大の障壁こそ、ウィレムであると信じて疑わなかった。フェリペ二世が下した法の外に置く追放令は、その妄執を公に後押しする格好の口実となった。追放令そのものが刺客を生み出すわけではない。しかし、大義の名の下に行動すべき主君と、正当に請求しうる報奨の口約束を彼らに与えたのである。ジェラールはただ神への忠誠のみに突き動かされていると自称した。されど、金銭への執着は極めて生々しく、計算高さに満ちていた。
彼はかつてルクセンブルクにおいて、マンスフェルト総督の書記の傍らで働いた経験があった。その折、ひそかに公印の型を盗み出していたのである。この小盗賊の如き所業は、さらに大がかりな欺瞞の布石であった。彼はその印章の型を、スペインの敵対者たちにとって工作に役立つ貴重な品として差し出そうとした。真実味を持たせるため、プロテスタントの懐に迎え入れられるまでの間、偽りの改宗者となりきったのである。偽りの献身によって、本物の接近路を買い取る算段であった。
一五八四年の春、その計画はパルマ公の腹心らに宛てた上申書の形をとった。書面の中でジェラールは、自らが演じるべき役割を細やかに説いている。迫害を受けたカルヴァン派の息子であり、自身も改革派に帰依して庇護を求めている身であると。それと同時に、印章を盗み出した罪への赦免をも願い出た。印影ひとつ盗んだことにこれほど良心の呵責を覚える精神が、ひとつの命を奪うことに対しては何の逡巡も見せなかった。彼の歪んだ倫理において、暗殺はすでに功徳の帳面へと書き加えられていたのである。
デルフトに潜入した書記は、フランソワ・ギュヨンと名乗った。敬虔に礼拝に通い、ふさわしい聖書を携え、自らが頼ろうとする信徒社会の言葉遣いを巧みに真似た。牧師ヴィリエは彼の言葉に耳を傾けた。印章をめぐる工作はやがて彼をフランスへと赴かせ、ノエル・ド・キャロンの随員に加わらせることとなった。この遠回りはジェラール自身の本意ではなかったが、皮肉にも、ウィレムが決して無視し得ぬ重大な知らせを携えて帰還する契機となった。
アンジュー公が世を去ったのである。急使となった男はデルフトへ急報をもたらし、七月八日、公の寝所へと通された。ウィレムは病の床にあった。亡き公の最期について詳細を求めた主君の前に現れたのは、何カ月もの歳月を費やして自らの命を狙い続けてきた刺客その人であった。要人の警護というものは、情報の切迫した欲求の前にいとも容易く破られることがある。刃ではこじ開けられぬ扉も、一通の急達がやすやすと開いてしまうのだ。
この時、ジェラールは武器を帯びていなかった。言上を終えると、男は退出した。最初の絶好の好機は何の結実も見ず、公は生き延び、暗殺者は中庭へと引き返した。そこで男は建物の構造を入念に検分した。不審に思った衛兵が声をかけると、みすぼらしい旅人は、説教に参列するためのまともな靴も靴下も持ち合わせていないのだと哀れっぽく訴えた。その願いはウィレムの耳に届き、公は哀れに思って金を与えるよう命じた。
モトリーの記述によれば、ジェラールはその翌日、兵士から二丁のピストルを買い取ったという。パルマ公に拒まれた五十エキュの路銀は、こうして、間もなく死にゆく標的その人の施しによって賄われることとなった。難民と信じ込まされた男への施しが、そのまま暗殺の資金に化けたのである。あとは再び公を射程に捉えるだけであり、二度目の邂逅はもはや不意の偶然ではあり得なかった。
七月十日、正午の食事の前、ジェラールは通行証の下付を願い出た。ウィレムは手筈を整えるよう命じた。公の妻ルイーズ・ド・コリニーは、その男の姿を不穏な眼差しで見つめていたと史家は記す。食事が始まった。レーワルデンの市長が公の家族とともに同席していた。館の内にあって、招かれざる客には待つべき正当な理由があった。約束された紙面を待つという口実が、怪しまれることなくその場に留まる猶予を与えていたのである。
午後二時頃、ウィレムは食堂を出て階段へと向かった。物陰に潜んでいたジェラールが進み出で、至近距離から引き金を引いた。一丁のピストルから放たれた三発の弾丸が、肉体を貫いた。公はその場に崩れ落ち、出たばかりの部屋へと運び込まれた。瀕死の唇から洩れたとされる祈りの言葉は、事件ののちに記録されたものである。しかし、いかなる美辞も、唐突に断ち切られた生の惨たらしさを糊塗することはできない。親しい歓談、昼の餉、自邸の階段を上るかすかな足音、そして次の瞬間には、もはや救いようのない男の周りで取り乱す人々の混乱だけが残された。
ジェラールは脇門から脱出した。進入の手筈同様、脱出の筋道も怠りなく練られており、城壁を駆け上がって堀を飛び越える算段であった。だが、その逃走劇は水際で潰えた。小姓と鉾槍兵たちが男を取り押さえたのである。この都市は、刺客に凱歌を告げる急使となる暇を与えなかった。
裁判官の前に引き出された男は、本名と犯行の事実を認めた。自筆の自白書も認めた。すべては神と国王への奉仕であると強弁したが、過酷な尋問官らは背後に潜む教唆と交わされた報酬の約束を暴こうとした。その追及には凄惨な拷問が伴った。責め苦の果てに引き出された言供のすべてを確実な事実と見なすことはできぬが、犯行に先立ちダソンルヴィルと接触していた事実は、モトリーが精査した往復書簡によっても裏付けられている。
七月十四日、極刑の判決を受け、ジェラールは言語に絶する残酷な責め苦の末に処刑された。法の手は、暗殺者の肉体をずたずたに引き裂くことで、君主の死への報復としようとした。しかし、放たれた凶弾を無に帰すことも、戦火の向こう側で交わされた血の契約を取り消すこともできなかった。
刺客の遺族には、約束通りの報奨がもたらされた。約束の金貨に代えて、領地と爵位が下賜されたのである。デルフトにおいて極刑に処された大逆罪は、スペイン国王の公文書においては、篤い恩賞に値する勲功の列に連ねられた。ジェラールは逃げおおせることには失敗した。しかし、死の商談の最後の条項において、庇護者たちは彼を見捨てはしなかった。暗殺者は刑場の露と消えたが、その債権だけは死後もなお生き続けたのである。
