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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · スコットランド

斧を抱く男

一八六四年十二月、アバディーン。アン・フォーブズはセインストンでの逢瀬に向かったきり、脇に斧を抱えた材木商ジョージ・スティーブンとともに木立へと消えた。現場に残された赤い羊毛の繊維、血痕の付着した斧、そして心神喪失を巡る法廷の激論は、やがて死刑宣告を導き、次いで減刑へと至る。法医学者の記録が辿る、確証と狂気のはざまの記録。

手紙には、午後一時から二時の間に会おうと記されていた。十二月の凍てつく朝、その文に導かれるようにして、アン・フォーブズはアバディーンの街から十四、五マイル離れたセインストンへと向かった。用事を済ませ、歩いて戻るはずの道筋であった。数時間後、冷たい亡骸となって発見された彼女の衣の懐からは、ジョージ・スティーブン宛ての封筒が見つかった。だが、その中には文字の書かれていない茶の紙片が一枚入っているばかりであった。約束の刻限を告げる手紙と、言葉を失った白紙の紙片――この二つの品の間を埋めるようにして、翌年の春、状況証拠の力と心神喪失の境界を巡る、スコットランド法廷史上屈指の凄絶な法論戦の幕が切って落とされた。

アバディーン大学の医局助手を務めていた医師アレグザンダー・シルバーの記録は、まず時刻と道程の冷厳な復元から筆を起こしている。ポート・エルフィンストンの材木商スティーブンとアンの交情は、二十七年もの長きに及んでいた。女は時に市街からセインストンまで足を延ばして男に会い、手切れ金めいた金銭を用立てさせていたという。彼女の手元に残された代筆の手紙には、要求が容れられねば素性を世間に暴くという脅し文句が連ねられており、その中の一通が、十二月三日の密会を指定していた。この執拗な関係と強談の文脈は、検察側に格好の動機を示唆したものの、男の自白そのものを意味しては居なかった。

アンは朝の八時頃、隣人から防寒着を借り受けてアバディーンを発った。正午にはキントアの旅籠に立ち寄り、半ギルのウイスキーを所望して、その半分を煽ると、いつものように帰りに代金を支払うと言い置いて店を出た。ここから先、街道の記録は断片的な目撃証言の束へと細ってゆく。道端の石塚に腰掛け、赤いフランネルの布を被った彼女の姿を一人の少年が見咎めていた。女は少年に、もう一時を回ったかと尋ねたという。少年はまもなく、小脇に斧を抱えてその方角へと歩んでゆくスティーブンの姿を認めた。さらに先では、腰を下ろしたままのアンと、やがて彼女とともに木立の奥へと消えてゆくスティーブンをある農婦が見届けていた。

冬枯れの木々の下で何が起きたのか、その真相を目撃した者は誰一人いない。シルバーの後年の記録はその空白を想像で埋めようと試みているが、公判に提出された証言の要約には凶行の瞬間は残されていない。別の証人は、何やら見分けのつかぬものを抱え、たった一人で森を後にするスティーブンを目撃している。午後二時半を回る頃、鳥を追って木立に入った狩猟の勢子を務める少年が、地に伏して人事不省に陥ったアンを発見した。顔は左に向けられ、後頭部の裂傷からは夥しい血が流れ出ていた。頭を覆っていた赤フランネルは引き裂かれ、ペチコートがその身の下、あるいはすぐ脇に転がっていた。女は意識を取り戻すことなく、その夜の八時頃に息を引き取った。

駆けつけたアーヴィン医師は、砕かれた創口から頭蓋骨の破片を取り除いた。その際、材木商宛ての宛名がありながら中身のない封筒が発見されたのである。後日、現場を改めて改めると、凝固した血塊とともに、死者の胃中に残されていたものと寸分違わぬ燕麦の粥状物が地に散乱していた。二日後に執り行われた司法解剖により、頭蓋骨の陥没骨折、脳組織の深奥に達する損傷、そして致命的な失血が確認され、これが直接の死因と断定された。解剖執刀医の一人として名を連ねたシルバーが引用する鑑定書は、これらの創傷が生前に加えられた外力によるものであると結んでいる。医学的知見は暴力の苛烈さとその結末を余すところなく証明したが、誰がその刃を振り下ろしたかまでは語らなかった。

捜査の手は、スティーブンの屋敷から押収された三挺の斧へと伸びた。そのうちの一挺は、刃の寸法が頭蓋骨の破砕孔と酷似しており、オグストン教授とブレイジャー教授による理化学的・顕微鏡的検査の結果、赤褐色の染みが人血であると鑑定された。さらに木製の柄の割れ目には、極小の深紅の繊維が挟まっていた。これをアンの赤フランネルと比較検討した結果、同一の性状を持つものと認められた。残る二挺の斧には、単なる鉄錆しか見出せなかった。シルバーはこの符合を犯行を裏づける動かぬ証拠として高く評価している。ただし、この記述は一介の医師による公判の医学的抄録であり、法廷の公式記録そのものや、現代の法科学鑑定とは性格を異にする点に留意せねばならない。

当夜調べられたスティーブンの着衣には、右袖に真新しい小さな綻びがあったほかは、異様な痕跡は見当たらなかった。検察側はこうして手持ちの駒を並べ立てた。密会を約した手紙、同じ道筋における男女の行き合い、小脇に抱えられた斧、一人きりで戻ってきた男、そして男の許に残されていた凶器の痕跡。落ち合った場所と兇器の存在が点と点を結び、残された最大の争点は、犯行の有無そのものよりも、むしろ刃を振るった瞬間の被告人の精神状態へと移っていった。

シルバーの筆録によれば、弁護側はスティーブンが打擲を加えた事実そのものを争おうとはしなかった。彼らはひたすら心神喪失の一点に陣地を敷いたのである。一八六四年に始まった金詰まりが、男の気質に著しい異変をもたらしたと弁護側は説いた。かつては快活と評された男が、暗澹たる鬱ぎ込みを見せるようになったという。親族の証言によれば、八月のある日曜日、男は寝室から全身を震わせ、ひどく取り乱して降りてくるなり、家族をどう養えばよいのか、金は底をつき、家には麦粉も暖炉の薪も絶えてしまったと喚き立てたという。だが、そのような困窮は実際には存在していなかった。男はまた、寝台を石塚のようだと忌み嫌い、横になることもできないと訴えていた。

四十年来スティーブンを見知っていたトムソン医師は、九月末に診察に呼ばれていた。医師は彼が錯乱状態にあり、言語もおぼつかない様を見て、脳の器質的疾患を疑った。妄想癖や幼児のような稚拙な振る舞いが見られ、十月には癲癇性の発作すら報告されていた。医師の所見では、このような病態にある者は些細な苛立ちから殺人に駆られる危険があり、衝動を抑えきれずに兇行に及んだとしても何ら不思議ではないとされた。しかし、その証言には脆さもあった。診断の一部が伝聞に拠っていることを医師自ら認め、スティーブンが時に善悪を分別し、斧で打ちのめせば人が死に至ることくらいは理解できていたはずだと認めたからである。

アバディーン精神病棟の監督医ジェイミソン医師は、投獄後のスティーブンと面会したのみであった。医師はその容貌、緩慢な語り口、注意の散漫さと混濁した意識から脳疾患の存在を結論づけ、昂奮が激越な暴力衝動の引き金になり得ると補足した。だが、法廷で問い詰められると、明確な体系的妄想を指摘することはできず、被告が善悪の区別を弁えていなかったとまで断言することは控えた。十二月十日の往診時、スティーブンの異常な風情は脳疾患によるものと説明できたが、免責事由となる心神喪失の徴候とまでは断じ得なかった。弁護側は精神の失調と医師らの意見を提示し得たものの、木立での凶行の瞬間に男の精神がどのような状態にあったかを直接証言できる者は誰一人いなかった。

首席裁判官は陪審に対し、審理の対象とすべきは現在の法廷での姿ではなく、十二月三日当時の精神状態であると釘を刺した。当時の法解釈に基づき、脳の身体的疾患と法的な心神喪失との峻別が説かれた。心神喪失によって刑事責任を免れるためには、陪審員は幾つかの分かれ道を吟味せねばならなかった。自らが行っている行為そのものを認識していなかったか、あるいは行為の性質を理解していなかったか。もしくは、物理的な事実を把握していながらも、それが道徳的・法的に悪であると弁識し、結果の重大さを推し量る能力を完全に喪失していたか。記録にある裁判官の説示は、これらを累積的条件ではなく、択一的な基準として提示している。知的能力の減退や肉体の病、あるいは激昂しやすい気質というだけでは、免責の要件には足りない。これこそが一八六五年当時の法理であり、シルバー自身も記しているように、法律家と医学者の間で激しい議論を呼んだ火種であった。

わずか二十分の評議ののち、陪審は九対六の多数をもってスティーブンを有罪と決した。裁判長は死刑を宣告した。しかし、事態は法廷の扉が閉ざされた後も終わらなかった。代官の要請により、精神異常の疑いある囚人に関する法律に基いて精神鑑定が命じられ、マクロビン、フレイザー両医師が心神喪失を認める診断書に署名したのである。内務大臣ジョージ・グレイ卿は死刑執行の停止を命じたが、スティーブンを保護施設へ送致する令状はまだ下りなかった。この段階では、有罪の判決そのものは維持されたまま、刑の執行のみが宙に浮いた状態にあった。

やがて、シルバーが報告を書き終えた後に一筆書き加えた新たな報せが届いた。女王による大赦が下り、極刑は無期徒刑へと減刑されたのである。囚人は精神病棟ではなくパース監獄へと移送された。同監獄が法に基づく正規の精神医療施設として認可されていなかったためである。記録によれば、男は通常の囚人としてではなく、精神病患者として処遇されることになっていたという。だが、この追記には決定の正確な日付も、特赦令状の文面も添えられてはいない。

このように、本件の記録は、シルバーが確信を込めて説く物的証拠の完全な勝利に尽きるものでもなければ、陪審が斥けた狂気による完全免責の物語でもない。法廷は斧の痕跡に繋がれた男に死罪を科し、行政権は医学と統治の判断からその死を差し止め、刑罰をすり替えた。判決の下された法廷からパース監獄に至る道すがら、刑事責任の所在という難問は、解消されることなく場所を移したにすぎない。裁きが罪を定め、特赦がその身の始末を定めたのであった。

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この実在事件の記録をお読みいただきありがとうございます。本事件をもとに3つの小説企画(中篇・長篇・三部作)を構想しています。あなたが最も読みたい作品にぜひご投票ください。

中篇小説(ノヴェラ)

墨痕なき封書

とある架空の港湾都市に、封蝋こそ厳重なれど一行の文字も記されぬ手紙が届く。市庁の書記官は、密輸人を庇い立てするために若い配達夫が白紙にすり替えたのだと断じる。配達夫は道中の湿気で墨が消え失せたと弁明し、手紙に触れた唯一の仕立屋の女は、蝋が最初から割れていたと証言する。元印刷工が封蝋の割れ目や中継所の慣習から書状の行方を辿るが、どの手がかりも不正と不慮の事故の双方を等しく証明してしまう。虚白の書状が謎の芯となる文芸短編。

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長篇小説(ロマン)

三つの道標

架空の山村で、一夜のうちに境界を示す三つの道標が何者かによって動かされ、牧草地の帰属を巡って二つの村が激しく反目し合う。森番は夜道に揺れる提灯を見たと語り、炭焼きの女はそれが向かいの尾根から来たと主張、馬子は全く逆の時刻に鈴の音を聞いたと証言する。境界の再画定を命じられた若き測量技手は、誰もが自らの視界を正しく語りながら、異なる道を歩んでいた事実を突き止める。村人同士の私刑が始まる前に、石を動かした真の手を見つけ出さねばならない。断片的な視線が交錯する本格歴史探偵小説。

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大河三部作(トリロジー)

罪の秤、赦しの門

法廷が断罪を下した後に訪れる人間模様を描く連作三部作。活版印刷の町を舞台に、反体制の檄文を隠し持っていた廉で投獄された製本工の女は頑なに恩赦の嘆願を拒み、弟は密かに君主への直訴状を届けるべく奔走する。港町では、船渠の破壊工作で有罪となった船大工に突如減刑が下り、民衆はそれを裁判の過誤を認めた証拠だと色めき立つ。深い渓谷では、片方の家に下された寛典が、もう一方の家の再審を意味しないという残酷な報せを届ける女使者の苦悩が描かれる。判決、刑罰、そして赦宥の裂け目を照らし出す三つの物語。

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歴史的典拠と文学的再構成について

底本はエディンバラ・メディカル・ジャーナル(一八六五年七月号)所収のアレグザンダー・シルバーによる全八頁の報告「殺人罪に問われたジョージ・スティーブンの公判記録」である。ウェルカム・ライブラリーの電子版には同一合本内の他稿も含まれるが、本記録はオリヴァー&ボイド社の奥付に至る第二スキャンから第九スキャン(丁付一〜八頁)に正確に収まる。全八頁にわたってテキストと画像の照合を行い、論旨の連続性と結論を確認した。本文はアンとスティーブンの関係、逢瀬の目撃者、遺体の発見、司法解剖、赤フランネルと一致する繊維片、血痕の付着した斧、さらに脳疾患と心神喪失を巡る医師らの鑑定を詳細に記述している。シルバー自身が解剖鑑定書の署名者の一人であり、状況証拠の完璧さを自賛するほか、木立の中の惨劇を空想的に復元しているが、後者は法廷証言ではなく推測の域を出ないため本編では事実として扱っていない。弁護側は凶行そのものを争わず犯行時の心神喪失を主張した。記録は裁判官による脳疾患と法的心神喪失の区別に関する説示、九対六の有罪評決、死刑判決を収め、その後に提出された精神鑑定書、内務大臣による執行停止命令、さらには終身流刑(徒刑)への減刑とパース監獄への移送を追記として報告している。この追記には正確な日付や減刑状の全文は含まれておらず、編者による付記とみなされる。底本はパブリックドメイン(PDM)として公開されている。

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