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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · 英国

ブラッケンが読んだ人相書

マウント街の仕立仕事場にて、若き針子が無残にも命を奪われた。逃走する男の姿を直に認めた者はおらず、捜査は遺留された銃火器、一個の帽子、新聞に掲載された人相書、そしてかつての雇い主の記憶の綾を手繰るようにして進められた。公判においてジェームズ・ミッチェルは頑なに犯行を否認したものの、陪審は物証の積み重ねによって彼に有罪を下した。

ペラムの編纂記は、犯行の夜を千八百十四年八月五日、マウント街二十七番地のことと記している。しかるに公判におけるメイシー夫人の証言では、ミッチェルが姿を現したのは八月四日のことであり、階下の台所にいたウェルチマンが、男を追い返そうとしてふたたび二階の仕事場へと上がっていったのだという。女たちはまず彼女の悲鳴を耳にし、次いで二発の銃声を聴いた。ペラムによれば、同僚たちが駆け上がったときにはウェルチマンはすでに致命傷を負って倒れていたとされる。だがメイシー自身の言によれば、彼女は途中の居間で立ちすくみ、戸口の敷居に倒れる遺骸を最初に見出したのは家主のワトキンスであったという。そのときすでにミッチェルの姿はなかった。両者の記述には事件の日にちを巡って食い違いがあり、この相違はあえて曖昧に繕うことなく残されねばならない。

オールド・ベイリーの中央刑事裁判所で取り調べられた証言の数々は、いきなりあの銃声から始まったわけではない。事の発端は、娘が断ち切ろうともがいていた男女の関わりにあった。ミッチェルは当初、スミスと名乗って彼女に近づいた。メイシーの言によれば、男が自らの素性を語るのを耳にしたことはないという。一方、後年のペラムは、男が船の主計長を名乗っていたと記している。この細部は後世の編纂録に帰すべきものであり、公判で宣誓された証言と安易に混同してはならない。法廷が直に立証し得た確かな事実とは、ウェルチマンが拒んでいたにもかかわらず、男が執拗にこの仕事場へ足を運んでいたという一点であった。

八月四日、夕刻八時少し前、ミッチェルは仕事場へと通された。そこにはメイシーのほか、数人の針子とウェルチマンの妹が居合わせていた。メイシーの証言によれば、鋏を盗んだのではないかとウェルチマンに咎められたミッチェルは、あからさまに怒りを露わにしたという。ほかの者たちは部屋を出て隣の居間に控えたが、壁越しに二人の声は筒抜けであった。男はウェルチマンに外へ出て夜食を共にしようと促したが、娘は拒絶した。すると男は、それならば夜更けの食事に鮭を取り寄せるよう求めた。メイシーがふたたび部屋へ入り立ち去るよう促すと、ミッチェルはウェルチマンの手紙を受け取るまではここを一歩も動かぬと言い張った。娘は、手紙などすでに破り捨てたと冷たく言い放った。

その夜、屋敷にはいくつもの扉があり、複数の目撃者が息を潜めていた。メイシーは、召使いの女中が通りに面した窓の鎧戸を閉めるのを目にしていた。やがて彼女らは皆、階下の台所へと降りていった。ウェルチマンも加わったが、ほんの一分と留まることなく、ふたたび階段を上がっていった。男に今度こそ退去を承諾させるのだ、と娘は言い残していた。悲鳴、そして二発の銃声が、そのささやかな夕餉を無惨に引き裂いた。メイシーは一階の居間で足を止めてしまった。男が外へ逃げ去る姿も、扉が閉まる音も耳にしていない。だが、彼女と行き違うことなく階下へ降り、逃げおおせる道筋は確かに存在したと、彼女もまた認めている。

この屋敷の家主であるロバート・ワトキンスは、銃声が響く直前、家政婦に呼ばれて階下から駆けつけた。彼が見たのは、頭部を撃たれ、戸口の敷居に半ば倒れ伏したウェルチマンの姿であった。表側の部屋の窓は、鉛葺きの庇の上へと開け放たれていた。男がそこを伝って通りへ飛び降りることは十分に可能であると、ワトキンスは証言した。屋敷内の別々の部屋から、二挺の短銃が発見された。ムーンという証人は、それらがごく最近に発射されたように見えたと述べたが、自ら手にとって改めたわけではないと付け加えた。外科医のラッセルは、銃身に触れるとまだ湿り気を帯びており、撃たれて間もないものと鑑定した。検視の結果、頭部蓋骨には二箇所の銃創が認められた。アン・ステネットは遺体の傍らに落ちていた鉛弾を拾い上げ、ワトキンスの手へと渡した。

法廷の記録を繙けば、証人たちが喚問された厳密な順序を辿ることができる。メイシー、ワトキンス、ムーン、コリンソン、キングストン、ラッセル、ステネット、チャップマン、ピッケン、フォイ、そして最後にブラッケン。この証人の列座は、個々の細部を直ちに独立した動かぬ証拠へと昇華させるわけではない。しかし、屋敷の中で交わされた言葉と、現場に残された物言わぬ遺留品や痕跡とを照合する手立てを、陪審に与えたのである。

帽子という遺留品が、捜査のもう一つの細い糸口となった。帽子商のトーマス・チャップマンは、差し出された品を、去る六月にミッチェルなる男へ売り渡した型であると見定めた。その客は当時、マウント街の仕事場で働く若い針子を娶るつもりだと口にしていたという。しかしチャップマンは率直に認めてもいる。もし惨劇の報を耳にしていなければ、手元の帽子をこの事件と結びつけることなどできなかったであろう、と。したがってこれは、即座になされた純粋な現物識別というよりは、顧客の名と素性がもたらされたことによって、初めてその品が意味を帯びたというべき性質のものであった。

さる将軍に仕える従僕ピッケンは、八月五日の金曜日――メイシーが証言した事件翌日であり、ペラムが犯行当日と定めた日――に、ミッチェルが帽子を借りに訪ねてきたと証言した。男はバーソロミューの縁日で自分の帽子を失くしたのだと語ったが、ピッケンの記憶では、その縁日はすでにその日には終わっていたはずであった。その後、警官らはミッチェルの下宿から短銃の革鞘、弾丸の鋳型、そして四発の鉛弾を押収した。フォイ巡査は、それらの弾丸や鞘、および鍵が、現場に残されていた短銃と寸法において合致すると証言した。だが、これらの物証のいずれもが、犯行の瞬間を捉えた直接の目撃証拠となるわけではない。捜査の手続きは、品々と足取り、そして関係者の証言の符合を丹念に積み重ねることで築かれていったのである。

近隣に住むウィリアム・コリンソンは、悲鳴が響いた直後、帽子も被らぬ男が敷石の上に飛び降り、チャールズ街の方角へと疾走していくのを目撃していた。だが、それがミッチェルその人であったかどうかまでは断言できなかった。同じくウィリアム・キングストンも、無帽の男が同じ通りへと走り去るのを認めたが、その顔までは判別できなかったと述べるにとどまった。これら二つの証言は、逃亡者の進路を指し示しはしたものの、逃げた男のまぎれもない人相を確定するには至らなかった。

それから数日の間、捜査は暗礁に乗り上げたかに見えた。ミッチェルは長らく定職に就いておらず、捜査官らにとっても彼の直近の潜伏先を突き止めることは容易でなかった。事態が急転したのは、一枚の新聞紙に注がれた別の視線によってであった。ソールズベリー近郊で農場を営むヘンリー・ブラッケンは、かつてミッチェルを雇い人として使っていた男であった。事件後に新聞に掲載された人相書に目を留めた彼は、近傍をうろついていた男があのミッチェルに相違ないと見破り、八月九日、ソールズベリーから十一、二マイルほど隔たった地で彼を捕縛させた。追跡の結末は、大がかりな警察組織の包囲網によるものではなく、かつての主人の記憶と、紙上に印刷されたわずかな活字の記述とに委ねられていたのである。

八月十三日、トーントン巡査の手によってミッチェルはボウ街治安裁判所へと引き据えられ、次いでニューゲート監獄へと収監された。刑事裁判記録はこの一件を九月十四日に開廷した会期に分類しているが、この日付は必ずしも公判が開かれた当日を意味するものではない。ペラムの記録では、審理は九月十六日の金曜日に行われたとされる。法廷では、凶器の短銃、帽子、被害者の銃創、現場から走り去った無帽の男、下宿に残されていた弾丸、そしてブラッケンによる人相の照合が、証言を通じてふたたび辿り直された。ミッチェルは起訴事実を全面的に否認した。問題の帽子は自分のものではなく、バーリントン・ガーデンズで紛失したのだと主張し、短銃も自分のものではなく、夜食を求めた覚えもないと訴えた。だが、彼自身のために証言台に立つ者は誰一人として現れなかった。

陪審は彼に有罪の評決を下し、裁判録には絞首刑の宣告が記された。ペラムの後年の編纂記は、処刑の日を九月十九日とし、ニューゲート監獄の前に群がり集まった民衆の熱狂を活写している。もっとも、この壮絶な光景はペラムの筆致に属する物語であり、公の裁判記録に記されたものではない。さらにペラムは、絞首台に吊るされた後、死者の手に触れることを許された女たちの姿を書き留めている。死刑囚の冷たくなった手には、ある種の皮膚の病や腫れ物を癒す霊力が宿るという、当時の民俗信仰によるものであった。この一節は、当時の司法劇を取り巻いていた生々しい空気を物語っている。陪審の理性が物証に基づいて一人の男の罪責を冷徹に定めたのち、その同じ処刑台の傍らでは、民衆が死せる肉体の中に古き迷信の奇跡を求めようとしていたのである。

こうしてこの公判記録には、それぞれに重みの異なる、いくつかのあやふやな識別のかたちが留め置かれることとなった。無帽の男の逃走を見届きながらも顔までは分からなかった二人の近隣者。一個の帽子という品物からかつての客の輪郭を思い描いた帽子商。そして最後に、新聞紙上の人相書きからかつての奉公人の姿を呼び覚ました農場主ブラッケン。開け放たれた窓は逃亡の可能性を裏づけてはいたが、法廷の証人の誰一人として、彼がそこから抜け出る瞬間を直に目撃したと証言した者はいなかった。ミッチェルの頑なな否認を退け、これら断片的な証言と物証の網目を一つの確固たる断罪へと織り上げたのは、陪審の判断であった。下された判決のいかようも、ウェルチマンにその仕事場を返すことはなく、メイシーの店で彼女が果たすはずであった暮らしの席を埋め戻すこともなかった。この事件の捜査は、死の瞬間を直に見届けた証人を欠いたまま、それぞれに脆さを孕んだ間接の証拠の連なりによってのみ、その終局へと歩みを進めたのである。

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この実在事件の記録をお読みいただきありがとうございます。本事件をもとに3つの小説企画(中篇・長篇・三部作)を構想しています。あなたが最も読みたい作品にぜひご投票ください。

中篇小説(ノヴェラ)

封蝋の下の鍵

架空の港湾都市を舞台に、倉庫街の火災の後、死亡帳の封蝋を密かにすり替えた人物の特定を命じられた文書庫の女性記録官を描く。記録室で目撃された不審な人影を明確に証言できる者はいないが、扉の傍らに落ちていた指輪の印章を巡って、三人の証人がそれぞれ異なる見立てを口にする。記録官が似姿と確証のあいだにある危うい断絶を見極めていく、張り詰めた一日を描く中編小説。登場人物、舞台、事件、結末はすべて創作であり、誰も完全には所有し得ない物を通じて、いかに個人の輪郭が他者へと伝えられていくのかを探る。

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長篇小説(ロマン)

北岸壁の声々

孤立した架空の群島を舞台に、航海の途上で水先案内人が忽然と姿を消した事件を巡り、水夫たちの証言を聴取する若き女性法廷書記を追う。沖合で鳴り響いた号鐘の記憶は一致しているものの、甲板に残されていた外套の持ち主については、乗組員ごとに全く異なる名を証言する。当直の交代記録を洗い直すうち、彼女は出航直前に書き改められた乗船名簿の存在を突き止める。相反する才を持つ地図製作者の女とともに真相を手繰り寄せる長編小説。歴史的事実や法的手続きはすべて架空であり、暗闇のなかで響いた物音に記憶を委ねる人間の識別の限界を浮き彫りにする。

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大河三部作(トリロジー)

認められた名

「人はどの瞬間に、単なる似姿をその人自身であると確信するのか」という問いを軸に据えた、全三巻の完全創作歴史法廷三部作。第一巻では二通の封緘証書の真偽を照合する文書記録官、第二巻では多言語を操る謎の証人の身元特定に挑む通詞、第三巻では断片となった肖像画の来歴を復元する女性修復士の姿を描く。時代、舞台、事件、そして結末は各巻ごとに独立しており、単体でも重厚な物語として成立する。社会的な制度がいかにして独自の確信を捏造し、無辜の人間がどのような過ちによって識別されてしまうのかを冷徹に暴き出す。

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歴史的典拠と文学的再構成について

公判の経緯は『オールド・ベイリー公判記録』に準拠している。カムデン・ペラムの編纂章は1887年に刊行された集成(序文によれば1840年に執筆されたとされる)であり、法廷の逐語録ではない。各証言、証拠品、被告の弁明は、法廷においてそれぞれの証人が述べた内容として記している。末尾に置かれた絞首刑囚の手に触れる風習については、ペラムの編録が伝えた民俗的信仰としてのみ取り上げている。

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