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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
義賊と街道の無法者 · イタリア

街道を統べる王――義賊アンジェロ・ドゥーカの軌跡

追っ手の兵が迫るなか、アンジェロ・ドゥーカは歓呼の声に迎えられて村々へと入った。だが、貧しきを助ける義賊の伝説の裏には、苛烈な恐喝と血生臭い戦闘、そして裏切りが横たわり、正当な裁判すら経ぬままの処刑が待っていた。

リオネーロの村へ、その山賊はあたかも待ちわびた貴客であるかのように乗り込んできた。乗馬は色鮮やかなリボンで飾られ、群がる人々は我先にとその手を握り、頬を寄せ、温かく迎え入れた。その地にあって、後に山賊の足跡を筆に遺し、いささかの容赦もなく批判を浴びせることになるパスクアーレ・フォルトゥナートも、その光景をただ呆然と見守っていた。その驚愕は、彼の手になる詩篇に色濃く刻まれている。官憲に追われる身でありながら、この男は白昼堂々、実直な市井の人々ですら手に入れがたいものをことごとく享受していた。豪勢な食事、あまたの友、そしてどこへ行こうと温かく迎えられるという確約を。

男の名はアンジェロ・ドゥーカ。人々は親しみを込め「アンジョリッロ」と呼んだ。バジリカータの街道筋では、この短い愛称ひとつ口にするだけで、財布の紐も固い扉も開いた。時にはその双方が同時に開くこともあった。それはまだ、民謡に歌われる伝説の名ではない。銃を構えた一人の生身の男の名であった。

事の始まりの一銃

男の生地はサレルノの山あいに位置するサン・グレゴーリオ・マーニョである。哲学者ベネデット・クローチェが採用した洗礼記録によれば一七三四年の生まれで、追われる身となるまでは、長らく野良仕事に汗を流して暮らしていた。その幼少期に、後の運命を予感させるものは何ひとつない。揺りかごのなかにすでに頭目の器があったとする数々の武勇伝は、後年、頭目としての権威を正当化するために飾り立てられたものにすぎない。

掟に背く発端となった事件について、諸説はマルティーナ公爵領の地所で起きた諍いを挙げている。アンジェロの甥が禁じられた場所で家畜に草を食ませた折、番人が甥を手荒く扱った。割って入ったアンジェロが引き金を引いたという。放たれた弾は番人の馬に命中した。どちらが先に手を出したのか、事の真偽については異説が多い。確かなのは、放牧を巡る小競り合いが、大領主の権威を揺るがす深刻な抗争へと忽ちに変じたという事実だけであった。

アンジェロはおとなしく裁きを待つ道を選ばなかった。熟知した山々が、別の逃げ道を与えてくれたのである。彼はトッマーゾ・プレーダの一味に身を投じ、やがて頭目格へと頭角を現していく。山賊としての歩みは一七八二年あるいは一七八三年頃に始まったと見られるが、その歳月はまことに短かった。しかし、家畜の群れよりも遥かに速く駆け巡る世評は、瞬く間にその名を、あたかも長きにわたる治世を築いた王のごとく押し広げていった。

一味の陣容は、軍隊というよりは二十人足らずの集団であった。百戦錬磨のコスタンティーノ・ロッコが知恵を貸し、「ペッペ」ことジュゼッペ・ルッソが凶暴な腕力を振るい、近隣の村々からも者が加わった。峻険な起伏、隔絶した距離、まともな幹線道すら稀な山岳地帯は、追跡の手を阻む格好の盾となった。追撃を命じられた部隊にとっては、賊がどこで夜を明かしたかを突き止めるだけでは足りない。土地の者が放つ知らせよりも先に現場へ辿り着かねばならなかったのである。

礼節を帯びた銃口

アンジョリッロは、礼儀をわきまえた身代金の要求法を心得ていた。脅迫状ためための一通があれば、辻で待ち伏せをする手間すら省けた。辻に立つ武装の男一人分にも劣らぬ効力を、広く知れ渡ったその署名が果たしたのである。フォルトゥナート自身、四百ドゥカートを要求する手紙を受け取ったが、巧みに言い逃れて支払いを免れた。のちに山賊の記録者となるこの男は、こうしてその「気前のよさ」の裏側を、自らの身をもって知ることとなった。

奪い取られた金は、立場によってその相貌を幾重にも変えた。地主から巻き上げた金は、仲間の飢えを満たす糧となり、貧民に分け与えられれば慈愛の施しとなり、教会に寄進されれば尊い奉納金となった。当時の記録や口承は、貧民のために穀物を買い与え、持参金のない娘を援助し、地主の横暴から村人を庇護したと伝えている。逸話のひとつひとつを史料で裏付けることは叶わないが、そうした話がことごとく一致して残されている点にこそ、彼が民衆の心を掴んだ秘密がある。金を受け取る側の目に映る光景は、力ずくで金を奪われた側のそれとは、おのずから違っていたのである。

その富は、具体的なもてなしをも十全に潤した。リオネーロ近郊のサン・ミケーレ修道院で、一味は常に食卓と憩いの場を得ていた。アンジョリッロは仕立て服をあつらえ、自らのためにミサを捧げさせ、訪れる客をもてなした。リボンで飾られた馬の姿は、小規模な宮廷の行幸をすら思わせた。彼が「野の王」と渾名されたのは自然の成り行きであった。彼には定住すべき宮殿はなかったが、あらゆる家へと通じる街道をその手中に収めていたのである。

だが、民衆の熱狂を背に受けても、暴力の本質が消えることはなかった。ムーロにおいて、一味はチュリエットという名の官吏を拉致して命を奪った。モンテマラーノでは、ジョヴァンニ・ガッロが老医師ジュゼッペ・イオーニに積年の恨みを晴らそうとした。フォルトゥナートが伝えるところによれば、アンジョリッロはまず金で解決しようとしたものの、結局は仲間の凶行を止めようとはしなかった。医師は射殺され、遺族らは武装した賊が立ち去るのをただ息を潜めて待ち、ようやく亡骸を引き取ることができたという。弱者の守護者と称える民謡には、この陰惨な一幕は到底そぐわない。だが、これもまた紛れもなく同じ男が刻んだ記録の一頁であった。

討伐隊と村々

当初、追撃の試みはことごとく無様な失敗に終わった。ベッラ近郊で、ジャコモ・ルーポ中尉は密告のあった隠れ処へと部下を進めた。だが、すでに急報を受け取っていたアンジョリッロと仲間たちは、木立や起伏の陰に散開して待ち構えていた。中尉は銃弾を浴び、討伐隊は退却を余儀なくされた。兵士たちを山賊の首へと導くはずの情報は、彼らをそのまま山賊の射程のただ中へと誘き寄せる罠となったのである。

カリトリでは、賊の側から先手を打った。食事中の歩兵銃隊から武器を奪い取り、兵舎のすぐそばで激しい銃撃戦を演じたのである。双方に死傷者を出し、一味は負傷した仲間を担いで退却した。この顛末はのちに一枚の旗に描かれ、そこには勝利の頭目として立つアンジョリッロの姿が誇らしげに写し取られた。絵画というものは、実際の戦闘にはない都合のよさを備えている。どちらが敗走したのかを、都合よく描き分けることができたのだから。

だが、ナポリ宮廷もやがて追捕の手口を改めた。派遣された治安判事ヴィンチェンツォ・パテルノが情報を一元化し、各地の分遣隊の連携を強化したのである。街道筋には歩哨が置かれ、賊の立ち寄りそうな場所にはことごとく監視の目が光った。それまで散発的に試みられては途切れていた追撃が、張り巡らされた一本の網となって圧迫を加え始めた。山賊はなおも待ち伏せをすり抜けることはできたが、一度逃げ延びた後に一週間の安息を得ることすら、次第に叶わなくなっていった。

相次ぐ戦闘が一味の体力を確実に削り取っていった。ルチェーラ近郊でアンジョリッロの甥が命を落とし、ペッペ・ルッソは病に倒れた。さらに別の小競り合いで、アンジェロ自身も親指に銃傷を負った。病み衰えた仲間を気遣いながら、自らの傷口も手当てせねばならない。かつて我が物顔で闊歩した広大な大地は、いまや傷を癒やすための、ただ一間の隠れ部屋の狭さへと縮まりつつあった。

命取りとなった隠れ処

ふたりはムーロにある修道院の一角へと身を寄せた。だが、仲間のひとりチッチョ・ズッカリーノが、自らの罪の免責を条件にその潜伏場所を官憲に密告したのである。フォルトゥナートは、この裏切りの原因を賭場の口論とそれに伴う屈辱にあったと記している。この動機は、多くの破滅がそうであるように、あまりに矮小で身近な人間臭さを帯びている。確固たる戦果を求める官権と、己の延命を願う密告者。両者の思惑が、ひとつの扉の前で一致した瞬間であった。

兵士たちが修道院を取り囲んだ。古記録によれば、屋根裏に潜む逃亡者をあぶり出すため、修道士たちは脅され、ついには火が放たれたという。ルッソはその場で捕縛された。アンジェロは屋根へと這い登り、なおも逃亡を図ったが、雨樋のそばで見咎められ、取り押さえられて縄を打たれた。この捕縛の顛末を伝える記録は、追い詰められた英雄の最後のあがきをいささか劇的に描きすぎる嫌いがある。だが、その結末に疑いの余地はない。ふたりの男は、とうとう官憲の手に落ちたのである。

ふたりはサレルノへと連行された。正式な法廷が開かれるものと思われ、弁明の機会を確保すべく様々な働きかけがなされた。クローチェが引用したサルデーニャ特使の外交報告も、その法廷への期待と国王への嘆願があった事実を裏付けている。同時にそれは、アンジョリッロの絶大な民衆人気が、それまで彼を守る最強の盾であったにもかかわらず、ここに至って恐るべき重荷へと転じた理由を如実に物語っていた。公の法廷に彼を立たせれば、そこが新たな民衆煽動の舞台となりかねなかったからである。

王命が下り、予定されていた裁判は一切省かれた。一七八四年、アンジェロ・ドゥーカは絞首台の露と消えた。獄中で先立っていたルッソの亡骸もまた、見せしめとして同じく絞首台に吊るされた。遺体は四つ裂きにされ、かつて一味が猛威を振るった各地へと送られて晒された。かつて自らが支配者を名乗ったその街道に、切り刻まれた亡骸を晒すことによって、権力は街道を王の手に取り戻したことを知らしめたのである。

だが、それによって村人たちの記憶が消え去ることはなかった。彼を称える詩が口から口へと伝わり、武勇の誉れは肥大化し、不都合な暴力の影は次第に薄められていった。やがて人々の記憶には、強権に抗い散っていった慈悲深き男の姿ばかりが残されることとなった。しかし、アンジョリッロの名と並んで、モンテマラーノで斃れた医師の名も、命を落とした兵士たちの名も、金を奪い去られた人々の名も、確かにそこに在り続けている。民謡は愛すべき英雄を見出したが、歴史の記録には、今なお相容れぬ無数の声が響き合っている。

この歴史事件から新たな小説が生まれます

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この実在事件の記録をお読みいただきありがとうございます。本事件をもとに3つの小説企画(中篇・長篇・三部作)を構想しています。あなたが最も読みたい作品にぜひご投票ください。

中篇小説(ノヴェラ)

カリトリの旗章

架空の絵師の視点から描かれる中編小説。山賊の頭目が自らの勝利を讃える記念の旗を注文するが、手負いの手下から「頭目が歴史から消し去ろうとしている、ある男の姿を描き込んでくれ」と密かに懇願される。

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長篇小説(ロマン)

赦免の代償

官憲が山賊の情報に破格の賞金を懸けた時代を舞台にした長編小説。身代金を奪われた自らの家族と、かつて自分を匿ってくれた山賊一味との狭間で引き裂かれる架空の密告者の苦悩と暗躍を描く。

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大河三部作(トリロジー)

王の街道

架空の駄賃稼ぎ(馬子)の一族の盛衰を通して描く三部作大河小説。山賊蜂起の黎明、警察権力による街道網の徹底掌握、そして敗れ去った無法者たちが民衆の伝説へと昇華されていく過程を重厚に描き出す。

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歴史的典拠と文学的再構成について

主たる典拠として、一八九二年に刊行されたベネデット・クローチェの研究書『アンジョリッロ(Angiolillo)』を参照した。同書より生涯の足跡、一味の構成と手口、諸戦闘、追捕と捕縛の経緯、処刑、および最初期の民間伝承を採っている。クローチェは作中で、同時代人パスクアーレ・フォルトゥナートの詩篇、一七八六年にバルテルスが収集した見聞録、サルデーニャ特使の外交報告を引用しているが、これら原資料の肉筆稿を直接閲覧したわけではない。伝説化された逸話はその旨を明記し、一味の暴力性に対するクローチェの寛容な解釈は排した。没年は一七八四年を採用したが、クローチェ自身も正確な命日を特定できていないため、本作でも日付は明記していない。発端となった諍いや捕縛時の細部には異説が存在する。なお、作中の会話はいっさい創作していない。

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