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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · フランス

フランス人として死なんとした男

一八一五年十二月、貴族院は百日天下においてナポレオンに帰順したミシェル・ネイ元帥を裁きの場に引き据えた。七月の軍事協定の援用を法廷が退けるや、ネイは手足を縛られた弁護を拒絶し、死刑の宣告を受けるに至る。

千八百十五年十二月七日、ネイ元帥の夫人は夫の助命を乞わんと国王への謁見を求めていた。だがテュイルリー宮殿で彼女が知らされたのは、すでに手遅れという非情な現実であった。元帥の銃殺刑は、すでに執行されていたのである。前日の夜、貴族院は弁護側の申し立てを聴取したのち、死刑判決を下していた。自らの拠って立つべき拠り所とした協定の援用を禁じられたネイは、それ以上の弁論を拒絶したのである。百日天下の折にナポレオンへ合流した科で捕縛された男は、わずか数日のうちに、誓約の信義と敗北の真義そのものが問われる歴史の被告席へと立たされていた。

ネイは帝国において押しも押されもせぬ屈指の猛将であった。千八百十五年三月、ナポレオンの帰還が告げられた際、ルイ十八世は皇帝を討伐すべく元帥に命を下した。公判においてネイは、ブザンソンへの進軍命令を受けた折には自領におり、ナポレオンの上陸を知ったのはパリに着いてからのことであったと申し立てた。当時、世に広く取り沙汰された「ボナパルトを鉄の檻に入れて引き立ててくる」という言葉についても釈明した。仮にそう口走ったとしても、それは許されるべき愚言にすぎず、王への忠誠を示そうとした証左であったと述べた。この放言とも弁明ともつかぬ一言は、やがて三月十四日に彼が下した実際の行動と厳しく突き合わされることとなる。

数週間に及ぶ審理の末、議論の焦点はあの春にネイが下した決断、そして七月の軍事協定の解釈へと絞られていった。十二月四日、ブールモン伯爵は、元帥には選ぶ余地がなかったとする弁明を退けた。伯爵の証言によれば、三月中旬、元帥は自軍がナポレオンに合流し得ること、国王は無傷で退去するであろうこと、そして今や「ボナパルトに合流せねばならぬ」と説いたという。さらにブールモンは私情に触れる理由も記憶していた。毎夜のごとく侮辱に晒され、涙を流して帰宅する妻の姿に、ネイは耐えかねていたというのである。

ネイはこれに猛然と反駁した。ブールモン自身があの宣言書を承認していたはずであり、ラベドワイエールと同様の処遇を受けると恐れたからこそ、今こうして証言台に立っているのだと言い放った。自らの布告を善しとしたはずではないかとネイが問い質すと、ブールモンは身振りでそれを否認した。二人の男が語るあの日の対談は食い違っていた。元帥の責任を裁定する鍵は、現前の口舌ではなく、証人たちの証言と三月に下された行動の事実そのものに委ねられることとなった。

バタルディ氏は、三月七日にボナパルト上陸の報をネイに伝えた折の様子を証言した。その際、元帥は「ああ、なんたる災禍か」と叫んだという。ウードレ将軍は、ディジョンにおける不穏な蜂起を鎮圧することは至難であり、兵の士気はすでによからぬ方向へと傾いていたと述べた。ナポレオンの進軍に対し、当時手元にあった戦力で十全に抗し得たかと問われると、将軍は元帥の手元にあった兵員不足の四個連隊の窮状を挙げた。

ダヴー元帥は、七月初旬に交渉が持たれ、同月三日にサン=クルーで調印された軍事協定の経緯を語った。フランス側代表がいかに軍事境界線ならびに人命・財産の保全に関する条項を盛り込ませたか、そしてこの要求が退けられた場合には交渉を決裂させるよう命じていた理由を証言した。ネイの弁護人は、帝都の住民およびそこに留まるすべての者が、その官職、行動、政治的意見を理由に追及されることなく権利を安堵されるとした第十二条の適用を求めた。ネイ自身、この保障があったればこそ、フランスに留まる決意を固めたのだと主張した。

しかし裁判長は、臨時政府がこの条項に込めた意図について弁護側がダヴーへ尋問することを禁じた。条文は書かれた文言そのものによって解釈されるべきであり、協定を結んだ当事者の胸中によって解釈されてはならないと言い渡したのである。協定に署名したボンディは、大赦の条項は滞りなく受け入れられたと証言し、ギルモもまた、これが拒絶されたならば交渉を打ち切るべしとの命を受けていたと述べた。検察側はこれに対し、国王はこの協定を批准していないと反論した。裁判長もまた、守られるべきはずであった者たちの一部を法廷へ送致した七月二十四日の国王令を引き合いに出した。

十二月六日、弁護人ベリエは再び協定の正当性を訴えた。検事総長が異議を申し立て、裁判長は貴族院の議員らに諮った末、弁護側が協定を論拠とすることを禁じた。窮した弁護士デュパンは別の活路を模索した。十一月二十日の条約によって東部国境が変更されたことに着目したのである。デュパンは、元帥の生誕地は今やフランス領外にあり、したがって元帥はフランスの国籍を喪失していると論陣を張った。ネイは感極まって立ち上がった。自らはフランス人であり、フランス人として死ぬのだ、と。手落ちなき弁護を全うさせぬのなら、もはや弁護など無用であると告げ、十全な弁論手段を行使できぬ限りこれ以上の弁護を続けることを弁護団に禁じたのである。

議場は一瞬、静まり返った。被告が弁護を放棄した以上、反論権を行使する必要はないと検事総長は言った。ネイは自らの陳述を撤回したわけではなかった。ただ、法廷から課された不当な制約の中で弁護を続けることを拒んだのである。議員らは評議のため別室へと引き揚げた。自らの命運が審議される間、ネイは控室へと戻り、弁護士を抱きしめた。「あなたが望まれたことですから」と弁護士が言うと、ネイはあの世でまた会おうと静かに返した。

ネイは夕餉を所望し、それを平らげた。見張り番の衛兵が小さなナイフを気に病んでいるのを見て、自らが死を恐れているとでも思うのかと問い、その刃物を遠くへと投げ捨てた。食後、葉巻を燻らせて床に就いた。ボロウの記録によれば、元帥は二時間ほど眠りに落ちた、あるいは眠ったかのように見えたという。六時間に及ぶ評議の末、貴族院は有罪を宣告し、裁判費用の負担を添えて死刑を言い渡した。ネイはその宣告の場には立ち会わず、書記官が言渡書を房へと届ける手筈となった。

夜更け、貴族院の書記官が判決文を読み上げるべく訪れた。ネイはその言葉を遮り、結論だけを述べるよう求めた。自らの数多の称号が読み上げられた際、それらが何になろう、ミシェル・ネイはやがて一握の塵芥に帰すのだと呟いた。また、王位継承に関する条文の適用に対しては不服を唱えた。ほどなくして妻と子らが到着した。妻は部屋に入るなり崩れ落ち、元帥の妹であるガモン夫人は彼の前に跪いた。子供らは押し黙っていた。ネイは低い声で言葉を交わすと、部屋を出るよう促した。その折に交わされた言葉は、記録には残されていない。

近衛の擲弾兵が、神に思いを馳せるよう言葉をかけた。朝になり、出発が告げられると、ネイは同乗する司祭の手を取って馬車へと引き上げた。天国には自分の方が先着するだろう、と元帥は語りかけた。車列はリュクサンブール宮殿の庭園を抜け、天文台の傍らに定められた処刑地へと進んだ。てっきりグレネルの練兵場へ連れて行かれるものと思い込んでいたネイは、行く手に怪訝な色を浮かべた。されど躊躇うことなく馬車を降り、妻へ渡すよう嗅ぎ煙草入れを司祭に託し、貧しい者たちへ幾粒かの金貨を分け与えた。

ボロウの記すところによれば、彼は壁際へと歩み寄り、銃殺隊の正面に立つや、兵たちに向かって叫んだ。「友よ、狙いは心臓だ。撃て」。千八百十五年十二月七日、天文台大通りにおいて、夫人が国王の許へ辿り着くより前に、ネイはこの世を去った。テュイルリー宮殿において、デュラス公爵は元帥夫人に対し、もはや拝謁の儀には何の意味もなくなったと告げたのであった。

貴族院は三月十四日の決起、そしてナポレオン帰還に対するネイの忠義の是非を裁いた。しかし、第十二条の庇護は弁護の場から冷酷に締め出された。この裁判は、一人の将の背信を極刑へと導いたのみならず、法廷が被告の望んだ形での審理を拒んだ根本の問いを、法廷のただ中に宙づりのまま残したのである。すなわち、一度結ばれた協定の誓いは、主君を違えた者をどこまで守り得るものなのか、という問いを。

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中篇小説(ノヴェラ)

十二月六日の審理

貴族院に隣接する小部屋で、公判記録の浄書を命じられた若き女性代筆人を描く架空の短編小説。法廷で裁判長が弁護側に朗読を禁じた条約の文言を巡り議論が紛糾するなか、宮殿警備に就く彼女の弟は、父の立場を危うくしかねない一節を記録から省いてくれと頼み込む。歴史の証言者たちと交わることなく、裁判所が耳を傾けることを許した「公式の言葉」を書き留める者の目線から、張り詰めた公判の一日を切り取る。

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長篇小説(ロマン)

二つの誓い

百日天下においてネイの副官を務め、ブルボン復古王政の法廷で証言を迫られる架空の将校の苦悩を描いた歴史長編。帝国下で辛酸を舐めた家柄の妻は、破られた誓約の罪は償われねばならぬと信じ、夫は誰にも勝ち目のない内乱を回避したのだと信じている。パリの街で相異なる陣営についたかつての戦友たちと再会した彼は、自らの証言が一人を救うと同時に、もう一人を死地へと追いやる事実を悟る。体制が覆るたびに「忠誠」の意味が変容する激動の時代に、良心の葛藤を浮き彫りにする人間ドラマ。

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大河三部作(トリロジー)

揺らぐ国境

三度にわたる政変の荒波を生きる法学者の一族を描く三部作の大河小説。第一部ではパリ市民を保護する軍事協定の起草に奔走する父、第二部では法廷がその協定の効力を狭隘に解釈し無力化する様を目の当たりにする娘、そして第三部では新たな政体の下で、かつて国家が下した恩赦の約束がなお法的に有効であるか否かの決断を迫られる孫の姿を追う。国境線、忠誠の誓い、そして法律そのものが、守られるべき人命よりも早く移ろいゆく時代の不条理を描き出す重厚な連作。

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歴史的典拠と文学的再構成について

本稿は、ボロウによるOCR史料「Marshal Ney」の見出し(8,953行)からネイ夫人への告知に関する最終段落(9,335行)までの精読に基づく。これに続くジョージ・バーネットの章は除外した。元老院の歴史記録によれば公判期間は1815年11月17日から12月6日とされているが、ボロウの記述は12月4日の審理から始まっている。有罪判決は12月6日、死刑執行は12月7日である。元老院資料においても、7月3日の協定援用の却下、および天文台大通りにおける執行の事実が裏付けられている。なお、発射された弾数についてはボロウの記録と元老院資料で相違があるため採用を控えた。一次裁判記録の原本全編は未参照。底本検証:ボロウの該当章は全編通読。元老院の執行記録(75〜94行)も参照したが、出発時刻(8時30分か9時か)およびテュイルリー宮殿での待機と10時到着の齟齬については具体的な時刻の言及を避けた。公判経過のウェブ頁は接続不能であったため、その閲覧は執筆者固有の参照に留まる。最期の言葉はボロウの記述に拠ったが、諸説存在する。

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