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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · ドイツ

ホーエンシュタインの誓詞

一七六九年三月、ザクセン選帝侯領ホーエンシュタイン近郊の岩深き峡谷にて、身許定かならぬ旅人の骸が発見された。後世の犯罪記録『新ピタヴァル』は肉調合師ヨハン・ベルンハルト・ハーンを下手人と名指しするが、男は殺害を一貫して否認、過酷を極める拷問問答にも屈せず、潔白を神に誓う「雪冤の誓詞」を立てて遂に放免された。一方、判決に列挙された兇行を誓詞によって弁駁したその妻は、自白した余罪により懲治場送りとなり、義母には無罪が言い渡された。

一七六九年三月十七日、ホーエンシュタインに程近い岩深き峡谷にて、薪拾いに分け入った一人の女が、屹立する岩壁の狭間に横たわる男の姿を認めた。その者が何者であるのか、いかなる経緯でこの深山に迷い込んだのか、知る由もなかった。当初は足を踏み外しての転落死と見なされた。だが、事件から一世紀余りを経て編まれた年代記は、この顛末を記すにあたり、肉調合を生業とするヨハン・ベルンハルト・ハーンを冷酷な殺人者として仕立て上げることとなる。もっとも、ザクセンの法廷そのものは、この男を殺害の罪で断罪することは終ぞなかった。

『新ピタヴァル』の筆者は、奇岩と廃墟が連なる「ザクセン・スイス」の峻険な景勝を描き出すことから筆を起こし、読者の視線をその荒涼たる風景から物言わぬ屍へと導いてゆく。底知れぬ谷底という舞台は、検死によって覆されるまでは墜落死の辻褄を合わせるに格好の場であった。しかし、この劇的な情景描写とて、一箇の物語を紡ぎ出すべく、一八七一年の筆者が後知恵をもって配した構図にほかならない。

記録が「クナウイン」と呼ぶその薪拾いの女は、前日にも同じ山道を通っていたが、怪しい人影など見かけてはいなかった。女の急報を受け、町役人が立ち上がり、里人らが谷底へと降り立った。記録によれば二十歳前後とおぼしきその若者は、仕立ての良い褐色の胴着を身につけていたものの、懐には金一文なく、所持品も見当たらなかった。頸の右側には血管を断ち割る深い切創が走り、左側にも刃物で突かれたような傷口が口を開けていた。医師および外科医による検分は転落の筋を退け、この凄惨な刃傷こそが非業の死をもたらした元凶であると断定した。

骸は何ひとつ自らの名も旅路の来歴も語らなかった。埋葬の折、ハルトマンという女が、数日前に灰色の外套をまとった連れとともに自宅の傍らを通り過ぎた若者こそ、この行き倒れの男に相違ないと申し出た。灰色の男の顔までは見定めていなかったが、年代記の筆者はこの影をただちにハーンに結びつける。ハーンの所持する上着が、奇しくも灰色の外套一着のみであったからである。されど、衣服の符合のみをもって同一人と断ずることはできまい。次いで羊飼いのマツィヒが、三月十五日の夕暮れ、見慣れぬ若者を連れて歩くハーンを見かけたと証言した。遠目ゆえ若者の人相までは定かでなかったという。この証言は二人が道連れであった可能性を補強するものではあっても、その後にいかなる惨劇が起きたかを語るものではなかった。

頼りなき証言のまま立ち消えるかに見えた詮索は、遺体の転がっていた谷底から一個のシャツの釦が拾い上げられたことで、俄かに色めき立った。その釦は被害者の着衣のものではなかった。裁判官が、あたかもハーンの自宅から見つかったかのように装ってその釦を突きつけると、ハーンは幼い娘の持ち物であると応じた。行商人から同じものを二つ貰い受け、もう片方は今も家にあるはずだと言い添えた。しかし、それがかの峡谷で拾われたものだと明かされるや、ハーンの顔色は失せ、膝が震えだした。その狼狽はたしかに疑念を掻き立てるものであったが、その釦が真に下手人の落とし物であったと立証されたわけではなかった。

かくして、男の名をめぐって不穏な符合が次々と取り沙汰されることとなる。記録によれば、ハーンは三月十六日に十四ターラーもの現金を即金で払い、牡牛を一頭買い求めていた。さらに遺体発見ののちにも、子牛三頭、長靴一足、短靴一足を立て続けに購入したと年代記は記す。近隣の者らは、ハーンが近頃借金の廉で差押えを受け、困窮に喘いでいた事実をよく知っていた。金の出処を糺されたハーンの弁明を、年代記は不審千万なものと断じている。男は打ち拉がれて口を閉ざし、「いずこにあっても心の休まる暇がない」と漏らしたという。だが、これらはあくまで年代記編纂者が拾い集めた不審の種にすぎず、自白でもなければ、殺害を直接裏付ける証左でもなかった。

狭隘な町落にあって、かかる大商いが人目を逃れるはずもなかった。隣人が破産寸前であったこと、身分に合わぬ買い物を重ねたこと、そして漏れ聞こえる不穏な噂話を、里人らはひそひそと囁き交わした。『ピタヴァル』は、この風聞をあたかも地方一帯の揺るぎなき総意であったかのように描き出す。だが、曖昧な疑惑を集団の確信へとすり替えてゆく手際こそ、語り手の筆致にほかならない。後世に書き留められたあやふやな風説を寄せ集め、ひとつの筋道へと強引に手繰り寄せたにすぎぬのである。

ある夜、午前二時頃に帰宅した女が、雨戸を固く閉ざしたハーン邸の階下に灯りが漏れているのを目にした。隣人のヘルトヴィヒもまた、あたかも重い卓が倒れたかのような物音で目を覚まし、人の声と怪しい光を認めたと証言した。されど、いずれの者も死骸そのものを目撃したわけではない。彼らの記憶はのちに告発側が仕立てる時系列の補強材料とされたが、夜半の物音や灯火の時刻のみでは、その密室で何が起きていたのかを復元するにはあまりに心許なかった。

裁判官が捕縛を命じたのは、季節も移ろった七月初旬のことであった。ハーン、妻クリスティアーネ・カタリーネ、そしてその母ゲルヒェルが牢へと引かれていった。屋敷の捜索において、役人らは血痕のこびりついた粗布の大袋を押収した。ハーンはそれを獣肉を運ぶための血相であると主張した。肉調合師という生業に照らせば、それは至極もっともな申し開きであった。その染みが被害者の血潮と一致するか否か、科学的な詮索がなされたわけでもない。そして、問題の金銭はあらかた煙のように消え失せていた。不審な品々は揃えられたが、何ひとつとして動かぬ証拠たり得なかったのである。

最初の訊問において、夫婦はかの旅人など知らぬと突っぱねた。すると義母ゲルヒェルが口を開き、三月十五日の夜、ハーンが見知らぬ男を連れ帰り、暖炉脇の長椅子に腰掛けさせたと供述した。自身は屋根裏の自室へ退いたため、男の風体も着衣も見定めてはいないという。翌朝、娘から「あの客人は夜明け前にすでに発った」と聞かされた。数日ののち、良心の呵責に耐えかねた母はクリスティアーネとの対面を乞い、知る限りの真実を打ち明けるよう娘に迫った。七月十二日、鉄格子の向こうから母に問い詰められたクリスティアーネは、遂に折れ、長大な自白を始めたと記録は伝える。

その供述によれば、ハーンは見知らぬ若者を一晩泊めると告げて連れ帰り、長椅子に眠らせたのち、夜半過ぎに妻を揺り起こして蝋燭を持たせたという。男は旅人を手にかけて路銀を奪う胸算用を明かした。妻は涙ながらに思いとどまるよう縋りついたが、逆に脅迫され、遂に兇行は果たされた。女は血に染まる大袋、飛び散る鮮血、そして遺骸を運び出す夫の姿をつぶさに語った。さらに、かつてハーンが金を預けていた別の女や、年貢集金人の命をも狙っていたと口走った。だが、これら戦慄すべき挿話は妻の口述の中だけに見えるものであり、年代記の記述をもってしても、実際に起こった罪状として立証されたものではない。

この証言の重みは計り知れなかった。証言者自らが犯行の場に立ち会い、事後の隠蔽を手伝ったと認めたからである。されど、それは自らをも共犯の断罪に晒す刃であった。初めの全面否認から一転しての自白に対し、ハーン本人は頑として殺害を否認し続けた。しかもクリスティアーネは、遺体がいつ運び出されたのか、奪われた金がどこへ消えたのか、肝心な点については判然とした答えを出せなかった。近隣の証言者らに至っては、人影や夜半の灯火といった断片を見たにすぎず、兇行そのものを目撃した者は誰一人としていなかったのである。

年代記の記述そのものにも、拭い去れぬ綻びが残されていた。記録によれば、三月十六日の時点では谷底に遺体はなく、発見されたのは十七日であった。妻は夫がいつ遺骸を運び出したのかを知らない。筆者は、ハーンがその夜帰宅したのちに遺体を担ぎ出したのであろうと推測し、さらには「死体が息を吹き返したと錯覚したのではないか」などと妄想を逞しくする。だが直後には、何が起きたのかを裏付ける記録など存在しないと自ら白状しているのである。かかるあからさまな思惑を、確定した事実として扱うことは許されない。そもそも死者の素性すら終ぞ判明しなかった。ある証人が「アダムという肉屋ではないか」と推し量ったものの、裏付けは得られぬままであった。

裁きの審理は遅々として進まなかった。記録によれば、一七七〇年六月、ライプツィヒの参審裁判所は、ハーンが自発的に白状せぬ場合、拷問による訊問、いわゆる「問答」を執行することを認可する答申を下した。自白を引き出すための肉刑である。苛烈な拷問が加えられた。しかし、ハーンは終ぞ口を割らなかった。一七七一年一月、法廷はこれ以上の追及を断念し、当時定められていた「雪冤の誓詞」を立てさせたうえで、男を釈放する旨を言い渡した。それは、殺害の嫌疑が晴れて勝ち取った無罪放免ではなかった。期待された自白を引き出すことができず、法の手続きが手詰まりに陥ったことによる幕引きにすぎなかった。

一方、妻クリスティアーネには、判決文に明記された一連の兇行――殺害の謀議、刃傷、金品の強奪、死体遺棄――について、それを行っていない旨を神に誓って弁駁することが許された。記録によれば女はその誓いを立てた。一七七一年九月の判決は、女が自ら認めたその他の余罪に対し、四年間の懲治場留置と訴訟費用の一部の負担を言い渡した。母ゲルヒェルは罪を問われることなく放免された。この誓詞による免責の手続きは、女が誓った「犯行への不関与」を法廷が事実として確定したことを意味するものではない。

年代記が掲げた「殺人者ハーン」なる章題は、法廷が宙吊りにした結末を強引に断じ切るものである。結局のところ、旅人の名は杳として知れず、谷底の釦は持ち主を特定するに至らず、妻から告発された男は殺人の罪を背負わぬまま牢獄の門を出た。一八七一年の編纂者は、当時の法手続きが抱えていた逡巡をかなぐり捨て、自らの確信に満ちた物語を仕立て上げたのである。その筆致は告発劇を緊迫感あふれるものに昇華させたが、その結論は下された司法判断の一線を踏み越えている。われわれは、記録に引かれた証人たちの声、調書に記された裁判官らの決定、そして被告を罪人と言い切る後世の記録者の筆を、明確に截然と分かち見ねばならない。告白が覆され、目撃者も皆無で、拷問をもってしても何ひとつ暴けぬとき、真実の前に佇む司法に残された道は、己の「無知」を認めることのほかに何があろうか。

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この実在事件の記録をお読みいただきありがとうございます。本事件をもとに3つの小説企画(中篇・長篇・三部作)を構想しています。あなたが最も読みたい作品にぜひご投票ください。

中篇小説(ノヴェラ)

峠の供述

アルプスの孤立した宿場町にて、吹雪の夜に一人の旅人が忽然と姿を消す。直前に借金を完済した馬子に真っ先に嫌疑がかかるが、その妻は当初、夫が夜半にカンテラを運ぶのを手伝ったと証言しながら、のちに時刻の証言を翻す。身許を証明する遺体も凶行の目撃者もなく、あるのは直近の不自然な大金遣いと峠の足跡、そして食い違う二つの証言のみ。町が自白を迫るなか、被告は証人らに対し、各々が見た真実を神に誓うよう要求する。確証なきまま犯人を仕立て上げようとする共同体の狂気と、ひとりの男の放免に至る審理を描く本格法廷中篇。

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長篇小説(ロマン)

灰の下の肉声

架空の鉱山街で起きた不審火により、資材倉の番人が焼死し賃金台帳が灰燼に帰す。夜間訊問のすえ、現場監督の妹が兄の放火を告発するが、庭にいた鉱夫二人はそれぞれ異なる指図の声を耳にしていた。過酷な密室訊問による自白に頼る裁判官らは判断を窮し、事案を上級法学者会議へと付託する。重なる借金、錯綜する時刻、沈黙の真意が突き合わされるにつれ、焦眉の問いは「誰が証言したか」から「何を真実と見なし得るか」へと変容してゆく。絶対の確証を渇望する近世司法の限界と人間の暗部を重厚に描く歴史法廷長篇。

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大河三部作(トリロジー)

未完の判決録

古文書修復家の女性が、旧領邦の古記録庫から虫食いの進んだ三つの裁判記録を見つけ出す。第一の記録は、山道での変死と灰色の外套のみを手がかりにした容疑者の審理。第二の記録は、正式な調書を欠いたまま得られた唯一の自白をめぐる放火事件。第三の記録は、収穫物の横領を疑われた女が近隣住民に誓詞を求めて対峙する紛争。修復家が欠落した紙片の復元を試みるなか、決して憶測で空白を埋めてはならぬという倫理の壁に直面する。疑惑、証言、そして証拠の境界線を静謐に問いかける連作法廷歴史小説。

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歴史的典拠と文学的再構成について

本篇は、原書『新ピタヴァル』所収の章「殺人者ハーン。一七六九年」(Der Mörder Hahn. 1769)の題名から次章「盲目の証人」(Der blinde Zeuge)の直前まで、底本OCR行番号25634–26467(原本頁付196–216、計5,838語)を全訳したものである。本資料は事件から百二年を経た一八七一年に刊行された司法年代記であり、当時の捜査原本や公判調書そのものではない。証人の供述、登場人物の言動、記録者の考察はいずれもこの後世の単一資料に帰せられる。拷問に関して、同章はライプツィヒ参審裁判所(Schöppenstuhl)の名と一七七〇年六月の答申を記しているが、証拠不十分を直接の契機とする因果関係までは明言していない。司法上、下手人の特定はなされておらず、ヨハン・ベルンハルト・ハーンは雪冤の誓詞を立てて放免され、被害者の素性も未詳のままである。クリスティアーネ・カタリーネ・ハーンは、判決に列挙された兇行について誓詞により身の証を立てることが認められ、これを誓約したうえで、自供した余罪により四年間の懲治場留置刑に処された。この誓詞による判決は、女が誓った不関与の事実を積極的に証明するものではなく、殺人の有罪宣告や偽誓罪と同列に解してはならない。同章では、遺体発見の前日である三月十六日に牡牛を即金で購入したとされ、子牛や履物の購入は発見後の数日間とされている。死亡推定日時と遺体移動の日時は画然と区別され、一部は曖昧なままである。年代記筆者は記録の欠落を認めつつ、憶測にすぎぬ仮説を提示している。なお、底本の亀の子文字(Fraktur)によるOCRは全体を通読したが出版物写真との一字ごとの校合は行っておらず、現代化された語釈および仏語訳の解釈は編集方針に従っている。

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