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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · 英国

隔壁の奥の水夫

一八八七年、三檣バーク船「レディ・ダグラス号」の船内にて、マレー人水夫ハセインが姿を消し、船倉深くに二箇月近くも立て籠もる事件が起きた。乗組員の手で燻し出された際、銃撃を受けて負傷した彼は、甲板へ引き揚げられた直後、頭部を撃ち抜かれて絶命した。陪審は船長ジェームズ・コックスおよび水夫ら三名に謀殺の罪を認めたものの、情状酌量を答申し、女王の特赦によって減刑が下された。コックスは懲役五年、エヴァンズとグリーブスは一年六箇月、ウェブスターは一年の獄中生活を言い渡されたのである。

二箇月近くもの間、一人の男が船の胎内に立て籠もり、息を潜めていた。その手には抜き身の刃物と鉄棒があり、乗組員らの噂では燐寸までも携えているという。頭上の甲板では、炊事用の石炭を汲み出すことすら恐怖の種となり、誰もが船倉の闇に降り立つことを躊躇った。船長は談判を試み、赦免を約したものの、夜毎に昇降口の蓋には釘が打ち込まれた。船がセントヘレナ島を離れるや、船内を満たしていた怯えは冷徹な謀議へと転じた。一八八七年四月二十三日、ハセインは船倉内で銃撃を受けて手負いとなり、甲板へ引き揚げられた末、頭を撃ち抜かれて息絶えたのである。

この英国船籍の三檣バーク船は、一月十一日に西オーストラリアのガスコイン港を発ち、ロンドンへと舳先を向けていた。乗組員はわずか十名にまで減じており、船長ジェームズ・コックスは二名のマレー人水夫、ハセインとカセインを雇い入れた。『新ピタヴァル』の記述によれば、ハセインの船員としての腕前は凡庸であり、仲間内から侮りや嘲弄を受けていたという。やがて軋轢は深まり、己の境遇を嘆いた彼は、証言によれば投身自殺を図ろうとしたが、甲板長補佐に押し止められたとされる。

二月二十一日、当直の最中にハセインの姿が掻き消えた。コックス船長は船内を隈なく捜索させたが、杳として行方は知れなかった。航海日誌には、事故あるいは入水による失踪と記された。それから十日後、甲板長補佐が前部船倉で眠りこけている彼を発見した。問い質されたハセインは、我が身の不幸に絶望し、死に場所を求めていたと口にした。彼は持ち場への復帰を頑なに拒み、武器を手にして、近寄る者は容赦せぬと威嚇した。石炭の貯蔵庫たるその船倉へ、水夫らは足を踏み入れることすらできなくなった。

船長は当初、彼を宥め賺して連れ戻そうと試みた。ハセインは水や食糧と引き換えに石炭の桶を満たすことには応じたものの、決して任務には戻らなかった。三月二十八日の夜明け、彼は突如として船長室に姿を現し、眠るコックスの肩に手を置いた。船長が驚愕して叫び声を上げるや、ハセインは脱兎のごとく逃げ出した。二名の士官に捕らえられ、一度は鉄枷を嵌められたものの、いつの間にかそれを抜け出し、再び船倉の奥深くへと立て籠もった。いかなる手立てで拘束を解いたのか、あるいは船内に内通者がいたのか、記録は詳らかにしていない。

水夫らの語るところによれば、夜間は通気用の開口部に板を打ち付けて塞ぎ、昼間は格子越しに外気を通したという。供述では水や乾パン、塩肉の給付が続けられたとされるが、その量や期間については証言ごとに齟齬がある。乗組員らは、不意の襲撃や放火、あるいは船底の破壊を恐れていた。鉄棒や工具を用いて危害を加えられるのではないかという危惧も募っていた。しかしながら、彼が実際に船へ火を放とうとしたり、船員の命を奪おうとしたりした確たる証跡は何一つ残されていない。

四月二十日、船がセントヘレナ島近海に達した折、ある水夫がマレー人二人を島で降ろすよう具申した。だがコックス船長はこれを退け、ハセインをロンドンへ連行して法の裁きを受けさせると言い放った。ところがその翌日、船長は日誌に一文を書き加えた。ハセインの殺害に異を唱えていた水夫チャールズ・ハントを名指しし、彼が武器を渡し、反乱を扇動したと告発したのである。後の公判において、ハントの共謀を裏付ける証拠は見出されなかった。ハント自身は、ただ煙草を恵み、英国本土まで無事に連れてゆくべきだと主張したに過ぎないと陳述した。乗組員の証言と航海日誌の文面を突き合わせるにつれ、船長が公に記した記録と、船内で密かに進められていた企図との食い違いが浮き彫りとなった。

四月二十二日、男たちは隠れ処のハセインを追い詰めるべく行動を起こした。隔壁越しに激しい攻撃を加え、銃火を浴びせた結果、一弾が彼の足首を砕いた。翌朝、再び昇降口の蓋が開けられた。甲板の男たちはみな銃を手にしていた。甲板長補佐グリーブスが小銃を放ち、水夫ウェブスターが船長の短銃を撃ち込んだ。記録の精査によれば、口火を切った一撃――おそらくはグリーブスの放った弾丸――がハセインの脇腹を抉ったとされる。水夫チャールズ・ハントがロープを伝って船倉へ降り、傷口を押さえる男の衣服に鉤縄を打ち込んで甲板へと引き上げた。すでに衰弱しきった彼には、抵抗する力など残されていなかった。そこへウェブスターが進み出で、その頭部へ向けて引き金を引いたのである。数分後、死体には沈めるための重石が結わえられ、波間に投じられた。

航海日誌の当初の記載には、この死が正当防衛による射殺であり、ハセインの凶暴な脅威に対抗した苦渋の決断であったと強調されていた。しかし検察側は、ロンドンで集められた証言と水夫ら自身の筆跡を武器に、船長らが前もって殺害を共謀し、すでに負傷して無力化した人間を一方的に撃ち殺したのだと断じた。対する弁護側は、二箇月に及ぶ極限の恐怖が船内を危険に晒し、凶器を携えた狂者を前にして船長は全乗組員の命を守る義務を負っていたと反論した。海上における規律の遵守と、上官の命への絶対的服従もまた論拠として掲げられた。

船が母港に着岸するや、船長は航海日誌を官憲に差し出した。予審は三週間に及び、治安判事が船員らを尋問する間、男たちは厳重な監視下に置かれた。食糧係のピーター・キングは日々の配給の実態と諍いの推移を詳述し、デイヴィッド・ソーもその大半を裏付けた。日誌において叛徒の汚名を着せられたハントは、自らの無実を訴え、凶行を思い止まらせようとした経緯を証言した。士官らは恐怖ゆえの行動であったと弁解したが、平水夫らの証言によって、銃撃の前からすでに殺害の謀議が巡らされていた事実が明るみに出た。制御不能の混乱から生じた悲劇か、それとも冷徹な合議に基づく私刑か――その境界が、法廷の焦点となった。

陪審審理は六月二十九日および三十日に執り行われた。コックス、グリーブス、エヴァンズ、ウェブスターの各大弁護人は、必ずしも歩調を一にしていたわけではない。正当防衛と船体の防衛を訴える者もいれば、ウェブスターの弁護人のように、上官の命令に従った一介の水夫に罪を問うことはできぬと主張する者もあった。検察官はこれに対し、いかなる軍規や船律といえども、もはや抵抗の術を奪われた者を処刑する権限など与えてはいないと論駁した。航海日誌が朗読されたものの、士官らの署名をもってしても、その虚飾を暴く生々しい証言の数々を打ち消すことは叶わなかった。裁判長は陪審員に対し、船長の権威が揺らぐことを恐れることなく、立証された事実のみに基づいて各人の責任の軽重を判断するよう命じた。

スティーヴン裁判長は、商船界全般への余波に惑わされることなく審理に集中せよと陪審を諭した。その論点は詰まるところ、切迫した必要性もないままに被告らが人の命を奪ったや否や、という一点に尽きた。便宜のための殺害や、すでに抵抗力を失った相手への凶行が正当防衛の名のもとに免責される道理はないと、裁判長は念を押した。乗組員らの怯えが真実であったとしても、甲板に引き揚げられたハセインがなお危険な存在であったことの証左にはならない。公判記録によれば、裁判長は最後の一撃を明白な殺人とし、事前の合議を重罪の情状と見做したのである。

およそ一時間の評議の末、陪審は四名全員に対し計画的殺害の罪で有罪の評決を下した。しかし同時に、彼らが法に対する無知と誤解から行動に及んだものと認め、寛大な処置を求める意見を付した。裁判長は死刑を言い渡した。だが、判決が下りても世論の喧噪は収まらなかった。船員組合や海事関係者がロンドンで集会を開き、乗組員らは自らの安全を守る一心であったと訴えて恩赦を嘆願した。その一方で、息あるうちに引き揚げられ、なす術もなく横たわっていた男を撃ち殺した冷酷さを指弾する声も根強く残った。

減刑の令状は、一八八七年七月六日、ホワイトホールの内務省よりもたらされた。ヴィクトリア女王の特赦により、コックス船長は懲役五年、エヴァンズとグリーブスはそれぞれ懲役一年六箇月、ウェブスターは懲役一年に減刑された。あの暗い船倉の底で繰り広げられた惨劇に対し、後世の倫理がいかなる審判を下したのか、記録は何も語らない。ただ、法律が「漠たる怯え」と「目前の急迫の危難」とを峻厳に切り分けた、その境目を浮き彫りにするのみである。乗組員らは長きにわたる恐怖に苛まれていた。しかし、死に至る一弾が撃ち込まれたのは、ハセインが血を流し、無防備のまま甲板に引き据えられた後であった。男の骸は大海原の底へと呑まれ、その船上で下された非情な決断の跡だけが、法廷の記録に永く刻まれることとなった。

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この実在事件の記録をお読みいただきありがとうございます。本事件をもとに3つの小説企画(中篇・長篇・三部作)を構想しています。あなたが最も読みたい作品にぜひご投票ください。

中篇小説(ノヴェラ)

最後の昇降口

全編を虚構で織り成す短編小説。架空の商船を舞台に、士官による食糧横領の証拠を握った水夫が船倉へと立て籠もる。暴動を恐れる船長と、秘密裏に水を運ぶ若い檣楼員。折悪しく嵐が舵を折り、乗組員は昇降口の蓋を開くか、船ごと沈むかの二者択一を迫られる。寄港後の査問会において、航海日誌の虚飾と水夫らの証言が火花を散らす。人物、船名、事件の顛末はすべて創作であり、史実のハセイン事件とは関わりを持たない。

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長篇小説(ロマン)

三檣船の審判

完全な創作による長編小説。水夫殺害の嫌疑をかけられた船長の審理のため、一人の予審判事が船に乗り込み、乗組員の尋問にあたる。男たちが語る「船倉」の姿は、ある者には恐るべき罠、ある者には逃れ場として、まったく異なる様相を見せる。異国の水夫の言葉を翻訳する書記官は、航海日誌の最初の記録が深夜の密議の後に書き換えられた事実を察知する。規律と怯え、そして集団の罪責が交錯する人間ドラマを描く。人物、船名、判決はすべて架空のものである。

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大河三部作(トリロジー)

航海記録の系譜

全三巻からなる架空の大河小説。第一巻では、絶海で孤立し、独自の掟を作り上げて生き延びようとする乗組員の極限状態を描く。第二巻は、日誌の記述と水夫らの証言が真っ向から対立する法廷劇。第三巻では二十年後、船上で通訳を担っていたある船員の遺稿が発見され、隠蔽された真実の全貌が白日の下に晒される。三隻の船、三つの世代を通じて、公的記録の欺瞞と海の闇を追究する。船名、登場人物、事件および裁判はすべて創作である。

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歴史的典拠と文学的再構成について

本篇は一八八七年の捜査記録および公判記録を要約したものであり、事件の訴訟記録全巻を網羅するものではない。航海日誌には正当防衛による射殺と記されていたが、証人らの証言および判事の判断は、事前の集団的合議の存在と、甲板へ引き揚げられ負傷した男に対する無抵抗の殺害を認定した。陪審は被告四名全員に計画的謀殺の罪を認めつつ、法解釈の誤認を理由に情状酌量を答申し、一八八七年七月六日に女王による減刑が下された。作中の情景や発言は、原典の記述に現れる範囲に留めている。

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