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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · エストニア

フェリンの二重毒殺

一八五二年、リヴォニアの小都市フェリンにて、靴職人エックの妻と隣家の錠前師メルクシュが、酷似した激しい病状の果てに相次いで世を去った。やがて義理の息子の告発によって墓が暴かれ、二つの遺骸から猛毒の砒素が検出される。調合薬の粉末、親族の証言、そしてエックと若き未亡人との浅からぬ仲が疑惑を深めるも、法廷は決定打を欠き、有罪判決を下せぬまま彼を「重き嫌疑者」と定めるにとどめた。しかし、法が下さぬ断罪を町の人々は許さず、住民たちの決議によって男は遥かなるシベリアへと追放されたのである。

一八五三年三月、リヴォニアの小都市フェリンにて、ルートヴィヒ・エックは親友であった男の未亡人と祝言を挙げた。この婚儀に先立ち、二つの棺が相次いで墓所へと送られていた。前年七月に息を引き取ったエックの先妻の棺と、それに続く九月、命を落とした隣家の錠前師メルクシュの棺である。医師たちはそれぞれの死因に病名をあてがい、世間は帳尻を合わせたはずであった。だが、喪の明ける間もない再婚は、近隣の者たちの胸に別の疑念を芽生えさせることとなった。

バルト海沿岸の静閑な町フェリンで、二家族の交わりはかつて類を見ぬほど睦まじいものであった。靴職人のエックは、錠前師メルクシュの家にまるで身内同然に出入りしていた。エックは四十代半ば、メルクシュは五十路に近かった。勤勉で快活なメルクシュは、二十歳年下のアンナ・ヴァイアーベルクを娶り、二人の子をもうけていた。一方のエックは、私立療養所を営む年上の未亡人と所帯を持っていたが、夫婦仲は冷え込み、口論が絶えなかった。

惨劇の影が落ちる以前から、エックは足繁く隣家を訪ねていた。子どもらと戯れ、若き妻アンナの傍らに長居する彼の姿は、誰の目にもとまっていた。妻は激しい嫉妬に駆られ、夫の軽挙を咎め立てた。エック家の女中リート・クリーナーの証言によれば、主人は膝に乗せた愛児をあやす振りをしながら、若い隣妻に口づけを交わしていたという。しかし当のメルクシュは、親友に対して微塵も疑いの色を見せず、全幅の信頼を寄せて迎え入れていた。

一八五二年春、エックの妻が病に伏した。病状は日を追うごとに悪化の一途をたどり、七月十九日に帰らぬ人となった。表向きの死因は水腫とされた。病床の妻を看病し、薬を飲ませていたのは夫のエックであった。医師のカールブロムが往診に訪れるのは稀であり、古くから仕えていた忠実な女中リートは、発病とともに突如解雇され、別の下女へとすげ替えられていた。暇を出される際、主婦はリートの耳元で「わたしを殺すのは病気ではない、別の人間たちなのだ」と掠れた声で囁いたという。

妻の埋葬からわずか二か月後、今度は錠前師メルクシュが突如として激痛に襲われた。激しい胃の痛みに始まり、喉と胸を焼くような苦悶が八日間にわたって彼を臥せらせた。喉の渇きは凄まじく、ひとときも安眠を得られぬまま衰弱していった。看病に当たったのは妻のアンナとエックであった。アンナが営みである居酒屋の仕事で手を離せない折には、常にエックが薬を含ませていた。九月十九日、錠前師は息絶えた。肺麻痺による病死と診断された。

服喪の期間は短かった。未亡人となったアンナは子どもを連れてエックの邸へ身を寄せ、エックは彼女の後見人となった。友の死から半年を経た一八五三年三月、二人は正式に籍を入れた。翌年には新たな命も誕生した。かつて二人の親密さを訝しんでいた近隣住民も、いつしか口を閉ざし、町は二つの死という忌まわしい記憶に蓋をしたかのように見えた。

ところが、一八五四年五月、思いがけぬところから過去が暴かれる。亡きエック夫人が前夫との間にもうけた長男カール・ヴァホフスキーが、徴兵のためサンクトペテルブルクからフェリンへと護送されてきた。途上のドルパット(現タルトゥ)で、護送将校に対し、カールは「義父が母を毒殺した」と訴え出たのである。その証人として引き合いに出されたのが、エックの実弟ヨハンであった。ヨハンもまた兄の犯行を告発したが、兄弟間にはかねて金銭をめぐる抜き差しならぬ確執があり、その証言には復讐の匂いがつきまとっていた。事実、初期の捜査でヨハンの申し立てには重大な矛盾が見つかり、毒を盛ったと主張する日時に、彼はフェリンの町にいなかったことが判明した。沙汰止みとなってもおかしくない端緒であった。

だが、疑念の火種は消えず、ついに前妻の墓が暴かれた。棺を開いた医師たちは息を呑んだ。顔面は黒変し、四肢はあたかも乾燥したミイラのように干からびていたにもかかわらず、内臓の組織は異常なほど原形を留めていたのである。化学鑑定の結果、諸臓器から砒素が検出された。少量の毒物を長期にわたり執拗に投与されたことによる慢性中毒死――これが医師団の下した結論であった。水腫の徴候はあったにせよ、死の真因が毒薬にあることは疑いようがなかった。

かつての細々とした証言が、突如として重苦しい意味を帯び始めた。女中のリートは、エックが施錠された箪笥の中に白い粉末を隠し持ち、妻が嫌がるのを無理に飲ませていた光景を証言した。見舞いに訪れた近隣のゼードルフ夫人も、激痛に身をよじる病妻が「もう薬はやめておくれ、医者か薬剤師を呼んで」と泣き叫ぶ中、エックが強引に白い薬を口に流し込むのを目撃していた。医者らは田舎へ出払っているとエックは言い訳したが、薬剤師シェーラーは、その日一日たりとも町を離れていなかったと証言した。エックは呼び出しを妨害した覚えはないと頑なに否認した。

なかでも痛切であったのは、亡き妻の看病を共にした義妹ユーリエ・ヴァホフスキーの告白である。義姉の死後、「誰にも明かさないで」と懇願された約束を守り、口を噤んできた彼女であったが、死の直前に義姉が放った言葉を法廷で明かした。「夫に毒を盛られているの」――苦悶、渇き、身もだえ、そして謎の粉末。すべての辻褄は合っていたが、それでもなお、個々の投与を直接立証する決定打には至らなかった。

捜査のメスは、第二の変死体へと向けられた。掘り起こされた錠前師メルクシュの遺骸からは、前妻のそれをはるかに凌駕する大量の砒素が検出され、医師らは急性中毒死と断定した。アンナは、夫の臨終に至るまで看病し、薬を与えたのは自分とエックの二人きりであったことを認めた。埋葬直前、医師のカールブロムが喉の切開解剖を求めた際、アンナが「どうか安らかに眠らせてやってほしい」と拒絶した事実も浮上した。彼女は、名も知らぬある婦人からそう助言されたのだと弁解した。

証言台には町の人々が次々に立ち、かつての二人の異様な親密さを証言した。同業の錠前師カンケヴィッチは、ある晩、エックが酒場で大振りのパンチ酒を三杯注文した後、療養所の見回りにかこつけて姿を消したため、後を追うと、中庭の暗がりでアンナと二人きりで密会していたと証言した。女中のリートも、二人の女の間に漂っていた抜き差しならぬ反目と、子どもを隠れ蓑にした接吻の数々を赤裸々に語った。エックは不義密通を断固として否定し、隣妻に口づけしたことは認めつつも、それは夫の面前での祝祭の戯れにすぎなかったと強弁した。

実弟ヨハンの証言は、依然として頼りないものであった。一八五一年にルートヴィヒが商人から砒素を買い求め、義姉の茶にそれを投じるのを見たと陳述したものの、供述は変遷を極め、自身の足取りについての虚偽も暴かれていた。砒素を売ったとされる商人シュムル・レヴィンも、鼠駆除用として時折薬品を売ることは認めたが、買い手がエックであったか否かまでは確証を持てなかった。弟の告発を確たる証拠として採用することは不可能であった。

エックはすべての嫌疑を、自分への遺恨を抱く弟の狂言であると撥ねつけた。さらに、メルクシュには商売上の敵が多かったとほのめかしたが、命を狙う具体的な人物の名を挙げることはできなかった。一方、未亡人アンナに対する訴追は見送られた。前夫の毒殺を共謀したと断定するに足る客観的証拠が欠けていたためである。疑惑の刃は、二人の死の床に常に侍り、先妻の莫大な遺産を手に入れたのちに親友の若き妻を我が物とした男、エックただ一人に集中していった。

しかし、下された判決は有罪ではなかった。リーガの法廷記録を引く『新ピタヴァル』が説くように、当時のリヴォニアの法制においては、完全な自白、あるいは二人の直接目撃者による一致した証言が揃わぬ限り、死刑や有罪判決を科すことができなかったのである。状況証拠がいかに黒に近かろうと、法が定めた厳格な基準を満たさぬ以上、民衆が待ち望んだ「殺人罪」の宣告は下せない。最上級裁判所が下した結論は、二件の毒殺について「重き嫌疑あり」とするにとどまり、形式上は無罪放免に近いものであった。

だが、町の者たちは、そのような法の建前を断じて受け入れなかった。フェリンの有力市民五十名が一堂に会し、エックをシベリアへ永久追放すべしとする住民決議を満場一致で可決したのである。統治当局はこの要請を追認し、トボリスクへの流刑が命じられた。アンナは生まれたばかりの赤子と六歳の娘を連れて夫に同行すると誓ったものの、中継地のリーガで子どもたちが相次いで病に倒れ、断腸の思いで道連れを断念した。エックはただ一人、荒涼たる東方の果てへと旅立っていった。それから星霜を経て、フェリンの町医者がトボリスクの地で、かつてのように靴底を繕いながら暮らすエックの姿を目撃している。法による極刑は免れた男であったが、隣人たちの下した掟が、その余生のすべてを決定づけたのであった。

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中篇小説(ノヴェラ)

最後の処方箋

バルト海沿岸の架空の港町。療養所の医師が、隣り合う二軒の屋敷で起きた不審な相次ぐ死に直面する。酷似する病状、食い違う遺族らの証言。薬種問屋の帳簿には、同一人物の名で不穏な劇薬の購入記録が残されていた。町じゅうが黒と信じて疑わぬ中、厳格な証拠を求める予審判事は苦渋の決断を迫られる――確証なき正義と世論の暴走を描く、緊迫の歴史法廷中編。

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長篇小説(ロマン)

湖畔街の相続人たち

湖畔の小都市を舞台に、先妻を亡くした医師が親友の若き未亡人と再婚を果たすが、直後に親友の遺言状の偽造疑惑が持ち上がる。二つの死をめぐる唯一の告発者は、遺産を狙う放蕩息子と、被疑者たる兄を憎悪する実弟のみ。法廷闘争が証拠不十分で決裂したとき、町を取り仕切る市民評議会は、私刑にも似た非情な追放決議へと舵を切る。司法の限界と共同体の闇を克明に描く長編歴史小説。

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大河三部作(トリロジー)

三つの熱病

一族に伝わる薬種屋の帳簿を軸に、三代にわたる運命の変遷を描く大河三部作。第一部では調合薬の不審な記録に気づいた女当主の葛藤を、第二部では一族の証言をめぐり法廷で偽証の誘惑に晒されるその息子を、第三部では歳月を経て発見された一通の古い処方箋から町の封印された過去を暴く孫娘の姿を追う。「毒」と「薬」の境界、そして時代とともに移ろう真実と司法のあり方を浮き彫りにする連作巨編。

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歴史的典拠と文学的再構成について

本 chronicle は、『新ピタヴァル(Der neue Pitaval)』所収の記録「リヴォニアにおける二重毒殺事件、一八五三年(Ein Doppelgiftmord in Livland. 1853)」(底本:Leipzig, F. A. Brockhaus, 1883、第4期第3巻、353–394頁、OCR行番号15606–17406)の全篇に基づき作成された。本文は単なる公判速記録ではなく、後世の法学的考察と批評を交えた回顧的叙述の形式をとる。一八五二年七月十九日のエック夫人死去、同年九月十九日のメルクシュ急逝、その後の発掘鑑定による砒素の検出、当時のリヴォニア法制(自白または複数の直接目撃証言を必須とする厳格な証拠法)ゆえに司法判決としては有罪宣告に至らず「重き嫌疑(verdächtig)」にとどまった経緯、そしてフェリン市民五十名の決議によるトボリスク追放に至る法社会学的過程が詳細に記録されている。なお、発掘鑑定の詳細および証言の事実関係について、他史料による独立した検証は行われていない。

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