盗まれた銅の価額は、五十八フラン八十サンチームであった。これに対し、検察官は六年間の鉄鎖刑を求刑した。物資の価額と一人の男の生涯、その二つの秤の間には、革命期に定められた古い法律の数行の条文と、罪を認め法廷に座す被告人の姿があった。リジアールは事実をすべて自白していた。ならば、あとは宣告を待つのみと思われた。しかし、弁護人が口火を切った法理の論争は、その語句の一つひとつが、彼が背負うべき責苦の重さを根底から左右するものとなったのである。
ブレストの法廷の片隅、一枚の用紙の余白を気にしながら筆を走らせる書記係の姿が目に浮かぶ。係は迷うことなく銅の価額を書き留めた。だが、求刑の年数が告げられた刹那、男はふと顔を上げ、被告を見やり、再び手元の紙へと視線を落とした。数字を記すのに要するのはわずかな紙幅にすぎない。しかし、その数字が一人の人間に科そうとする年月の重みを思い描くには、はるかに長い時間を要するのである。
防火水槽の陰にて
リジアールは、ブレスト軍港の造船所と徒刑場が交錯する世界で、警備隊書記局の番人として勤めていた。かつて騎兵隊で五年間の軍歴を重ねた男である。法廷において彼は非の打ちどころのない勤務証明書を提出し、検察側とて、今般の過ち以前に彼が港内でいかなる不始末も犯していなかった事実を認めていた。過ちがなかったからといって盗みそのものが消えるわけではない。だがその証文は、調書に記された名に確かな生身の重みを与えていた。この日を迎えるまで、彼は盗人などと指さされることなく、実直に働いていたのである。
数日前から、彼は防火水槽――常時水を湛えておくための木樽――の陰に転がっていた真鍮の塊に目を留めていた。新聞はこれを「ソモン(延べ棒)」と呼んでいる。それは徒刑場の中庭に置かれていた。リジアールは誘惑に抗しきれず、それを私腹に収めた。彼はその動機を家族の困窮のためと述べた。われわれには彼の家計の帳簿も、具体的に何を買い求めようとしていたのかも知る術はない。この理由は彼自身の口から語られた弁明であり、かつての貧躯の住居を訪ねて確かめた事実ではない。
その物品が置かれていた場所は、その価値以上に重大な意味を持つこととなる。リジアールは職場の敷地内でそれを見咎めたのだが、果たして彼はそれを保管する責務を負っていたのか。番人という肩書さえあれば、軍港内のあらゆる物品が彼の職責に基づく寄託物と見なされるのか。番人が銅を持ち去ったという外形だけを見れば、その差異は些細な言葉の綾に思えるかもしれない。だが、罪名が加重されれば六年もの鉄鎖に繋がれるとなれば、その差は奈落の深さほどに隔たっていた。
一八三一年八月二十三日、彼は海軍法廷に引き出された。罪状は重く、本人の自白によって検察側は証拠調べの手間を省くことができた。銅を譲り受けたとも、何者かが家に投げ込んだとも言わず、別の場所にいたと証言する者を募ることもなかった。争点はただ一つ、法がこの認められた事実から、いかなる処罰を引き出す権利を有しているかという一点に絞られた。
量刑を跳ね上げる言葉
検察官は千七百九十一年十月十二日の法律を盾に取った。その第一の条文は、物品の保管を特別に委ねられた者――その職務、取扱権限、あるいは寄託によって特別の監視義務を負う者――を対象としていた。続く条文は、その厳罰の適用範囲を番人を含むいくつかの職種にまで拡張していた。リジアールはその「番人」の肩書を有している。したがって、法に従えば六年間の鉄鎖刑を科すほかない、というのが検察の論告であった。
検察官自身、この刑の過酷さを否定はしなかった。だが、裁判官の務めは法を厳格に執行することにあり、個人の心情をもって法の命ずるところを曲げることは許されないと主張した。残された道は恩赦の請願か減刑のみである。しかし検察官は、海軍法廷に受刑者を特赦に推挙する権限があるかどうかについてさえ疑問を呈した。記録によれば、論告がこの点に至ったとき、裁判官たちの間に明らかな不快の気配が走ったという。
自らの疑義を補強するため、検察官はユルトという名の別の番人の前例を引き合いに出した。彼もまた窃盗で有罪となり、減刑の推挙がなされたものの、何箇月を経ても本府からの返答は途絶えたままであった。こうして行政の沈黙が、あたかも法の解釈であるかのように法廷に持ち込まれた。リジアールは、自らの請願の返事すら届かぬ不在の男の名を耳にしていた。恩情を願う望みにおいてさえ、役所の書類の山と、果てしない待命と、閉ざされた扉に阻まれているかのようであった。
法廷の奥に座す件の書記係は、この議論を調書のどこに挟むべきか途方に暮れていた。あらかじめ論告用と弁護用に一行ずつ欄を仕切ってあったのだ。だが、裁判官たちが眉をひそめたその不穏な空気は、定型の枠組みのどこにも収まらない。彼は二つの文の間に数行書き足し、それを読み返すと、筆を宙に止めた。目の前で繰り広げられる人間劇は、あらかじめ用意された公用文の枠紙をとうに溢れ出ていた。
彼が守る責務になかったもの
リジアールのために弁護に立ったクレレク兄弁護士は、窃盗の事実を言いつのろうとはしなかった。彼は、検察が根拠とする二つの条文を改めて共に読み直すよう裁判官たちに促した。第二の条文は、第一の条文において定義された「窃盗」を前提としている。ゆえに、法を適用する以上、その本質的な要件を欠かすことはできない。単に「番人」の肩書を持つだけでは足りない。持ち去られた物品が、その男の職務、取扱権限、あるいは寄託によって「特別に監視を委ねられていたもの」でなければならないのだ。
弁護人は力説した。リジアールはこの銅の塊を保管する特別の責務など負っていなかった、と。検察側は、法文にある職名と被告の役職名が一致するというだけで、この決定的な境界線を消し去ることはできない。彼は窃盗の罪を犯したにせよ、求刑された極刑に値する特定の加重窃盗を犯したのではない。弁護人は、一定額以上の一般窃盗を罰する別の条文の適用を求めた。
この弁護の真価は、派手な新事実の暴露にあるのではなかった。見知らぬ者が法廷に駆け込んで罪を被ることもなければ、隠された証拠が証言を覆すこともなかった。物は盗まれたままであり、盗んだのは目の前の男であることに変わりはない。ただ一つ違っていたのは、彼に課せられていなかった職責を、事後になって刑罰を重くするために背負わせることは許されない、という法理の筋道であった。
法廷はこの論理を容れた。リジアールが問題の銅の保管を特別に委ねられていたわけではないと認めたのである。判決は一般窃盗罪を適用し、頸手枷の刑、盗品の価額の三倍の罰金、軍港からの追放、および市民権剥奪を言い渡した。求刑された六年間の鉄鎖刑は退けられた。判決は彼を過酷な鎖からは救い出したものの、職を戻すことも、権利を守ることもなく、恥辱に満ちた刑罰を免れさせることはなかった。
軍港の門前にて
事件は一度の判決では幕を閉じなかった。検察側が破棄院へ控訴したためである。弁護人が勝ち取った成果は、再び覆される危機に晒された。しかし、八月三十日に開かれた破棄法廷は初審の判断を支持した。数日後に公表された裁判記録は、この結末をもって筆を擱いている。リジアールが広場で晒し台に縛りつけられた光景も、その後の家族がどのように飢えを凌いだかも、そこには一切記されていない。
記事を寄せた通信員は、さらに筆を進めて論評を加えた。特赦の推挙に対する検察官の疑念に異を唱え、軍港特有の苛烈な司法のあり方を痛烈に批判したのである。ユルトの件で返答がなかったのは単なる役所の怠慢にすぎず、国王の慈悲を乞う権利を否定する根拠にはならないと断じた。リジアールの一件は、彼個人の罪を超えて、刑罰の適正さと、それを和らげる権限を何者が有するのかという統治の暗部に光を当てたのであった。
この論争を法服を纏う者たちの空理空論として片付けることもできよう。だが、判決文に立ち返るだけで、そこに横たわる人間の痛みがたちまち蘇る。家族を救わんとした一人の男が、いまや職場を追われ、巨額の罰金を背負わされた。弁護人は彼を鉄鎖の牢獄から救った。だが、あの銅に手を伸ばす前の平穏な日常へ、彼の生を連れ戻すことは叶わなかったのである。
最後の場面、あの書記係は、リジアールの名が今なお記された当直名簿の傍らに、手控えの記録を重ねている。男は二枚の紙を見比べる。一方においてこの男は職務を持つ番人であり、他方において軍港から永久に追放されるべき罪人である。書記係は名簿の文字を消すこともなく、静かに他の書類の下へと滑り込ませた。それを訂正するのは自らの職務ではないからだ。男は帳簿を閉じ、明日の帳面を開いた。そこには誰かが、追放された番人の後任の名を書き留めねばならないのであった。
