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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
詐称と巨万の富 · フランス

伯爵と徒刑囚の証言録

ひとりの陸軍中佐が、司法の科す名を頑なに拒んだ。一八一八年から一八一九年にかけ、偽造文書、身体の古傷、そしてかつて彼を知る者たちの記憶をめぐり、サント=エレーヌ伯爵と脱獄囚ピエール・コワニャールの同一性をめぐる法廷闘争の幕が切って落とされた。

法廷の審理を滞らせるには、ただひとりの男が自らの名を拒むだけで足りる。一八一九年六月二十二日、重罪裁判所の公判廷において、筆頭被告人は依然としてピエール・コワニャールと呼ばれることに同意しなかった。男は自らをポンティス、サント=エレーヌ伯爵、陸軍中佐であると名乗り続けた。司法はすでに正反対の決定を下しており、手元には確定判決を携えていたが、男にもまた抗弁の言葉があった。裁判長はやむなく妥協策を見出し、彼を「第一被告人」と呼ぶことに定めた。こうして、裁かれる男から最初の妥協を引き出すことのないまま、審理は進められることとなった。

その一年前にも、この素性をめぐる審理は何日にもわたって法廷を占縛していた。将校が何に手を染めたかを究明する前に、彼が何者であるかを確定せねばならなかったからである。書面は伯爵の正当性を雄弁に物語り、証人らは徒刑囚の正体を告発していた。しかも難事は、軍服を身にまとう資格など毛頭ない無頼漢を暴き出すことにとどまらなかった。指揮官としての男は、実際に赫々たる軍功を立てていたのである。将校らはその勇気と才幹を称え、軍歴におけるその振る舞いは、貴族の添え名など足元にも及ばぬ強固な盾となっていた。何より、名誉ある士官たちが彼の働きに満ち足りていたのである。

検察側が白日の下に晒そうとした男の前半生は、ランジェの葡萄農家に端を発していた。ピエール・コワニャールは当初帽子職人を志したが、やがて銃を手に軍に身を投じた。しかし窃盗罪により十四年の徒刑を言い渡され、監獄へ送られた。公判の陳述によれば、一八〇五年にトゥーロンの徒刑場を脱獄した男は、そのままスペインへと逃亡した。そこで、弁護側に言わせれば彼にとって唯一の人生である第二の生が開かれた。すなわち、軍功を重ね、階級を上げ、堂々たる帰国を果たしたのである。逃亡者はポンティスの名を帯び、佐官の地位にまで上り詰めていた。

だが、伯爵を名乗る以上、その血統と父母を整えねばならなかった。それは軍服を誂えるよりもはるかに骨の折れる仕事であった。長年にわたる戦乱と動員の中で行方知れずの者は幾らでもいたが、戸籍簿は辻褄の合う説明を求めてくる。サン=ピエール=デュシュマンの町長のもとに、洗礼記録の探索を求める書状が届いた。登録が存在しないと知るや、差出人は証言をもって代用することを持ちかけ、見返りの便宜を約束した。公判でこれらの書状を突きつけられた被告人は、自筆であることを認めたものの、それらは実弟のための配慮であったと言い逃れた。

ソワソンもまた別の活路を開いた。火災によって公記録が灰燼に帰した事実と、ある宿屋で産み落とされた赤子の記憶である。公証人のもとで作成された周知調書が、この出生に合法的な装いを与えた。将校の手には、法廷で弁護人が提出しうる正規の権利証書が、錚々たる署名を伴って握られたのである。検察側は証言が欺瞞によって得られたものだと主張した。しかしその証書はすでに世に出回り、頑丈な扉を開かせ、公的台帳へと紛れ込んでいた。身分を証すはずだった一枚の紙片は、やがて男を縛る動かぬ証拠物件へと反転することになる。

上流社会に足場を固めたポンティスは、利用価値の高い名士たちとも交わりを結んだ。旧陸軍省調達部長プレヴォの妻が旧姓ポンティスであったことから、彼は親族としてその門を叩いた。プレヴォは後に、いかにして彼が親密な間柄へと入り込み、家族関係の申し立てや往訪を重ねたかを語っている。男の傍らには、妻として紹介されたスペイン人女性ローザ・マルセンの姿があった。尊称は紙片から会話へ、そして会話から温かな歓待へと浸透していった。前日に迎え入れた従兄弟に対し、翌朝になって出生証明書の提示を求める者など誰もいなかったのである。

その平穏を打ち破ったのは、奇しくも全く別の世界からの視線であった。観兵式の最中、かつての徒刑囚がこの将校を見咎め、警察へ密告したのである。最初の逮捕劇ののち、男は再び逃走を遂げた。一八一八年五月、彼は官憲の手中に落ちた。身元をめぐる法廷闘争は七月二日に幕を開けた。すべての証言者が男をコワニャールと認めたわけではなかった。記憶は曖昧模糊としており、徒刑場の元職員にいたってはアレクサンドルという別の名で呼ぶ始末であった。弁護人を務めた若きデュパンにとって、確証を欠くこれらの証言の揺らぎは、男を知ると豪語する者たちの証言と同じ重みを持つ武器となった。

傍聴席にいたヴィギエという男が、さらに異なる証言をもたらした。彼はかつてコワニャールを下宿させており、コワニャールは彼の娘の代父を務め、今なお借金を残しているというのである。ヴィギエの妻もまた、続く公判でその証言を裏付けた。被告人は署名、人相書、果ては歯並びに至るまでの精密な検証を求めた。男は証人らの記憶が一致することを決して許さず、ことごとく疑義を呈した。弁護人は警察の手法にも異議を申し立てた。公判前、ヴィドックがヴィギエの妻を獄舎に同席させ、事前の面通しを行っていたことを激しく糾弾したのである。

弁護側は、事件の年歴を根底から覆す証人を求めてスペインにまで手を伸ばした。もしコワニャールが足枷に繋がれていた時期に、伯爵が半島で従軍していたとすれば、両者が同一人物であるはずがない。ある聖職者は彼を現地で見かけたと信じていたが決定的な日時を特定できず、別の証人は一八一二年以降しか彼を知らなかった。これらの証言は半島にいた事実を認めるにとどまり、求めていた「物理的不可能性」を立証するには至らなかった。被告人は証人たちに、当時の屋敷、交友関係、交わした会話を喚起させた。単に自分を記憶している者ではなく、鉄壁のアリバイとなりうるほど古い記憶を証言してくれる者を、男は切実に求めていた。裁判所は弁護側に猶予を与え、審理は七月二日から十日、さらには二十日へと引き延ばされた。

貌の記憶が惑わすならば、身体こそが真実を語るべきではないか。デュパンはかつての徒刑囚の人相書を提出し、そこに記された身長、痣、古傷が、依頼人の身体といかに合致しないかを対比してみせた。そして医師による鑑定を要請した。検察側はこれに対し、過去の人相書自体が相互に食い違っていることを突きつけ、杜撰な記録から期待通りの証拠を導き出すことは不可能であると反論した。さらに、押収された一通の手紙が弁護側を窮地に追い込んだ。弟アレクサンドル・コワニャールに宛てたその書状には、脱獄前の時期に被告人がスペインにいたと証言させるための細工が指示されていたのである。男はただ真実を語らせようとしたに過ぎぬと強弁した。

一八一八年七月二十日、被告人の身元はピエール・コワニャールであると認定された。過去の確定判決が執行されることとなり、新たな余罪については別個の予審に付されることとなった。伯爵は抗議の声を上げた。十一個月後、七人の共犯者とともに再び法廷に引き出されたときも、その異議申し立ては微塵も揺らいでいなかった。しかし、争点はすでに変貌していた。もはや高貴な名を騙って舞い戻った脱獄囚であることを立証するだけでは足りず、文書偽造と数々の窃盗を立証し、各人の関与を峻別し、証拠物件と証言をその帰結に至るまで丹念に辿らねばならなかった。

ひとつの腕輪が、人々のあやふやな記憶の突合よりもはるかに決定的な一致を示した。ルフェーヴル嬢が手元に残されていた片割れを持参したところ、その留め金は、証拠品として法廷に置かれていたもう一方の金具と寸分の狂いもなく噛み合ったのである。裁判官と陪審員がその整合を検分した。スペインのマルティ将軍をはじめとする人々によって、他にも数々の品が盗品として確認された。コワニャールはロドリゴという商人の名を挙げたが、その者を法廷に喚問することは叶わなかった。弁護人ミヨは、盗品を所持していたという一事をもって、直ちに窃盗の実行犯であると断定することはできないと論じた。弁護側は、検察が一足飛びに越えようとする論理の階段を、一段ずつ押し戻していった。

予審段階であれほど確実に見えた証言も、法廷では輪郭を失うことがあった。セルジャン・ド・シャンピニーは、当初自らのものと認めていた押収品について断定を避けるようになった。検察官は彼の邸宅に対する家宅侵入窃盗の起訴を取り下げた。逮捕の際の銃撃戦もまた議論の的となった。コワニャールは応戦したまでだと主張し、手に傷を負った官吏は証言に現れなかった。検察官は、殺人未遂の容疑については立証が十分でないとして陪審の判断に委ねた。名を騙った男の罪責が、それだけの理由によってすべての嫌疑を真実ならしめるわけではなかったのである。

ローザ・マルセンにも独自の弁護が尽くされた。マルティ将軍邸への彼女の訪問は、窃盗の下調べと見なされるべきものだったのか。彼女は全く異なる事情を陳述した。彼女の弁護を引き継いだデュパンは、受け取った装飾品の出所を彼女は知らず、内縁の夫の悪事には一切関与していないと主張した。五日間に及ぶ審理の末、六月二十六日、陪審は彼女に無罪を言い渡した。ローランス・ローラン、ルノルマン、ソフィエ、カレットの各被告も同様に無罪となった。ピエール・コワニャールは文書偽造および複数の窃盗について有罪とされたが、計画的殺人未遂については無罪とされた。レクセランには禁錮五年の刑が科された。暴力を伴う窃盗未遂で有罪となった弟アレクサンドル・コワニャールは、ピエールと同様、無期徒刑を言い渡された。

しかし、無罪判決が下されたからといって、ローザ、カレット、ソフィエの獄扉が直ちに開かれたわけではなかった。コワニャールの逃亡中に旅券を用立てた廉で、新たな追訴が持ち上がったためである。七月十七日、軽罪裁判所は彼らが情を知って関与した証拠はないとして釈放を命じた。残されたのは兄弟の上告であったが、七月三十一日、その有罪判決は確定した。コワニャールは、自由を守らねばならなくなる最後の瞬間まで、自らの名を死守しようとした。法廷はその名も自由も容赦なく剥奪した。だが、審理を経て放免された人々が手にしたのもまた、冷徹な法意であった。すなわち、偽りの伯爵の傍らに身を寄せていたという事実だけでは、その罪責までを分かち合う理由にはならないということである。

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中篇小説(ノヴェラ)

三列目の傍聴人

完全新作の中編小説。荘厳な式典の最中、元徒刑囚の男が、かつて獄中で我が身を庇ってくれた将校の姿を認める。男は命の恩人を前に告発をためらうが、沈黙を守れば、警察がその将校と誤認している別の逃亡者が無実の罪に沈むことになる。式典の喧噪から告発状の提出に至る、息詰まるたった一日を描き出す。二人の男の間にある恩義と負債――一方に真実の名を取り戻させることは、他方を救うと同時に、己の受微たる唯一の恩情を打ち砕くことを意味していた。

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長篇小説(ロマン)

七つの署名

完全新作の長編小説。政権崩壊後の不穏な時代、公証人役場に雇われた若き女性代書人を描く。彼女は七人の証言に基づき、焼失した出生証明書の復元作業に着手する。だが署名者のひとりが不審な失踪を遂げたことを機に、残る者たちが書類の返還を求め始め、同一の家系について相容れない証言を口にし始める。彼女の探偵行は、公証役場の帳簿から、主筋よりも確かな記憶を抱く使用人たちの暮らす裏長屋へと及ぶ。彼女が突き止めるのは正当な後継者の姿にとどまらず、出生の事実が未来永劫証明できぬことを最も望んでいた黒幕の正体であった。

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大河三部作(トリロジー)

不在の系譜

三つの世代と三度の政治的動乱を駆け抜ける大河三部作。第一部では、散り散りとなった名家の血統を騙り、宮廷へと成り上がる野心的な将校の栄達を描く。第二部ではその娘が、自らの婚姻が父の偽造文書の上に築かれた砂上の楼閣であることを知り、折しも海外から真の正統後継者を名乗る者が現れて地位を脅かされる。第三部では、さらなる政変ののち、一族の古文書の開示を命じられた孫の葛藤を追う。各巻が独立した謎と結末を持ちつつ、偽りの名がいかにして本物の血肉の情愛、争われる権利、そして嘘に加担せぬまま翻弄された犠牲者たちを生み落としていったかを浮き彫りにする。

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歴史的典拠と文学的再構成について

実際に参照した一次史料は一八二七年刊の裁判記録集『著名刑事裁判録(Causes criminelles célèbres)』第二巻、二二一〜二八七頁(約一万七五三八語)。本書は弁論抜粋と解説を交えた回顧的編纂物であり、法廷速記録そのものではなく、一部の弁論は割愛されている。二八四〜二八七頁の判決主文を含む計十六点の原書図版を照合済み。一八一八年七月二十日の身元確認判決と、一八一九年六月二十二〜二十六日の偽造・窃盗に関する本案審理を峻別。弁護側の主張と検察の論告を明確に区別し、人相書の不一致をもって無罪の予断を下す記述は避けた。シャンピニー邸に関する訴因撤回、殺人未遂の不認定、ローザ、ローラン、ルノルマン、ソフィエ、カレットの無罪、およびその直後の七月十七日に下されたローザら三名の旅券不正交付に関する免訴を正確に反映。兄弟の上告棄却(七月三十一日)について原拠の範囲内で記載し、後代の事実は加筆していない。独立した他史料の裏付けは未了であり、社内報告書としてこの限界を明記する。百八十五件の事件台帳および草稿との名照合により重複はなく、コレやマルタン・ゲールとは明確に峻別された独立の記録である。

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