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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · フランス

プイィの凶刃

1832年6月19日、プイィ=ル=モニアル。祝言を挙げてわずか十日後、ジャンヌ・デロッシュは懐に刃物を忍ばせ、実家へと向かった。母、二歳の姪、寡婦のジョルジュ、そして隣家の七歳の男児がその手にかかって命を落とし、男児の母もまた傷を負いながら辛うじて生き延びた。捕らえられたジャンヌは犯行を認めたものの、その供述は変遷を極めた。当時の医師らは医学的見解から病理を論じたが、陪審は計画的な故殺と認定しつつ、情状酌量を認めた。下された判決は、徒刑十年であった。

祝言を挙げてわずか十日目の朝、ジャンヌ・デロッシュは刃物を携え、夫の待つ家をあとにした。ポミエの村から一ルーグ(約四キロ)ほど離れた生家へ里帰りするのだと、周囲には言い残していた。道中、彼女はまず実姉の家に立ち寄る。折あしく大人の姿はなく、一室で幼子二人が眠りに就いており、隣の間では祖母が体を休めていた。ジャンヌは眠っていた二歳の姪クロディーヌの首元へ、突如として凶刃を突き立てた。ただ一声、幼子の短い悲鳴が響き、異変を察した老祖母が駆けつけたときには、子はすでに事切れる寸前であり、ジャンヌの姿はすでにかき消えていた。

1832年6月19日のことである。去る6月9日、ジャンヌはポミエに暮らすコルジェという男に嫁いだばかりであった。この惨劇の朝、夫は野良仕事のため夜明け前には床を離れていた。彼女は実家のあるプイィ=ル=モニアルへ行きたいと告げ、夫もそれを咎め立てしなかった。彼女は懐に刃物を忍ばせて家を出たのである。記録官シャンパニャックの記すところによれば、ジャンヌはのちに「母を殺すつもりで家を出たが、これほど多くの命を奪うつもりはなかった」と述べたという。ごくありふれた里帰りの装いで始まった道行きは、ほんの数時間ののち、親族や近隣の家々を血で染める修羅場と化した。

ジャンヌは齢二十七であった。嫁ぐまでは未亡人であった母デロッシュの傍らで暮らし、その人となりは温和で信心深く、周囲への献身を惜しまぬ娘として信望を集めていた。姉の一人はシャンパール家に嫁いで二児をもうけており、ジャンヌ自身もコルジェと夫婦の契りを交わしたばかりであった。近隣には、彼女が日頃から親身に世話を焼いていた貧しい老女や、病床の看病にあたった隣人もいた。それゆえに事件後、みずからがかつて情を注ぎ、助けの手を差し伸べていた人々ばかりがなぜ標的となったのか、村人らは激しい当惑に包まれることとなる。

瀕死のクロディーヌのもとへ祖母が駆け寄っていた頃、ジャンヌは迷うことなく母の家へと足を向けていた。母デロッシュは馬小屋におり、二本の小さな鶴嘴の手入れをしていた。二人は平穏に挨拶を交わしたが、次の瞬間、娘は母を突き倒し、刃物で激しく切りつけた。さらに手近にあった鶴嘴を奪い取ると、母の頭部を容赦なく打ち据えたのである。のちに検分した医師らが頭蓋の粉砕骨折を認めるほどの一撃であった。亡き父の没後、手厚くいたわり仕えてきた母が、彼女の手にかかった第二の犠牲者となった。

ジャンヌは母の遺骸をあとに、上階へと駆け上がった。瓶を叩き割り、木製の乳鉢や灯火を粉砕し、祈祷書や教理の手引書をずたずたに引き裂くと、姉の衣装や衣類をことごとく引き裂いて、部屋の中央へ山と積み上げた。彼女が打ち砕いた書物は、地獄へ堕ちるのではないかという恐怖に苛まれていたここ数箇月の間、彼女自身が憑かれたように読み耽っていたものと同じ類いの信心書であった。

隣には、寡婦のジョルジュことクロディーヌ・ブロンデルの家があった。ジャンヌは急な木製の階段を駆け上がり、話があると声をかけた。返り血に染まったその姿を目にした老女は、「お前、一体どうしたというのだ」と驚愕の声を上げた。ジャンヌは突如として老女に躍りかかり、頭や首、指先に深い傷を負わせた。揉み合いの果て、彼女は老女を階段の下へと突き落とし、その場から逃走した。シャンパニャックの記録は、この日落命した四人の犠牲者の中に、この寡婦ジョルジュの名を数えている。

次いでジャンヌは、未亡人ドルヌロンの家へと向かった。家の中では、ドルヌロンが七歳になる息子とともに部屋にいた。戸口に立ったジャンヌは「表通りで誰かが叫んでいる、早く見に行きなさい」と声をかけた。母親が訝しんで通りに面した隣室の窓へ向かった隙に、ジャンヌは部屋へと滑り込み、男児へ刃を向けた。深く刺し貫かれた傷が致命傷となった。我が子の悲鳴を聞きつけた母が駆け戻ったものの、もはや手遅れであった。

ジャンヌはさらにドルヌロンの母親にも襲いかかった。首筋に浅い傷を負わせ、その指に激しく噛みついたが、母親が必死の力で応戦し、押し倒されるのを防いだため、ジャンヌは凶行を断念して逃亡した。彼女は母の家へと引き返し、地下の酒蔵へと身を隠した。大樽の上部にある栓を抜いて刃物をその中へと沈め、さらに樽の底にある小栓を引き抜いた。溢れ出た葡萄酒が、石の床を赤く染めていった。

ドルヌロンの未亡人は、ジャンヌが酒蔵へ駆け込む姿を目撃していた。彼女の叫び声に近隣の男女が集まり、瞬く間に家を包囲した。酒蔵から抜け出して逃れようとしたジャンヌは、その場で取り押さえられた。村長、治安判事、国王検事、医師団、そして憲兵が直ちに招集された。犯行の全容を解明するとともに、日頃からその言動で周囲を不安配させていたこの若い女の精神状態を突き止めるべく、捜査が開始された。

6月19日、国王検事および医師らの立ち会いのもとで行われた尋問において、ジャンヌは自らの所業を認めた。ポミエを発つ際、母を殺害する意図は抱いていたものの、これほど多くの者を手に掛けるつもりはなかったと供述した。彼女が挙げた動機は二つあった。母が常に姉ばかりを偏愛していたという思い込みと、信心書の読書を通じて植え付けられた、地獄の業火に堕ちるという強烈な恐怖であった。医師らは、彼女の脈拍が激しく打っているものの、その受け答えは明晰であり、記憶も正確であると認めた。当時の診察では肉体的にも問答の上でも狂気の証跡を見出すことはできず、さらなる経過観察が必要であると判断された。

6月21日、予審判事による再度の尋問が行われた。二日前のジャンヌの言葉には、悔恨と居直りが奇妙に入り混じっていた。「もう一度同じことをしてやる」「何とも思っていない」と言い放つ一方で、母が死に値するような罪を犯したわけではないとも認めていたのである。ところが21日になると、彼女は「あれほど私を愛してくれた」母について語りながら涙をこぼし、幼いドルヌロンの少年に思いが及ぶと、激しく取り乱した。「あんなにも愛らしかった、可哀そうなあの子を!」と叫び、言葉を詰まらせた。犠牲者たちへの情念も、その供述も、単一の論理で推し量ることは到底できなかった。

さらに彼女は、祈祷書がみずからを苛み続けていたと語った。読めば読むほど、祈れば祈るほど、自分は地獄へ堕ちるに違いないという確信が深まり、夜も眠れず、獣の悪夢に怯えていたという。またある時は、肩の奥で「何かが蠢いた」とも、激しい逆上によるものだったとも語り、あるいは自分が何をしたのか定かではないと口走った。地獄への恐怖、不眠、そして奇矯な振る舞いは、婚姻の前から実姉のマリーや周囲の者たちによってすでに気づかれていた。記録官シャンパニャックは、これらの前兆を凶行や宗教書の破砕行為と直結するものと見なした。

その後、ヴィルフランシュの三名の医師が獄中のジャンヌを精神鑑定にかけた。その報告書において医師らは、彼女が平素から抱えていた鬱屈が脳に作用し、知的能力を狂わせた可能性があると推察した。そして犯行の要因として「宗教的偏執狂(モノマニー)」あるいは「悪魔妄想狂(デモノマニー)」という病名を提起した。これらは当時の医学界において用いられていた概念である。弁護側はこの鑑定を盾に取り、一方の訴追側は陪審に対して犯行事実そのものを問い糾した。ジャンヌは囚われの身のまま、審理の進展を待つこととなった。

八月のはじめ、リヨンのロアンヌ刑務所に移送されていたジャンヌの態度が突如として急変した。夜驚症に時折怯えながらも平穏に過ごしていた日々から一転、突如として他の女囚らに殴りかかったのである。手には武器を持っていなかったため、看守らに取り押さえられて地下独房へと押し込められた。彼女は夜通し叫び声を上げ、記録によれば頭を壁に打ちつけて深い傷を負ったという。弁護人がこの新たな暴行を詰問すると、彼女は「今度のは、前のときよりもそんなに酷いことだったでしょうか」と静かに問い返した。

弁護人を務めたマルジュラン弁護士は頻繁に接見を重ね、彼女の受け答えから、その精神が破綻していることを確信していた。法廷の最終弁論において彼は、ジャンヌを断頭台へ送るのではなく、監禁して監視下に置くべきであると主張した。原典の記録官も弁護側の立場に理解を示し、陪審の評決に生じた迷いを描き出している。陪審員らは、謀殺および計画性の有無については肯定の判断を下したものの、七票以上の過半数をもって情状酌量の余地を認めたのである。

ジャンヌ・デロッシュには、さらし台での晒し刑を免除した上で、徒刑十年および訴訟費用の負担が言い渡された。

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中篇小説(ノヴェラ)

ポミエの赤き糸

完全な創作による短編構想。舞台はポミエ、ある朝、実家の母を訪ねた若き針立ての女を軸に描かれる。夕餉の前には家に戻ったはずの彼女であったが、二日後、実姉は「あの子は丸一日滞在していた」と頑なに言い張る。二人の言葉の食い違いを暴くのは、赤い糸で縫い合わされた一着の外衣であった。姉に生地の横領の濡れ衣が着せられるのを防ぐため、針立ては二つの家が秘めてきた沈黙を破るべきか否かの決断を迫られる。日常の里帰りが家族の運命を揺るがす葛藤劇へと変貌する物語。

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長篇小説(ロマン)

二つの村の狭間に立つ家

完全な創作による長編小説の構想。新婚の若き女が、夫の待つ家と老いた母の暮らす生家との間を行き交いながら日々を過ごしている。母の家を訪ねるたび、彼女は陽が落ちる前に戻ると誓うのだが、ある日、彼女の帰宅が遅れた理由について姉は頑として口を閉ざし、やがて村中が双方の家に疑いの目を向け始める。織工としての自立した生業を守りつつ、家族の絆をも守り抜こうともがく主人公。自律と家の掟の相克を描く心理歴史小説。

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大河三部作(トリロジー)

プイィの門扉

完全な創作による三部作の大河小説構想。隣り合う寒村の三つの家を結ぶ、秘密と忠義の連作劇。息子の負債を隠し通そうとする母、友を庇うために証言を違える二人の姉妹、そして自らの織物工房をどちらの村に構えるべきか煩悶する若き妻。ありふれた日常の訪問が、家々に眠る古い確執と秘密の扉を開いてゆく。変遷する証言の狭間で、共同体は最も脆き者をいかに守るのか。血縁の軛、義理、そして過酷な選択を描き出す。

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歴史的典拠と文学的再構成について

原典第八巻第四十一節を全訳・精読(空白を含む文字数算定にて3,748語、SHA-256照合済)。記録官シャンパニャックは冒頭において当時の偏執狂(モノマニー)説に好意的な見解を示し、全体として弁護側の論理に傾斜しつつも、陪審員が計画的殺人(謀殺)を肯定した事実を忠実に記している。婚姻前のジャンヌの素行に関する描写および審問記録の引用は、記録官および彼が引用した証言者たちの記述に準拠した。最初の医学鑑定では精神錯乱の証跡は認められず、その後に意見を求められた三名の医師が「宗教的偏執狂」あるいは「悪魔妄想狂」なる十九世紀特有の医学概念を提示したが、これらは当時の記録に現れる用語であり、現代精神医学の診断基準に基づくものではない。ジャンヌは犯行を認め、母を殺害する意図はあったが多くの者を殺すつもりはなかったと述べる一方、家族間の葛藤と宗教的苦悶が入り混じった動機を語っており、6月19日と21日の供述には顕著な食い違いが見られる。シャンパニャックはこの悲劇の犠牲者を四名と数えており、本文中ではクロディーヌ・シャンパール、実母、ドルヌロンの男児の絶命を詳述し、さらに襲撃の中で階段から突き落とされた寡婦ジョルジュについても死亡者の一人として算入している。判決は情状酌量付きの謀殺罪を認め、さらし刑を伴わない徒刑十年および訴訟費用の負担を言い渡した。刑期満了後の動向に関する記録は残されていない。

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