千八百六十年十二月十五日、オスマン帝国公債の初回債券を求め、応募者たちがミレス金庫の店頭へと殺到していた。前日、同社は資本金のうち五千万フランを償還すると布告したばかりであった。パリの街において、その報せは同社の磐石たる繁栄を裏づけるものと信じられた。だがその時、列をなす群集の間に不穏な囁きが走る。執務室に司法官が踏み込み、帳簿には封印が施され、主宰者ジュール・ミレスに捜査のメスが入ったというのである。それまで同社の手腕に寄せられていた絶大な信認は、瞬く間に暗雲のごとき動揺へと転じた。
千八百七十一年にドイツで刊行された『新ピタヴァル』の一章は、この破滅の軌跡を、産業革命の興隆を留まる所を知らぬ投機の薪に過ぎぬと錯覚した一人の相場師の転落劇として描き出している。編者は法廷劇の推移と弁論の記録に道徳的な評注を織り交ぜており、そこには往時の反ユダヤ的偏見の影も色濃い。されど、そうした論難は十九世紀の編纂者が抱いた偏頗として退けねばならず、歴史の証左と混同してはならない。本稿では、告発の事実、重なる判決、そしてミレス自身の弁明を、冷静に截然と区分して辿ることとする。
言論の力と信用の罠
ジュール・ミレスは千八百九年、ボルドーに生を享けた。同書はその生い立ちを、薄給の勤め人や商売の挫折から、千八百四十四年以降に足場を固めたパリ証券取引所に至るまで丹念に追っている。彼は仮株を市場に流通させ、新聞社と手を組み、金融事業をいかに華々しく演出し応募者を惹きつけるかという機微を心得ていた。ミラウとともに『鉄道新聞』を手中に収め、やがて『ル・ペイ』や『ル・コンスティテュシオネル』の経営にも深く関与するにいたる。『ピタヴァル』はこの事業における広告宣伝の絶大な影響力を強調するが、その出自に向けられた編者の憶測は偏見の産物に過ぎず、事業そのものの歴史的実態とは峻別されねばならない。
やがて彼の興した事業体は「鉄道総金庫」へと姿を変えた。千八百五十年以降、資本の集約、投資の斡旋、そして巨大産業計画の推進を一手に引き受けるようになる。マルセイユ近郊の炭鉱、溶鉱炉、ガス灯事業、干拓事業、さらには鉄道敷設に至るまで、巨額の資金が注ぎ込まれた。その触手は国境を越え、イタリアの鉄道網、パンプローナ=サラゴサ線、スペイン公債、そしてオスマン帝国公債へと拡大を続けた。同書が描き出すその組織の実態は、実際の工事の進捗を遥かに置き去りにして、資本の吸い上げと世論の煽動ばかりが疾走する危うき怪物であった。
ローマの鉄道計画に躍った数字は、その野心の途方もなさを如実に物語る。約六百キロの路線を敷設するため、金庫は一億七千五百万フランの巨額資本を計上した。募集が始まると、用意された十七万株を遥かに上回る応募が殺到する。ミレスはその株式を自社や提携者、監視委員会へと優先的に配分し、一般の応募者にはごく一部しか行き渡らせなかった。さらに彼は、額面を上回る高値で自社株を買い支え、その額は二百万フランを超えたと『ピタヴァル』は記す。だが、相場が暗転するや株価は暴落し、資金の流入は途絶え、現場の工事と未払いの債務が悲鳴を上げるなか、破綻の淵で新たな現金を工面せざるを得なくなったのである。
かくして物語は、寄託され、あるいは担保として差し入れられていた有価証券の流用という暗部へと踏み込んでいく。検察の主張によれば、ミレスとその共同経営者ソラールは、正当な権限なきまま顧客の証券を市場で密かに売却し、帳簿上はあたかも金庫の手元に留まっているかのように見せかけていた。回状では清算と将来の買い戻しを約束していたものの、預託者に示された計算書は実際の売却実態を偽っていたとされる。問われたのは、単なる投機的事業の挫折ではない。預けられた他人の財産を、あたかも我が物であるかのごとく費消したか否かという、委託の背信そのものであった。
解剖される会計帳簿
この内部の亀裂が世に露見した契機は、監視委員会の重鎮ポンタルバ男爵が、手数料および利益の分配として百七十万フランの支払いを要求したことであった。男爵はミレスとソラールを、背任、帳簿の偽造、そして顧客への詐取の廉で激しく指弾した。最初の告発に飽き足らず、千八百六十年十二月二日、男爵は帝国検事へ正式に告発状を提出する。直ちに捜査の手が伸び、帳簿が押収され、ミレスへの訊問が始まった。ミレスは身の潔白を主張し、自らが国家の産業に尽くした功績を並べ立て、本件は不当な圧力をかけるための謀略に過ぎぬと一蹴した。
ミレスはポンタルバとの間で和解を取り結んだものの、百余万フランに上る大金の支払いは、かえって世の疑心暗鬼を決定づける結果となった。金庫はなおも営業を続けていたが、同書によれば、放漫な投資、市場での損失、そして積み上がった社債の重圧により、その屋台骨はとうに軋んでいたという。千八百六十一年二月十七日、ミレスは拘引され、マザス刑務所へと収監された。数週間後、商事裁判所は会社の解散を命じ、清算人に後始末を委ねる決定を下した。
検察の告発を根底で支えたのは、綿密な会計鑑定であった。モンジノがまとめた鑑定報告書は、無断で売却された証券の数々、未実現のまま計上された架空の利益、そして疑義ある棚卸資産に基づいて算出された配当のからくりを白日の下に晒した。公訴事実には複数の罪状が並んだ。金庫に託された証券の横領売却、預り証の交付のみで引き出された株式、約束された社債に代わる仮証書の乱発、そして鑑定人が「架空」と断じた違法配当の分配である。ミレスはこの鑑定手法に真っ向から異を唱え、自ら『我が裁判官たちへ――我が生涯と我が事業』と題する弁明書を上梓した。彼は、売却はすべて会社の急場を凌ぐための正当な処置であり、有価証券とは代替可能な消費物であって、同種の証券をもって補填しうるものだと強硬に主張した。
千八百六十一年六月から七月にかけて開かれた法廷には、行員、顧客、そして会計鑑定人たちが証人として召喚された。多くの預託者が、愛着ある自らの証券が見知らぬ間に売り払われていた事実を事後に知らされたと証言した。証券を取り戻すために執拗な抗議を余儀なくされた者もいれば、架空の相場に基づく強制決済の果てに、身に覚えのない負債を背負わされた者もいた。元行員の一人は、顧客用の計算書には決して表れない、裏の売却記録を記した秘密帳簿の存在を暴露した。経営者側はこれに対し、預託証券を事業資金に充当することは慣行上の権利であり、顧客には後に相応の補償がなされていると反論した。
金庫から密かに持ち出された株式をめぐっては、出納係ロジェの証言が決定打となった。彼は、正式な帳簿記載を経ることなく、受領証の控えと引き換えにミレスとソラールへ証券を直接手渡していた事実を認めた。さらに、監視委員会へ提出された報告書の上では、それらの証券が依然として手元に存在するかのように装われていた事実も裏づけられた。ミレスは、証券はいずれも返却済みであり、鑑定人の試算は後の戻し入れの経緯を無視していると抗弁した。法廷の争点は机上の空論ではなく、証券が引き出された日時、売却額、買い戻し額、そして金庫や経営者個人の口座に実際に繰り入れられた巨額の金流そのものであった。
相容れぬ二つの判決
論告において検察官は、その事業の全貌を、新聞広告、粉飾された貸借対照表、手元にあるはずの証券という虚像によって帳簿にない信用を繋ぎ止めた、巧妙なる連鎖劇であると断じた。対する弁護側は、巨大金融機関にとって資産の機動的運用は不可欠であり、千八百五十七年の恐慌や相次ぐ戦争が市場を混乱させたのであって、ミレスには顧客を犠牲にして私腹を肥やす意図など毛頭なかったと弁駁した。公判中、ミレスは幾度となく発言を求め、鑑定人の無知を詰り、再鑑定の実施を激しく要求したが、裁判所はその申し立てを頑として退けた。
千八百六十一年七月十日、パリ軽罪裁判所はミレスとソラールに対し、詐欺および背任の罪でそれぞれ禁錮五年、罰金三千フランの実刑判決を言い渡した。ただし、スペイン路線から得た利益に関する罪状については無罪とされた。さらに両名はシメオン伯爵とともに民事上の賠償責任を負うものとされ、監視委員会の他の委員らは無罪放免となった。しかし、この第一審判決をもって幕引きとはならなかった。断罪された両名は直ちに控訴に踏み切る。
控訴審は当初、原審の有罪判断を大筋で支持した。だが、被告側の求めた再鑑定を拒絶した手続の瑕疵が、その後の展開を劇的に覆す。同書の記述によれば、破棄院は訴訟手続の違法を理由に控訴審判決を破棄し、事件を別の控訴院へと差し戻した。こうして舞台はドゥエの法廷へと移り、法廷に再び立ったミレスは、なおも会計の再鑑定を求めて気炎を吐いた。なお、編纂書に印刷された年代記には錯綜が見られ、差戻審の後に破棄判決が置かれるなど日付に齟齬がある。したがって本稿では、不確かな月日の特定を避け、確定している司法手続の順序のみを追うこととする。
千八百六十二年四月二十一日、ドゥエ控訴院は再鑑定の要求を斥けたものの、驚くべきことにミレスへ無罪を言い渡した。裁判所は、金庫に差し入れられた証券は代替物であり、顧客への事後補償も可能であったとし、問題とされた一連の取引はパリの法廷が認めた犯罪の構成要件を満たさないと判断したのである。これは実質的な全面無罪であり、本章に描かれた個人の刑事責任追及に終止符を打つものであった。ミレスがこの罪状によって再び獄窓に繋がれることはなかった。
その後、検事総長はこの判決を不服とし、「法の利益のため」にのみ破棄院へ非常上告を申し立てた。この手続は、既に無罪が確定した個人の地位を覆すことなく、誤った法解釈のみを判例上正すための例外的手段である。同書によれば、破棄院は寄託の本質、委託証券の性質、乱発された仮証書に関して、ドゥエ控訴院の下した法解釈を明白な誤りであると断じた。しかし、この判断によってもミレス個人の無罪という既得の法的地位が揺らぐことはなかった。編纂者はドゥエの下した無罪判決を激しい筆致で糾弾しているが、それは一編纂者の憤激に過ぎない。司法手続上の揺るぎなき事実は、法理の是正がなされようとも、被告人の身に下された無罪の効力は何ら損なわれなかったという点にある。
千八百六十年十二月、金庫の窓口に押し寄せた応募者たちは、自らの富を約束するはずの確固たる債券を求めていた。だが、司法のメスが暴き出したのは、裁判官によって白とも黒とも解釈の分かれる、果てしない帳簿と契約と証券の迷宮であった。パリは有罪を下し、ドゥエは無罪を宣告し、破棄院は無罪の効力に触れぬまま法の条文のみを繕った。当の金庫は疾うに解体され、清算の渦に消え去っていた。かつて新聞を賑わせた眩いばかりの数千万フランの巨富は、顧客と債権者、そしてかつてその牙城に君臨した男たちの間で奪い合われる、空しき数字の残骸へと成り果てていたのである。
