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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · フランス

一枚の反故紙に託された誓願

プロヴァンにおいて、クリストフ・オブリヨは家督や所領を他人に委ねる道へと通じる修道請願の誓いを断固として拒んだ。しかし記録によれば、後見人は力ずくでその誓いを強要したという。クリストフは1626年、公証人の面前にて抗議の声をあげ、彼亡き後はその未亡人が我が子の権利を守るため、1658年に至るまで過酷な法廷闘争を引き継ぐこととなる。

クリストフ・オブリヨの修道請願を記した証書は、わずか一枚の反故同然の紙切れにすぎなかった。しかしながら、その所領と財産は、一族の尽きせぬ執着をあまりにも強固に引きつけて離さなかったのである。後見人の息子へと嫁いだ実の妹にその全財産を譲り渡すには、この若者が俗世を捨て、修道士の身分にとどまり続けることが絶対の条件であった。だが、若者にその意志はない。年代記は、いかにして彼からその誓願が無理やり奪い取られたか、そして公証人に異議を申し立ててから三十余年の歳月を経て、いかにして彼の子らがついに奪われた遺産の回復を勝ち取ったかを詳らかに語り伝えている。一枚の紙片と莫大な所領の狭間で、ひとりの人間の全生涯が呑み込まれていったのである。

クリストフの父たるクルフロー領主ギヨーム・ド・オブリヨは、1623年9月に世を去った。ギヨームは妻エドメ・ド・ロングオーとの間に、フランソワーズとクリストフという二人の子を遺していた。年代記者シャンパニャックの記録によれば、この妻はデュムリエと名乗る男と不貞の密通を重ねていたという。長きにわたる不在ののちに夫が帰郷を果たすと、二人の密通者はその殺害を共謀するに至ったとされる。デュムリエが毒薬を調合し、エドメがそれを滋養の薬酒と偽って夫ギヨームに飲ませた。プロヴァンの司法当局が告発において両人に帰した役割分担とは、まさにこの通りであった。

夫の死後、エドメは遺児たちの後見人に就いた。クリストフは生来の不具を抱えていたが、古記録はその障害の性質についてそれ以上の詳細を語っていない。ここへ、もうひとりの親族が介入してきた。亡き領主の異父弟にあたり、自らも未成年の息子を持つジャン・ド・ボンヌヴァルである。シャンパニャックの記述によれば、ボンヌヴァルは何が起こったのかを正確に察知していながら、下手人を追及して裁きにかける道を選ばず、むしろその大罪を自らの利得へと転じる計略を巡らせた。彼の企ては二つの筋道を結びつけるものであった。すなわち、フランソワーズを自らの息子に嫁がせ、クリストフを修道院に押し込めて、その所領をことごとく妹へ引き渡させる。こうして一手にまとめ上げられた遺産は、そのままボンヌヴァルの息子の懐に収まるという筋書きである。

ほどなくして婚姻が執り行われた。その直後、プロヴァンの国王代官はギヨーム毒殺の容疑でエドメとデュムリエの訴追に踏み切った。幾人もの証人が尋問を受けた。年代記の記すところによれば、両名ともに火刑の宣告を受け、いずれも控訴に及ぶことはなかったという。デュムリエは判決に従って刑場へと消えた。一方のエドメは、義弟、実の娘、そして娘婿の手引きによって脱獄を果たした。しかしその助力は、決して彼女に自由をもたらすものではなかった。ボンヌヴァルは逃亡した彼女を、ほかならぬ自らの屋敷へと匿ったのである。

伝えられるところによれば、彼はエドメを家畜小屋に監禁し、彼女はそこで飢えと辛苦のうちに息絶えたという。この悲惨な死は年代記筆者によって書き留められているものの、ボンヌヴァル個人に対する別個の司法訴追がどのような結末を迎えたかについては何ら記されていない。その間にボンヌヴァルは、母親の有罪宣告を機として、まんまとクリストフの後見人の座を手に入れていた。息子の婚姻によって計略の第一段階はすでに成就しており、若きクリストフの全財産は彼の差配下にあった。彼に残された仕上げは、残余の富の帰趨を決定づける、あの修道請願の誓いをクリストフに立てさせることだけであった。

クリストフはプロヴァンのサン=ジャック修道院において、参事修道士の見習い修道服をまとわされた。ボンヌヴァルはその傍らにフードローという名の家庭教師を配し、若者に自らの信仰の召命を信じ込ませる役目を負わせたと年代記は伝える。甘言と脅迫が幾度となく織り交ぜられた。他の叔父たちがこの過酷な重圧から甥を救い出そうと試みたものの、功を奏することはなかった。やがて若者は、誓願を立てる意志など毛頭ないと言葉を尽くして拒絶した。この拒絶は、後見人のあらゆる打算が立脚していたまさに急所を突くものであった。誓いの言葉なき限り、クリストフという生身の存在が、目論まれた財産移転の行く手を阻み続けるからである。

ボンヌヴァルは、プロヴァン近郊の別邸へと甥を呼び出した。晩餐を共にしたのち、二人は庭園の散策に出た。シャンパニャックが筆を運ぶこの情景は、もはや長閑な親族の団欒ではあり得ない。叔父は短剣を抜いて甥を脅迫し、明日にでも誓願を立てると誓わねばその場で刺し殺すと迫ったのである。クリストフは屈した。この二人の間で交わされたと年代記者が記す言葉をわざわざ引き写すまでもなく、事態の凄惨さは明白である。ボンヌヴァルが喉から手が出るほど求めていた「同意」は、まさに死の刃を突きつけられることで引き出されたのであった。

翌日、記録の伝えるところによれば、ボンヌヴァルは若者を居酒屋へと連れ出し、酒を浴びるほど飲ませて泥酔させた。そして黒衣のスータンと白衣のサープリスを着せかけると、サン=ジャック修道院へと引き立て、公の面前で請願の誓約を唱えさせたのである。その証書は、正規の帳簿ではなく、わずか一枚の紙片に書き殴られたにすぎなかった。後見人はその数か月後に世を去った。あれほど執念を燃やして奪い取った財産は、今やボンヌヴァルの息子の手中に収まったかに見えた。しかし、父の死は親族たちの野心に幕を下ろすどころか、新たな争乱の火種を招き寄せる結果となった。

クリストフの別の叔父たちが、かつて自分たちの有利に作成された古い遺言状を盾にとって名乗りを上げたのである。彼らは若者の修道請願を奇貨として、その遺言の執行を激しく要求し始めた。かつて彼を強迫から解放しようとした者たちまでもが、こうして所領の争奪戦へと雪崩れ込んでいった。若者は、ただ奪い合う者たちと現に握る者との間で翻弄されるだけの存在にはとどまらなかった。1626年5月3日、クリストフは公証人の面前に進み出て、自らの修道請願とそれに先立つ一切の生前贈与に対して公式の異議を申し立てたのである。それらはすべて暴力と強迫によって強いられたものであると彼は宣言した。そして修道院の門を出で、修道服を永遠に脱ぎ捨てた。

実の妹フランソワーズと義弟は、彼を執拗に訴追し続けた。年代記は、その凄まじい執着の根底にあったのは、本来彼に帰すべき分け前を返還させられることへの恐怖であったと分析している。オルレアンへと隠棲したクリストフは、ベリー地方の名家出身であるシュヴァリエ家の令嬢と婚姻を結び、一子をもうけた。次いで彼はローマ教皇庁より、修道請願の誓約を無効とし、その子を嫡出として認める免除特許状(教皇勅書)を勝ち取ったのである。彼の請願に対する異議申し立ては、もはや単なる所領の帰趨にとどまらず、サン=ジャックを去ったのちに彼が築き上げた家族の正当な立場そのものを賭けた闘争へと昇華していた。

果てなき訴訟手続きはなおも続いた。シャンパニャックは、この相次ぐ迫害と心労こそがクリストフの命を削り取ったのだと論じているが、その死の医学的な病因については何も書き残していない。クリストフは1647年の暮れ、三十九年の短い生涯を閉じた。遺された未亡人が子どもたちの後見人に選任され、亡き夫に代わってその正当な権利の擁護を引き継いだ。当初は一人としか触れられていなかった子どもについて、この時期の記録は詳細な員数を明かさぬまま、複数の相続人として言及している。年代記者によれば、彼女が完全なる正義を勝ち取るまでには、実に1658年の巡り来たりを待たねばならなかった。妹フランソワーズは、兄の子らに本来帰属すべき全遺産の返還を命じられたのである。

この年代記の記述は、遺産の返還をもって幕を閉じている。取り戻された財産の総額も、三十年余にわたる係争の歳月に呑み込まれた莫大な費用の内訳も一切記されてはいない。しかしながら、クリストフの歩んだ苦闘の足跡は、彼が遺した確固たる行動を通じて今なお鮮やかに読み解くことができる。拒絶された見習い修行、暴力で強いられた誓約、公証人の前での命がけの抗議、修道院からの脱出、新たな婚姻、そしてローマから勝ち取った免除の特許状。彼の未亡人は、1626年5月3日に夫が掲げた正義の旗をそのまま受け継ぎ、戦い抜いたのであった。若者の信仰心を偽装してその富を我が物にしようとした一族は、ついには奪い取った遺産をすべて吐き出さざるを得なくなった。だが、あの一枚の反故紙に縛られた若き当人は、もはやこの世のどこにもいなかったのである。

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この実在事件の記録をお読みいただきありがとうございます。本事件をもとに3つの小説企画(中篇・長篇・三部作)を構想しています。あなたが最も読みたい作品にぜひご投票ください。

中篇小説(ノヴェラ)

見習い修道士の紙片

修道院の古記録の修復を命じられた一人の製本職人を描く完全な創作短編。綴じ目の間から見つかったのは、記載された日付より前に死んだはずの実兄の署名が記された修道請願書であった。偽造の筆跡を追ううちに、彼はその一枚の紙片によって莫大な遺産を相続した名家の令嬢へと行き着く。彼女は真実を語ることを承諾するが、密会を目前にして忽然と姿を消してしまう。彼女の行方を追うため、製本職人は偽造の告発か、それとも己に職人の技を授けてくれた恩師の庇護かの二者択一を迫られる。紙片と血脈の謎が絡み合う、緊迫の探索物語。

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長篇小説(ロマン)

帰還した相続人

失踪宣告ののちに一族によって遺産が山分けされた領地へ、自らの正当な権利を求めて生還した男を描く完全な長編小説。彼は失われた幼子の記憶をことごとく宿しているものの、その肉体にはあるはずの古傷が欠落していた。妹は彼をペテン師として追い落とすべく調査を開始するが、やがて亡き父の公式肖像画にも、まったく同じ痕跡の不自然な消去があることを見出してしまう。何者かが過去の殺人劇を覆い隠すため、ある人生の痕跡そのものを巧妙に塗り替えていたのだ。実の兄を認めることは、自らの名家全体を破滅の淵へと断罪することを意味するのか。血と偽瞞に満ちた歴史法廷サスペンス。

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大河三部作(トリロジー)

影の後見人たち

不当な後見制度が生み落とした血塗られた罪業に、三世代にわたって立ち向かう人々を描く完全創作の三部作。第一巻では、未亡人が破棄された夫の遺言状を掘り起こし、その毒殺の凶行を暴き出す。第二巻では、彼らの息子が、従妹から所領を強奪するために仕組まれた偽装結婚の罠を追及する。完結編たる第三巻では、その孫娘が、帰還すれば広大な所領の分割相続をすべて無効化できる「失われた落とし子」の行方を追跡する。各巻で独立した事件の決着を描きつつ、一族の亀裂、偽造文書の闇、そして勝ち取られる誠実の絆を描き尽くす圧巻の大河巨編。

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歴史的典拠と文学的再構成について

原典『高等法院裁判奇聞集』(第二巻第二十話、底本総語数1436語)を通読。作中の各挿話は19世紀の著述家シャンパニャックの記述に基づく。1623年9月の父毒殺事件、エドメおよびデュムリエに対する火刑判決、脱獄後の納屋監禁と餓死の顛末(ただし年代記にはボンヌヴァル個人への司法裁きの結果は未記載)、別邸庭園での短剣による脅迫、翌日の泥酔状態での請願強要、反故紙同然の一枚紙への記入、1626年5月3日の公証人前での異議申し立て、ローマ教皇庁からの勅書取得、1647年末の39歳での客死、1658年の遺産完全返還に至る経緯を忠実に反映。主人公の死因について原典は迫害による衰弱死と示唆するのみで医学的診断名は欠落。遺児の員数に関する原典側の不整合(単数から複数への移行)は創作を交えずそのまま記述。身体障害の詳細も原典に記載なし。底本は1079語へ簡約された派生版であり、規程に沿って厳密に翻訳・構成した。

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