Aller au contenu
Armes de la Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · CUISINE & LETTRES
裁判所書記局の54の小話 · パリ、一七七八年

「稀代の偽筆師」

跣足、肌着一枚、首に縄を掛け、手に松明を掲げた弁護士が、他ならぬ高等法院の大法廷に引き据えられる。胸背に掲げられた捨札の文字は――「稀代の偽筆師」。

公開陳謝(アマンド・オノラブル)の儀は、通例であれば教会の門前で執り行われるのが習いであった。されどこの度の舞台は、いささか類を異にしている。開廷中たるパリ高等法院の大法廷そのものであった。

一七七八年八月一日の判決において、裁判所は、弁護士を自称するジャン=フィリップ・ユルトレル・ド・ランデルに対し、大法廷での公開陳謝を言い渡した。冠も履物も奪われ、ただ薄衣一枚をまとい、首に縄を掛け、手には二ポンドの燃え盛る松明を持たせ、胸と背には「稀代の偽筆師」と大書した捨札を掲げさせたのである。さらに両肩に焼印を捺され、終身徒刑囚としてガレー船へ送られる定めとなった。

裁かれたのは彼一人ではない。ピエール=ガブリエル・ピリエはこの陳謝の儀に立ち会わされたのち、九年間の追放刑に処された。ジャン=バティスト=ドニ・ネームは譴責、クロード=アントワーヌ・レニョーダンは戒告を受け、ジャン=ミシェル・ピヨには今後いっそう慎重に行動すべしとの訓戒が下された。欠席のまま審理されたジャン=フランソワ・ボデックは、追って調査を継続する旨が言い渡された。そして公判に挙げられた偽造文書の数々は、死刑執行人の手によって引き裂かれ、火中に投じられることとなった。判決文の末尾は、廷吏に関する法院規則の厳守を促す文言をもって結ばれている。

この末尾の一行にこそ、事件の鍵が潜んでいるのかもしれぬ。『裁判彙報』はユルトレル・ド・ランデルが何を偽造したかをつまびらかにしていない。しかし、ガレー船送りから単なる戒告に至る量刑の濃淡は、法廷の周縁に巣食う小社会――偽弁護士とその片棒を担いだ徒党の姿を浮き彫りにする。廷吏の規律への言及は、裁判所の公文書そのものが偽造されていたことを物語っていよう。

しからば、あの異例の場が選ばれた理由も得心がゆく。法の言葉を汚した男は、まさに法が宣告されるその広前において、自らが筆跡を真似た裁判官らの面前に跪き、許しを乞わねばならなかったのである。

『裁判彙報』一七七八年、パリ高等法院判決(一七七八年八月一日)。

事件記録室の暦(今日の一件) →