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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · イタリア(フィレンツェ)

提灯の列に投ぜられし爆弾

一八七八年十一月十七日、フィレンツェにて国王の祝賀行列で沸き返る群衆の中に、突如として爆弾が投ぜられた。翌一八七九年の公判では、物証と真偽定かならぬ証言の数々をもとに、労働者団体の九名が被告席に立たされた。二名が無罪となる一方、投擲犯と目されたチェーザレ・バッタッキをはじめとする七名に有罪の宣告が下った。

フィレンツェの夜を徹して進む行列は、国王ウンベルト一世の暗殺未遂からの生還を祝すものであった。道々は松明と提灯の灯りに照らし出され、軍楽隊の吹奏が響き、開け放たれた窓々からは無数の旗が翻り、沸き立つ歓声が音楽を呑み込んでいた。だが、ナツィオナーレ通りとグエルファ通りの交差点に差しかかったその刹那、轟音が歓喜の歌声を断ち切った。通行人のただ中でオルシーニ型爆弾が炸裂したのである。隊列は乱れ、群衆は雪崩を打って後退した。しかし間もなく各団体は再び列を整え、何事もなかったかのように行進を再開したため、後から通りかかった多くの者は、凶行のあったことすら露知らぬありさまであった。

当初の記録が伝えた被害は、死者二名、負傷者十一名というものであった。八人の子の父であった靴職人のステファノ・ピッチーニ、ならびに果物売りのレオポルド・タファナリアは、爆発から数日のうちに土へと還された。さらに負傷者のうち四名が、傷口の悪化により命を落とした。軍属のアドルフォ・ガッローリ、職工のジュゼッペ・グアスティ、わずか六歳の少女ジュリエッタ・ファルシ、そして四歳の幼子プリーモ・リッチである。公判録は他の負傷者については平癒したと記しているが、その最終的な集計は、この当初の損害の記録と符合していない。

惨劇の直後から投げかけられた問いは、ただ一つであった。誰がこの爆弾を投げたのか。捜査の手はまず、指物師にして機械工、のちに居酒屋の亭主となったアウレリオ・ヴァンニーニと、予て警察に政治活動を睨まれていたチェーザレ・バッタッキの二人に伸びた。ヴァンニーニの家宅捜索では、火薬の部品、雷管、そして導火線が押収された。不審を抱かせるには足る品々であったが、これのみをもって二人のいずれかが群衆に爆弾を投擲した証左とすることはできなかった。やがて当局は捜査の網を広げ、フィレンツェにおける国際労働者協会(第一インターナショナル)の結社に関わる九名の男たちを法廷に引きずり出した。

起訴状が描いた犯行の構図は、ヴァンニーニが議長を務め、バッタッキが書記を担ったある密議に端を発していた。検察の主張によれば、国王夫妻の巡幸に伴う警憲の検挙劇に対し、いかなる報復を下すべきかが議論され、抗議の手段として爆弾を用いることが提案されたという。記録はこの会合を「十一月十三日」のこととしているが、挙げられた年代は、その後に記される一八七八年十一月十七日の襲撃事件と辻褄が合わない。他の史料を欠く現状においては、その正確な年時を断定することは叶わない。検察はさらに、爆発当日の朝に立ち聞きされた会話、押収された革命文書、そして結社の拠点から発見された坩堝を寄せ集め、これら一連の情況こそが爆弾製造の揺るぎなき証左であると論立てた。

最も雄弁たる物証は、砕け散った爆弾の破片であった。二人の鑑定人がその残骸を検分したところ、青銅と真鍮で作られ、約五百グラムの黒色火薬を詰めたオルシーニ型爆弾の破片であることが判明した。ある程度の高みから投ぜられたと推測され、その鋳造は粗雑極まるものであった。しかし、警察が押収した煉瓦が鋳型として使われたか否かについて、鑑定人は最後まで確証を得ることができなかった。近代の科学は兇器の正体を突き止めることはできても、それを投げ放った腕までは名指し得なかったのである。

一八七九年の春、公判の幕が上がった。九名の被告はことごとく謀議への関与を否認し、それぞれにアリバイを申し立てた。一方、筆記者たる編纂者は、インターナショナルの組織を評して、確たる理念も持たぬ貧しき職工どもの無定見な集まりに過ぎず、秩序の転覆を目論む不逞の輩に操られていると断じた。だがそれは筆者個人の政治的断罪であって、法的な証拠の帰結ではない。法廷が究明すべきは、より冷厳なる事実であった。すなわち、祝賀の行進のただ中で爆弾は現に炸裂したのであり、被告席に並ぶ男たちの間に果たして共謀の事実はあったのか、という一点である。

新聞売り手であったティート・マネッリとリボーリオ・フェディの二名は、検挙への意趣返しとして警察に向けて爆弾を投擲することが議せられた会合に同席していたと言い立てた。また証人マッツィーニの証言によれば、アジェノーレ・ナッタなる男が、紙に書いた抗議文など生温く、爆弾こそを用いるべしと気勢を上げたという。ナッタはこの言を断固として否定したが、証人は一歩も引かなかった。さらに、男たちは帽子にキジの羽根を差して互いを識別していたと証言する者も現れ、検察はこれを結社の符牒と見なした。法廷には、口さがない職工らの巷説や、酒の勢いに任せた放言の類までもが持ち出された。持ち込まれた材料は多岐にわたったが、その信憑性には著しい斑があった。

そうした危うい証言の一つが、劇的な波紋を呼ぶこととなる。理髪師のウリッセ・ロメイが、客のスカッチャーティから「爆発の直後にバッタッキが逃走するのを見た」と聞かされた旨を口にしたのである。召喚されたスカッチャーティは、当初は被告を見知らぬと突っぱね、なぜその名を口にしたのか説明すらできなかった。偽証を咎めた検事により身柄を拘束され、別室へと引き立てられた彼は、ほどなく法廷に戻るや前言を翻し、逃げ去った男は確かにバッタッキであったと認めた。横顔を見たのだと彼は言った。バッタッキは、人々が脅迫によって偽証を強いられていると叫んだ。編纂者はこの証人の動揺を、結社からの報復を恐れたためと解釈したが、証言が変遷したこと自体は紛れもない事実であり、本来ならば極めて慎重な吟味が求められる局面であった。

恫喝の影は、単なる筆者の穿った見立てに留まらなかった。証人たるマッツィーニとマルテッリの両名は、交差する短剣の絵が添えられた脅迫状を受け取ったと申し立てた。また、かつて牢を共にした男は、十一月十七日の夜に同席していた事実を口外せぬようバッタッキから口止めされ、ネンチョーニに対しても同様の書簡が送られたと証言した。さらに別の証人は、ネンチョーニの妻から、バッタッキ、ヴァンニーニ、コンティ、スカルラッティ、ナッタらが加わった陰謀の手控えを聞かされたと語り、そこにはゴメスと呼ばれる女も関与していたと付け加えた。しかしこれらはことごとく又聞きに過ぎず、挙げられたすべての名に客観的な物証が伴っていたわけではない。

だが、事件直後におけるバッタッキの不可解な挙動が、彼に対する嫌疑を一段と深めることになった。ヌーヴォ劇場の舞台大道具係や興行主らは、彼が事件の翌日、蒼白な顔で怯えきった様子で劇場に現れ、やがて外套を着た二人の男に伴われて立ち去ったと証言した。これらは直ちに犯行を証明するものではなかったが、裁判所は密議に関する証言や、逃走者の目撃談と結びつけてこの事実を重く捉えた。一方、ヴァンニーニは自宅から出土した器具によって爆弾製造の嫌疑に縛られ、ナッタらその他の被告については、会合での発言とされる証言や周辺人物の風評にその運命が委ねられていた。

獄中から寄せられた証言もまた、新たな疑義を呼び起こした。詐欺の罪で服役中であったアレッシとブルチの二名が、獄中で親しくなった被告らから、爆弾の製法をつぶさに打ち明けられたと申し立てたのである。弁護側は色をなして異議を唱えた。この囚人二名は、被告らを探るために意図的に同じ牢へ送り込まれた密偵ではないのか、と。記録はこの反論を記すのみで、真相の解明には至っていない。金属の残骸と密議の証言が錯綜する中で、囚人が別の囚人の言として語る言葉の真偽までもが、法廷の秤にかけられることとなったのである。

かくして、被告銘々に突きつけられた証拠の重みは決して一様ではなかった。シクテーリとマルキーニの二名は確固たる不在証明を認められて無罪を勝ち得た。だが裁判所は、残る被告らに謀議への加担を認め、バッタッキを爆弾の投擲者と断定した。一八七九年六月四日、バッタッキには終身懲役、ナッタとスカルラッティには重禁錮二十年、ヴァンニーニ、ネンチョーニ、コルシ、コンティには各九年の刑が言い渡された。この結末は、厳密な科学捜査によって投擲犯が特定された結果ではなく、直接の目撃談、伝聞、不審な挙動の数々、そしてそれらを繋ぎ合わせた裁判所の心証が下した裁断であった。

記録の末尾において編纂者は、民衆の擁護者を自任しながら、あたら児童や無辜の労働者が居並ぶ群衆に凶弾を投げ込んだ男たちの罪を激しい怒りをもって難じている。だがその義憤をもってしても、この記録が抱える重大な限界を覆い隠すことはできない。ここには訴訟記録の全容も、弁護側が尽くした反論の詳細も収められてはいないからである。それでもなおこの記録は、一筋の爆煙がいかにして街全体を巻き込む集団的猜疑へと膨れ上がり、そして法廷がいかにして九名の被告の間で責任の配分を図ろうとしたかをありありと物語っている。街路では、あの轟音の直後にも何事もなかったかのように楽隊が調べを再開した。だが法廷の中では、あの日兇器を放った真の腕を巡る探索が、曖昧模糊とした証言の濃霧の中を、果てしなく彷徨い続けていたのである。

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中篇小説(ノヴェラ)

虚ろなる広場の街灯

独立した短編小説。架空の街において、市長が演説を行うたびに広場の街灯が一基ずつ不可解に消え去っていく。若い灯火番の少女は、古井戸の傍らにある灯火だけが微かに瞬くことに気づき、警察の非常線を掻い潜って密書を運ぶ地下配管の存在を突き止める。次の市民集会は暴動へと発展しかねないが、送られる通信には立ち退きを迫られた貧しき家族たちの名が記されていた。夜の闇と迫り来る延焼を相手取る、緊迫の追走劇を描く中短編。

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長篇小説(ロマン)

爆衝の実験室

独立した長編小説。架空の研究所にて、一人の技師の作業場が爆発によって灰燼に帰し、宿直の警備員が命を落とす。女性研究室長は、この惨禍が不慮の実験事故か、破壊工作か、あるいは改竄された作業手順によるものかを究明せねばならない。だが所内の研究者たちは、特許の防衛、教え子の庇護、あるいは不正資金の隠蔽といった銘々の思惑から、自らの実験手帳に手を加えていた。分断された大学の実験棟と古文書庫を舞台に繰り広げられる、科学の倫理、責任の所在、そして学究の暗闘を描く本格小説。

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大河三部作(トリロジー)

轟音ののちの諸都市

全三巻からなる壮大な連作長編。爆発の惨禍を経た三つの架空都市が、それぞれに異なる危機の季節を迎える。橋の再建に揺れる下町、偽りの宣言文を巡り犯人を追う帝都、そして鉱坑の閉鎖を巡って激論が交わされる炭鉱街。各巻は建築家、印刷工、医師という異なる職能の人物を軸に、個別の葛藤を描き出す。主人公たちの間で交わされる往復書簡は、暴力に解決を委ねることなく、公の記憶がいかにして過去の事件を変容させていくかを浮き彫りにする。政治的、人間的な再生の軌跡を追う三部作。

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歴史的典拠と文学的再構成について

本公判記録は、直接の目撃談、伝聞、編纂者の主観的論評、そして判決の主文が錯綜した構成となっている。冒頭では死者二名、負傷者十一名と報告され、その後に四名の死亡が補足されているものの、最終的な総括の数理には齟齬が生じており、本文中においてその乖離の事実を明記した。また、十一月十三日に行われたとされる謀議の年次については、一八七八年十一月十七日の襲撃事件の推移と整合せず、未解決の疑義として残されている。

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