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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
裁判とスキャンダル · フランス

帳簿と領収証

かつてゲルシーの収税吏を務め、ジョワニーに居を構えていたミシェル=マリ・フランジーニが、公金横領および公文書偽造の罪により法廷に引き出された。原告側は、帳簿の控え、領収証、課税台帳の間に存する齟齬を糾弾する。陪審は四十七の訴因について情状酌量付きの有罪答申を下し、裁判所は被告に重禁錮五年の判決を言い渡した。

八月二十八日の公判において、証人として出廷を命じられた納税者たちの手元にあった領収証は、税務署の帳簿に残された控帳の数字と符合しないものが散見された。第一鑑定人を務めるシェエは、帳簿の筆跡および数字の精査によって判明した二つの手口を法廷で言及した。すなわち、記載された金額そのものは正確でありながら控帳と領収証の番号の照合が混乱させられている場合と、控帳に領収証より過小な金額が記入されている場合である。検察側の告発を理解するには、単一の納税記録を三つの帳簿にわたって追跡せねばならなかった。収税吏はまず名義別課税台帳に記入し、直ちに控帳から切り離した領収証を納税者に交付し、しかるのちに現金出納簿へ日計を合算しなければならない。日付、金額、整理番号の三者が違算なく一致して初めて適正とみなされる。鑑定人は、照合こそが監査の根幹であると説いた。

被告人ミシェル=マリ・フランジーニは齢四十一、ロンドンに居を定めていると称した。かつてゲルシーの収税吏であった男は、一八七四年八月二十八日、ヨンヌ県重罪裁判所の法廷に立たされた。『司法公報』によれば、ナポリに生まれ、コルシカの血を引く家柄の出身であり、軍歴を経て複数の収税区を渡り歩いた人物として描かれている。普仏戦争の折にはオート=サヴォワ県動員兵部隊の指揮を執ったとも報じられた。もっとも、自ら吹聴していた将官の肩書は審理の中で疑問視されるに至る。訴追の焦点はあくまで公金の出納にあった。一八七〇年十二月十一日、トゥール国防委任政府の『官報』は、彼をオート=サヴォワ県動員兵の総指揮官に任命する辞令を掲載していた。その公文書には元参謀将校と記されていたが、裁判長は法廷において、身につけていた軍服はどう控えめに見ても大佐級のものであり、将官の階級が授与された事実など毛頭ないと詰問した。自称する役職、官報の記述、そして着用していた軍服の齟齬は、ランベール大佐の証言によっても白日の下に晒された。

起訴状は事件の発端として、三千四百フランの支払指図書を挙げていた。当初の記録によれば、一八六〇年十一月、フランジーニはサンリスの学校改修費用の立て替え払いと称し、モントルイユ=シュル=メールの専任出納官へこの指図書を提出したとされる。出納官が証憑書類の提示を求めたところ、被告は十一月二十七日付けで該当支出が記載された総括帳簿を示した。しかし支払いは拒絶された。公報が引用する起訴状によれば、その数日後、被告は帳簿の記載が虚偽であり、かかる支出の事実など存在しなかったことを認めたという。もっとも、この金員が被告の懐に入ったわけではなかった。

公判において裁判長は同じ一件を取り上げたが、その時期を一八六八年十一月と位置づけた。フランジーニは支出が未払いであった事実は否定しなかったものの、指図書自体は適法なものであり、帳簿への記載は支払うべき債務を決済するための資金調達にすぎなかったと弁明した。さらに総収税官の指示に従い、官吏への給与支払いおよび土木請負業者への十万フランを超える決済を滞りなく履行してきたと主張した。裁判長はこの弁明に対し、省庁への告発とそれに伴う失脚の事実を突きつけた。フランジーニは、もし咎められるべき非行があったならば、庇護者の力添えがあったとしても新たな収税吏の地位を得られるはずがなかったと応酬した。

原資料はまた、ゲルシー収税吏への任命を一八五九年三月二十八日と記しており、これは前述の一八六〇年の指図書事件に先立つ。その一方で、事件の余波としてリューリへの左遷、さらにはその後の栄転が語られている。他方で尋問録では年代が一八六八年へと差し戻されている。審理録に印刷されたこれら年代の不整合ゆえに、確たる時系列を編み直すことは困難を極める。しかしながら、領収証、控帳、出納簿の三者を突き合わせ、徴収された金員が正しく帳簿に反映されているかを見極めるという、告発の核心が揺らぐことはない。

ゲルシーにおいて検察側が問題視したのは、管轄たる農村部から遠く離れたジョワニーに居を構え、執務を怠慢にして上納を遅延させていた点であった。村長たちの嘆願書や専任出納官の書簡が有罪の証拠として列挙された。新聞は次いで、鑑定人たちの見解に基づき、いかに公金が抜き取られたかを紙面に詳述した。あらかじめ白紙の領収証控帳を入手していた例や、領収証には受領した実額を記しながら仕訳帳には過小な額を書き入れた例が挙げられた。削り取りや抹消によって十の位や百の位の数字を改ざんした痕跡も認められた。実際に受領された金額と帳簿に留め置かれた数字との差額こそが、横領の実態とされたのである。

この手口は金庫内の資金繰りに依存していた。起訴状によれば、上席からの督促が厳しさを増すと、フランジーニは新たな徴収金を用いて過去の使途不明金を補填していたという。シェエに続きマシー鑑定人が帳簿の改ざんについて証言に立った。記録によれば、一年半にも満たない期間に百箇所以上の改ざんや偽造が行われており、その最初の不正は着任後ほどなくして始まっていたとされる。鑑定人たちによる不足額の算定は一様ではなかった。逃亡の時点で少なくとも四千百八フラン二十四サンチームが不足しており、一八七一年十二月十三日付の報告書では赤字額を五千三百六十四フラン八十七サンチームと試算していた。これら別個の算定値は、単純に合算できる性質のものではない。

収税吏の失踪とともに、会計帳簿の一部もまた姿を消した。一八七〇年十二月六日、出納官はフランジーニの妻に対し、夫が放置していった帳簿の引き渡しを求めた。妻は翌日の引き渡しを約束したものの、その夜のうちに出奔した。治安判事が残された書類を押収したものの、帳簿の一部はすでに失われていた。後にパリのフランジーニ宅で行われた家宅捜索により一八七〇年度の帳簿が発見されたが、第五冊目の控帳だけが欠落していた。控帳と領収証の不一致を論拠とする訴追において、この帳簿の紛失は極めて重大な意味を帯びていた。

被告人尋問は帳簿の真偽のみにとどまらなかった。かつて専任出納官を務めたシュヴォーが三千四百フランの指図書について証言台に立ち、フランジーニを粗暴で危険な男と評した。被告は色をなしてこれに反論した。「貴殿が私を憎むのは、かつて晩餐の相伴を断ったからにすぎない。あまつさえ私を秘密警察の回し者とまで呼んだではないか。帳簿を監査する権限はあろうとも、私を侮辱する権利などないはずだ」。証人は世間が被告を秘密警察と噂していたことは認めたものの、自らそう発言した覚えも、自宅の食卓に招いた事実もないと否定した。法廷録は、帳簿の検査がいつしか監査を行った者たちの個人的な名誉をめぐる確執へと変貌していく様を生々しく伝えている。

公判で読み上げられたベルジェ大佐の書簡は、審理の場をパリ市街戦の記憶へと引き戻した。五月二十七日、ヴェルサイユ軍が市街へ突入した折、平服に身を包み傘を手にした一人の男が、サンタントワーヌ街四十九番地へ向かうため前線を通過させよと要求した。男は自らを将官フランジーニであると名乗った。ベルジェが所属部隊や軍団を尋ねたものの、そのような将校に見覚えはなかった。フランジーニは友人を訪ねるのだと答えた。大佐は不審を抱き、逮捕を命じようとした。しかし海軍将校に気を取られた一瞬の隙に、フランジーニは煙のように姿を消していたという。書簡にはそう記されていた。だが公判において被告は、ベルジェと口を利いたことなど一度もないと言い放った。

ランベール大佐は、ボルドーで将軍の軍服を着ていた被告を目撃し、直ちに軍服を脱ぐよう命じたと証言した。被告はいったん拘束されたものの、陸軍大臣の介入により二日後に釈放されたという。大佐はまた、アンティオキアと名乗る被告の副官が外傷もないのに足を引きずっており、窮屈な長靴のせいにしていた奇妙な逸話をも語った。さらにランベールは、フランジーニがコミューン側の囚人家族と通じていたのではないかというヴェルサイユ軍将校たちの疑念にも触れた。しかし新聞の別項によれば、コミューンへの加担をめぐる予審は何ら確証が得られず、不起訴処分に終わったと記されている。

証人尋問の終了後、シャルパンティエ検事が論告を行い、ルマクル弁護人が弁論に立った。裁判長が争点を整理し、陪審員団は少なくとも五十に及ぶ設問について評議に入った。陪審は四十七の訴因について有罪の判断を下し、同時に情状酌量を認めた。裁判所はフランジーニに対し、重禁錮五年の刑を言い渡した。

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中篇小説(ノヴェラ)

綱渡りの礼

架空の街を舞台に、開演直前の綱渡り芸人が転落し、舞台監督がワイヤーを緩めたとして嫌疑をかけられる。一座の若き軽業師の少女は、まことしやかな筋書きに疑念を抱く。大道具係たちの間で合図が統一されておらず、試技の瞬間に風向きが変わっていたのだ。彼女は誰かを庇うためではなく、一個の事故によって一座が瓦解するのを防ぐため、舞台袖から事の真相を手繰り寄せていく。登場人物、舞台、落下事故、真相究明に至る結末はすべて創作であり、舞台芸術に携わる者たちの責任のあり処を描き出す。

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長篇小説(ロマン)

クレールの橋脚

増水した濁流の中で石橋が崩落し、市の技師が危険な補修工事を命じたとして告発される。若き女性地質学者が基礎構造の調査に乗り出す一方、川船の船頭たちは公式報告書に記された水位の記録に異議を唱える。相反する鑑定報告、瓦解した瓦礫への進入調査、そして冬の到来を前に通行を再開すべきか否かの決断を追う法廷小説。公金の横領や帳簿偽造ではなく、技術的判断と公共の安全を巡る葛藤を主軸に据える。すべての地名、人物、論争、司法判断は架空の物語である。

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大河三部作(トリロジー)

眠り人の海図

海と時代によって隔てられた旅人たちを追う、三部作の歴史冒険小説。第一部では灯台守の失踪を受け、孤島の灯台へと向かう救援隊の密室劇を描く。第二部では禁断の抜け道を知る案内人に追われながらアルプスを越える女性植物学者の逃避行を描き、最終部では乗組員を失った無人船が帰港した地中海の港町で、海図職人が不可解な航跡の謎に挑む。救出劇、学術探検、海洋ミステリと、各巻が独自の意匠と解決を持つ。フランジーニ裁判の帳簿や罪状、実在の人物とは一切関わりを持たない。

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歴史的典拠と文学的再構成について

本審理録に記された告発、供述、証言の数々は、必ずしも司法手続上で確定した事実のみで構成されているわけではない。コミューンへの関与に関する別件の捜査については、不起訴処分となった事実が併記されている。三千四百フランの支払指図書が作成された年代は一八六〇年十一月と一八六八年十一月の記述が混在しており、本文中ではゲルシー収税吏への任命日が一八五九年三月二十八日とされ、一八六〇年とされる事件の発端よりも前に位置づけられている。また、四千百八フラン二十四サンチームと五千三百六十四フラン八十七サンチームという使途不明金の額は、それぞれ算出基準の異なる別個の試算である。

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