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Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · フランス料理と欧州歴史記録の出版館
警察と暗黒街 · フランス

セーヌの九人と「泥酔者狩り」の盗み

一八六二年一月、パリ。夜盗、加重窃盗、ならびに官営質屋(モン・ド・ピエテ)の台帳への虚名記載の廉により、男女九名がセーヌ県重罪裁判所の法廷に引き据えられた。三日間にわたる公判の末、三名に無罪、六名に有罪の判決が下る。『司法官報』の記録から、その審理の顛末をたどる。

一八六二年一月二十五日、セーヌ県重罪裁判所の陪審は、同じ夜の闇を通じて法廷へと引き据えられた男女九名に対し、評決を下した。三名が無罪放免となり、六名に有罪が宣告された。翌日付の『司法官報(ガゼット・デ・トリビュノー)』は、泥酔者に介抱の手を差し伸べるふりをして金品を奪い、路上での犯行が危ぶまれるや辻馬車へと連れ込んだ徒党の姿を描き出している。また、これら一連の盗みは、官営質屋(モン・ド・ピエテ)の台帳に記された偽名とも結びつけられていた。

「介抱」の陰に隠された手口

当時の法廷記録は、「ポワヴリエ狩り(泥酔者専門の追い剥ぎ)」という、ほとんど隠語じみた表現をもって書き起こされている。被告らは、酔いつぶれた男を庇護する名目を掲げて付け狙っていた、と紙面は記す。

路上が安全な機会を与えぬ場合の筋書きも、記録には詳らかにされている。彼らは狙いを定めた男を酒場へ誘い込み、獲物が「手頃な酔い加減」に仕上がるまで盃を重ねさせたという。この言いまわしは新聞の筆鋒によるものであり、被害者の肉声を直に書き留めたものというよりは、審理の大要を約した表現にほかならない。

また、状況に応じた別の手口も取られていた。人目につく公道での仕業が危ういと見れば、盗賊らは自ら辻馬車の代価を立て替えて被害者を乗せ、閉ざされた車内で身ぐるみ剥いだという。そうして金品を奪い去ったのち、人気の絶えた路傍に遺棄し、翌朝になって酔いから覚めた被害者が、持ち物をすべて失った姿で警察に保護される仕掛けであった。

『司法官報』は、このようにして被害に遭った個々の人名を明かしていない。記事は一団に帰せられた二十件の窃盗を報じ、それら事実の詳細は、起訴状によれば一部の被告による自白や証人の証言に依拠していると伝える。各事件においていかなる品が奪われ、被害者がどこで見出され、九名のうち誰がどの役回りを担ったのか、その内実は判然としない。この空白ゆえに、記述された手口を一概に確定した二十の小情景へと仕立て直すことは許されないのである。新聞が読者に供するのは検察側の主張の骨組みであって、網羅された被害録ではない。読者が目にするのは、予審と公判が開示し得た公の総括であり、陪審の判断を導いた全証言そのものではない。

九人の被告、分かたれた役回り

法廷記録に現れる九人の被告は、一様な徒党として描かれているわけではない。『司法官報』はその姓名、職業、前科の前歴を列挙し、そこから幾つもの立場が浮かび上がる。実行犯、質物牙保(盗品故買)の容疑者、連座を問われた情婦、そして頭目と目された男。ただしこれらは報道と検察が帯びせた規定であり、各人に下された個別の評決の枠を越えて一般化することはできない。

ギヨーム=トゥーサン=オノレ・ドレートルは、自称農業従事者で、すでに三度の前科を持つ人物として記されている。彼には別件で重罪裁判所に係属中の事案もあった、と新聞は補足する。四十八歳の店員マリー=ウジェーヌ・ドピエールは、公然わいせつにより二度の前科があった。二十六歳の日雇い労働者ミシェル=アンジュ・プロマンには六度の前科があり、うち三件が傷害、三件が窃盗であった。記事は彼を夜間襲撃の主犯格と目したが、陪審はプロマンによる暴力行為に関する審問を退けた。起訴の文面と、陪審が認否の対象とした主文との懸隔を見落としてはならない。

二十四歳の行商人オーギュスト=イジドール・ブローニュは、記事によれば逮捕歴九回、有罪判決六回を数えていた。一八六〇年十一月には徒刑九年の宣告を受けており、当日は囚人服をまとって出廷したと記者が伝えている。そもそも本件の捜査の端緒となったのは、この男の逮捕であった。小間物商人アレクサンドル・ミュゲ(二十二歳)には五回の有罪歴があった。最も近い一八六〇年三月の判決では禁錮六年に処されており、別件によって重罪裁判所への移送が決定されていた。

二十五歳の製罐工フランソワ・ドヴィルには、この簡略な記録の中では前科の記載がない。三十七歳の古物商ジャン=サンフォリアン・コロは盗品収受の廉で追訴されたが、新聞はその職業柄ゆえに被告席に座らされたのだろうと推測している。もっともそれは記者の所見にすぎず、独立した証拠ではない。かつて帝国親衛隊の憲兵を務めていたルイ=イポリット・ラクレイジュ(四十二歳)は、隊内での勤務評定も芳しく、何ら悪しき前歴のない廉直な人物として記されている。検察側は、彼が三年越しの愛人関係にあった末尾の女被告との繋がり、ならびに一連の窃盗を認知していた疑いをもって、彼を本案に結びつけた。

その最後の被告が、二十八歳の料理女マリー=ルイーズ・ボドであった。記録によれば彼女には前科がなかった。しかし重い病に侵されていた。重度の心臓病ゆえに審理は幾度も中断を余儀なくされ、彼女は時折、必死に抑え込もうとしながらも悲鳴を漏らしたという。記事はこれを弁護のための小細工とも、特異な精神状態の証拠とも決めつけていない。確かなのは、その発作が法廷の進行を妨げたという事実と、新聞が伝える彼女の病状の深刻さのみである。

逮捕から公判廷へ

事件の記録は、前年の春、すなわち一八六一年三月末にまでさかのぼる。ブローニュがまず捕らえられ、その口から出た自白と供述が、次々と他の関係者を司法の網へと引きずり込んだ。ドレートルは当時「ユゼル」の変名を用いており、この名において一八五九年十月十二日に窃盗罪で懲役一年の判決を受けていた。ドピエールとプロマンもまた、警察には旧知の顔であった。『司法官報』は彼らの過去の刑名をつぶさに掲げるが、それは前科が直ちに新証拠となると断じるためではなく、読者と陪審員に与えられた前提の背景をなしていたからにほかならない。

新聞の伝えるところによれば、ドレートルとドピエールもまた、ブローニュと同じく自供の道を選んだ。彼らが自身の罪状とともに共犯者らの動向について供述した内容は、その後の予審手続きによって裏付けられた、と記事は定型句を重ねる。だが、この要約からでは、誰が誰に対してどのような内実を明かし、いかなる独立の物証がそれを補強したのか、また陪審が個々の口供にどれほどの信を置いたのかを知る術はない。当時の新聞は審理の筋道を手短にまとめるのみで、尋問調書の全貌を紙面に掲げることはしなかったからである。

起訴状には二十件の窃盗が掲げられていた。そこには公正証書偽造の罪も含まれていた。『司法官報』によると、一部の被告らは盗品を偽名で質入れし、官営質屋の公的帳簿にその虚偽の署名を書き残していた。また予審手続きの最中に偽名を名乗った者もいたという。申したてる事実において、偽りの身分は盗品の処分を円滑にし、同時に追及の矛先が己へと直ちに及ばぬよう官帳を晦ます盾として用いられていたのである。

この書証にまつわる側面が、裁判の射程をより深めることとなった。路上や馬車の中で所持品を奪われた被害者は、盗賊の顔など覚えていないこともあろう。だが、質入の台帳には、一筆の署名が冷然と残されるのである。

公判は一月二十三日、二十四日、二十五日の三日間にわたり、ポルティエ裁判長の主宰のもとで執り行われた。検察官は被告九名全員の罪を鳴らしたが、情状酌量の余地を認めたのはラクレイジュとボドの二名のみであった。弁護人らは相次いで壇に立ち、それぞれの依頼人のために弁論を尽くした。

三つの無罪、六つの有罪

第三回の公判期日は、裁判長による説諭と陪審の評議に充てられた。評議は正午に始まり、二時間十五分を要して結審した。評決の結果、ボド、ラクレイジュ、コロの三名には無罪が言い渡された。裁判長はその即時釈放を命じた。三人の無罪判決は、単一の犯罪結社という検察側の見取り図から、個々人の帰責を明確に切り離すものであった。同じ事件で同時に裁かれたからといって、一括して断罪されるわけではないという法理がここに示されたのである。

残る六名には有罪の宣告が下った。情状酌量が認められたのはミュゲとドヴィルの二名に限られた。陪審は、プロマンの暴力行為を問うた第五十二の審問事項を斥けた。

次いで裁判所は量刑を言い渡した。ドレートルに徒刑九年および罰金百フラン。ドピエールに禁錮九年。ブローニュとミュゲには禁錮八年。プロマンとドヴィルには同じく七年が科された。新聞はドピエール以降の量刑について、刑の種別を厳密に書き分けてはおらず、本稿においてもそれ以上の推断は控える。記事の掉尾を飾る一行が、そのまま現存資料の限界でもある。その後の上告の有無も、刑の執行も、出獄の日の訪れも、そこには一切記されていない。

酒場へ誘い、辻馬車へと連れ込み、人気のない空き地へと遺棄する――報道に映し出されたその「介抱」は、救いを信じ込ませた刹那に被害者の隙を突く巧妙な罠であった。しかし、法廷が下した結末は、安易な勧善懲悪の説話には収まらない。三名の放免と六名の有罪、暴力の罪因の却下、二名への減軽、そして最後まで名もなき犠牲者たち。完璧に組み上げられた悪漢団の幻想よりも、この冷徹な峻別こそが、古びた紙葉に留められた歴史の真実を物語っている。

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中篇小説(ノヴェラ)

貸し与えられた外套

一八八三年の架空の温泉街。演奏会場に忘れられた一着の外套。給仕が親切心から持ち主の旅人に届けるが、隠しポケットにあった指輪と鍵が消え失せていた。外套をめぐり三人の従僕が責任をなすり合うなか、預かり証に記された名は切符と食い違っていた。直前に身仕立てを直した若い針子には、内ポケットの位置を勝手に付け替えた後ろめたさがあった。真実を語れば盗難の謎は解けるが、己が真っ先に疑われる。善意の裏に潜む貸し借りを描く短編。

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長篇小説(ロマン)

質屋の控え帳

一九一一年、架空のリヨン。官営質屋の出納係の女が、幾つもの担保が偽名で記帳されている異変に気づく。それらは、親切な給仕に送られて宿へ戻った宿泊客たちが紛失した品々であった。醜聞を恐れる上層部は帳簿の隠蔽を図り、警察は帳面を書き換えた唯一の人物である彼女に疑いの目を向ける。辻馬車を駆る兄は逃亡を勧めるが、法廷には「質に入れた覚えのない時計」を取り戻そうとする客が現れる。帳簿は品と名を結ぶが、誰が持ち込んだかは語らない。忠誠と証拠の狭間を描く長編小説。

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大河三部作(トリロジー)

救いの手の三面鏡

時代も場所も異なる三つの物語を繋ぐ、掌の図柄が刻まれた一枚の銅のメダル。一七四二年、傷を負った旅人に宿屋の主が手渡したそれは、やがて負債帳の謎の筆跡となって店主を追い詰める。一八七六年、見知らぬ男を病院へ運んだ辻馬車から看護師がそれを拾い上げ、彼女の証言が御者の命運を握る。一九三八年、古文書記録官が二つの記録を照合し、メダルが時に報奨、時に証拠、時に偽りの記憶として扱われてきた軌跡を暴き出す。下心ある救済の諸相を描く三部作。

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歴史的典拠と文学的再構成について

本記録は一八六二年一月二十三、二十四、二十五日の審理を対象とし、二十五日に言い渡された判決を報じたものである。記事によれば、被告九名のうち三名(マリー=ルイーズ・ボド、ルイ=イポリット・ラクレイジュ、ジャン=サンフォリアン・コロ)が無罪放免となり、六名に有罪が下された。犯行群には泥酔者を狙ったいわゆる「ポワヴリエ狩り」の窃盗二十件や官営質屋等における偽名行使が含まれるが、被害者二十名の素元や各個の犯跡は細別されていない。宣告刑としてドレートルに徒刑九年および罰金百フラン、ドピエールに禁錮九年、ブローニュとミュゲに各八年、プロマンとドヴィルに各七年が記されるが、後者四名の刑名種別は紙面において明示的に反復されていない。上告等のその後の経過は原資料に記載がない。なお、同紙面にはジャン・フォール=パレ事件の別記が含まれるが、本稿では割愛した。

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