靴商の借り受けていた店屋には、まる一年が欠落していた。紙の上では確かに約定されていたはずの一年が、家主から明け渡しを告げられた途端、煙のごとく消え去ったのである。バック街百十六番地の館において、千八百七十七年七月と翌七八年七月との懸隔は、単なる暦の上の戯れにとどまらなかった。店を借りた者が頼みとしていた年限と、現実に許されたそれとのあいだに横たわる落差そのものであった。本来ならば、賃貸借の不履行と損害賠償をめぐる民事の争いでおさまるはずの紛議であった。しかし、契約書にその期日を書き加えた男が、法廷で「我が筆にあらず」と誓詞を立てたことから、事態は暗転する。この偽誓が、鑢職人エティエンヌ・ジャントンを軽罪裁判所の被告人席へと引きずり出すこととなった。
千八百七十八年六月二十六日、ブーランジェ裁判長率いるパリ第八裁判廷は、民事訴訟から刑事訴追へとなだれ込んだこの異例の事件を取り調べた。被告ジャントンは五十二歳、鑢の製造を業としていた。対する原告エルテマンは靴商である。生業の違いが二人を反目させたのではない。発端は、ジャントン自身が賃借していた二階の一室にあった。これを転貸するにあたり、彼は自らの原契約の期限に縛られる権利を、他人に約定したのである。事件の根幹はこの転貸の仕組みにあった。原契約がいつ終わるかを知らぬままでは、また貸しの期間など定めようもなかったからである。
発端となる契約書が交わされたのは、千八百七十五年七月一日、年額八百フランの約束であった。その文言は、単に原契約の満了期日に従うとだけ記されていた。エルテマンはその大元の証書を検分したいと求めたが、ジャントンは一向に見せようとしない。靴商は至極もっともな異議を唱えた。三年のまた貸しを許された以上、その期限は証書にはっきりと明記されねばならぬ。見もせぬ書類を根拠とされては、賃料を払う身として心許ないことこの上ない。彼は証書を破り捨て、改めて一から書き直そうと持ちかけた。
ジャントンはこれほど過激な手段をとらず、穏便な解決を選んだ。エルテマンの証言によれば、彼は「よしなに計らいましょう」と言い、原契約の期限を千八百七十八年七月十五日とする文言を、自らの手で書き加えたという。靴商はすぐさま証書の登記を済ませた。期限の明記を求め、期日を書き入れさせ、書面を手元に納めた。これで談判は落着したかに見えた。既成の契約書にわずか一行を付け足したにすぎぬ、ささやかな手業であった。しかし、この一行こそが、のちに重ねられるいかなる弁解よりも重い意味を持つこととなる。文字となった約束は、読み返し、他人に示し、やがては鑑定人の鑑識に付すことのできる物証となったからである。
千八百七十七年四月、家主のルギレットからエルテマンに対し、同年七月十五日をもって退去すべしとの通告が下った。約束されていたはずの千八百七十八年の夏ではなく、千八百七十七年の夏に放り出されるというのである。靴商は退去を余儀なくされ、ジャントンを相手取って損害賠償を請求した。当時の司法記録は、店じまいに要した費用や商売上の打撃について詳しく語ってはいない。しかし、一枚の書類が賃貸借の手控えから法廷の証拠書類へと姿を変えてゆく道筋は鮮やかにとどめている。エルテマンは示された期間を信じて店に入ったのであり、それが反故にされた以上、償いを求めるのは当然の理であった。
民事裁判所に出廷したジャントンは、加筆された文言の解釈を争うにとどまらず、自らが書いたことそのものを真っ向から否定した。千八百七十八年四月二十四日、第五裁判廷の公判において、当該条項を自ら書き加えたか否か、補充宣誓が課せられた。彼は神にかけて己の手によるものではないと誓った。検察側の記録によれば、この誓約によってエルテマンは敗訴を喫した。靴商にとって、それはもはやまた貸しの折に交わした口約束の不履行にとどまらなかった。法廷の面前で放たれた偽りの誓いが、正当な賠償への道を断ち切ったのである。
エルテマンは即座に検察局へ告訴に踏み切った。予審判事はフランス銀行の筆頭書記にして裁判所鑑定人たるアルフレッド・ゴベールを喚問した。問題の加筆部分を鑑定させるため、契約書が託された。記録に引かれた鑑定人の結論に、毛筋ほどの迷いもなかった。その筆跡はまぎれもなくジャントンのものと断定されたのである。刑事裁判の法廷において、四十四歳のゴベールは重ねて同様の証言をおこなった。こうして論争は一点に絞られた。三年前の両人の胸算用を推し量るのではなく、残された筆跡と、それを否定する男の言葉とを対決させることである。
取調べが進むにつれ、ジャントンの弁解は足場を変えていった。論告によれば、彼は宣誓の折に問われた意味を取り違えたのかもしれぬと述べ、耳が遠く、記憶も薄れて判然と答えられなかったと言い逃れを図った。検察側は、二転三転する言い草をことごとく責任逃れの詭弁と断じ、厳しく糾弾した。この峻厳な追及は検察官ならではのものであったが、記録にはもうひとつの声も残されている。被告人と直に接し、理路整然とした説明を引き出すのに骨を折った実務家の証言である。
その人物とは、民事裁判所の代手を務めるラミであった。エルテマンとの紛争を処理すべく、ジャントンから依頼を受けていた男である。代手は、依頼人の判断力にどこか覚束ないところが見受けられ、例の加筆について一度として明瞭な説明を得られなかったと証言した。しかし、彼の関与は単なる観察にとどまらなかった。ジャントンから刑事告訴の報を受けた際、ラミは弁護を続ける条件として、相手方が当初求めていた損害賠償額を支払うよう求めたのである。こうして代手を介し、二千フランの金がエルテマンの代理人の手に渡ることとなった。
この金の授受により、事件には約束と否定の応酬とは異なる、動かしがたい事実が持ち込まれた。すなわち、賠償金の支払いが現になされたという事実である。とはいえ、裁判所が偽誓の罪を審理する労を免れるわけではなかった。代手ラミは支払いの事実と依頼人の様子を証言し、鑑定人ゴベールは筆跡の主を指し示し、靴商エルテマンは期日がいかに書き入れられたかを語った。これらの証言は、同一の事件の異なる局面を浮き彫りにしていた。民事裁判の判決によって一度は片づけられた紛議を、刑事告訴という別の角度から捉え直し、裁判官らはすべての証言をひとつの絵図として吟味したのである。
裁判長は契約書のあの一行に話を戻した。鑑定人の所見をジャントンに突きつけ、加筆された筆跡は被告のものであると告げた。被告人は「自分が書いたのかもしれませんが、定かではございません」と答えた。記憶を呼び覚まそうと努めてはみたものの、判然とせぬのだという。ブーランジェ裁判長は、かつて民事法廷で「我が筆にあらず」と断言した供述を突きつけた。ジャントンは再び耳の遠さと記憶の曖昧さを口にするばかりであった。誓約の際の傲然たる確信は消え失せ、あやふやな言い逃れへと変じていた。その豹変ぶりは、裁きを下す裁判官らの眼前につぶさに晒されたのである。
カラリー検事代理は法の厳格なる適用を求め、被告弁護人はその情状を訴えた。裁判所はジャントンに対し、禁錮一年および罰金五十フランの有罪判決を言い渡した。裁判記録はこの判決の記述をもって幕を閉じている。刑の執行の推移も、その後の男の生涯も記されてはいない。ただ、一枚の紙片に残されたごくありふれた一行だけが、記録の芯として横たわっている。かつては借主を安堵させ、のちに神への誓約によって否認された、あの一行である。エルテマンは期日をはっきりさせよと求めた。その用心深さゆえに残された筆跡が、やがて男の偽誓を打ち崩す決定打となったのである。
