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Armes de la Maison BeaulieuMAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · CUISINE & LETTRES
裁判所書記局の54の小話 · パリ、1781年

富籤に消えし九万一千リーヴル

依頼人の財を富籤に注ぎ込んだ財産管理人。一審判決は追放刑。だが控訴審が下したのは――首枷、笞打ち、焼印、そして徒刑船であった。

パリのブルジョワ、シャルル=ジャック・パングネは、報酬を得て顧客の財を預かり、その管理運用を任される財産管理人であった。委託人のなかには、マニョン家の未亡人マリー=エリザベート・トマの姿もあった。

パリ治安裁判官は、パングネがその信任を裏切って背任を重ね、巨額の資金を着服した罪を明白と認めた。男の申し立てによれば、金はことごとく富籤へ投じたという。下された判決は九年間の追放刑と罰金、さらに未亡人の訴えを容れ、己の利のために費消した九万一千リーヴルを利息付きで返還せよというものであった。パングネはこの言渡しに服する旨を表明した。これほどの不始末をしでかしながら、命拾いをしたと胸を撫で下ろしたに相違ない。

だが、検察側の控訴を計算に入れていなかった。1781年10月23日、高等法院の開廷期部会は一審判決を破棄し、まったく色合いの異なる峻烈な刑を言い渡したのである。パングネはモベール広場にて首枷に繋がれ、その胸には「預かり金を横領し、私利のために富籤へ注ぎ込みし財産管理人」と記した罪状札を掲げられるべし。さらに素肌を笞打たれ、焼き金にて烙印を押されたのち、徒刑船へ送られて九年のあいだ国王に服役すべし。そして、身柄を拘束されたまま、九万一千リーヴルを弁済すべし――と。

『官報』は、彼がどれほどの籤を買い集めたのか、あるいは一度でも当たりを引いたことがあったのかについては語らない。博奕にすべてを擦り鑢し、いまや徒刑囚として船へ送られる男から、未亡人マニョンが九万一千リーヴルのうち幾ばくを取り戻せたのかについても、やはり口を閉ざしている。

ただ記憶に残るのは、一行で事の顛末を言い尽くしたあの罪状札と、高等法院がモベール広場で見せつけようとした冷徹な戒めのみである。かかる男にとって、追放ごときは安穏たる隠遁に等しすぎたのだ。

『裁判官報』1781年、パリ高等法院開廷期部会、1781年10月23日判決。

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