法廷新聞は、今度ばかりは事件の全貌を語ることを断念した。事実はあまりに錯綜し、手続きはあまりに紛糾を極め、紙幅の許すところを遙かに越えてしまうからである。新聞はただ、対立する両の弁護士の弁舌をそのまま対峙させるにとどめた。だがおそらくは、それこそがこの一件を語るに最もふさわしい道であったろう。
ボルドーの商人、デュフール氏の代理人ブロンデル弁護士の口供はこう始まる。若き商人が某軍人の館へ招かれ、同席の将校らと運を天に任せる賭盤を囲むこととなった。応じたのが運の尽きであった。客の将校らも若者も、巨額の負けを被る破目となったのである。将校らは謀られたと憤り、家主の士官こそこの浅ましいペテンの張本人であると告発した。彼らはついには主を追い詰め、その連隊から放逐せしめた。
弁護士は言葉を継ぐ。自らの汚名を雪がんとしたこの家主は、かの若き商人の名誉を生贄に供することを企てた。自ら恥辱をかぶり、己こそが不実なるいかさま師であったと認める公正証書に、無理無体にも署名を迫ったのである。そのために家主は策を弄して若者の身柄を意のままにする密命を掠め取り、私宅に幽閉して鉄枷を嵌め、音信を一切絶ったうえで、言語に絶する苛責を加えたのであった。
一方、コンフラン連隊大尉ル・メール氏の代理人ロワゾー弁護士は、事態をまったく別の相貌において描き出す。片や、赫々たる軍功と廉潔なる行状をもって知られ、長きにわたり法の庇護を請い求めてきた誇り高き武人。片や、卑劣極まる妄執に溺れ、司法の鉄槌を徒らに阻み続けてきた無頼の徒。弁護士曰く、両者の対立は名誉と邪悪、徳義と放埓、罪業と貞節のせめぎ合いにほかならない、と。
刑事事件において弁論書よりも確たる証憑と予審調書を重んじる高等法院は、1778年1月31日、いずれの側にも軍配を上げぬ判決を下した。すなわち、双方の訴えをことごとく棄却し、訴訟費用は各自の負担とせよ、と言い渡したのである。
かくて、あの夜、賭盤の卓を囲んで真にいかさまを働いたのが誰であったのか、またボルドーの若者が真に私邸の奥で鉄枷に繋がれていたのか否かは、今なお深い闇の中にある。ただ確かなのは、パリの法廷に立った二人の弁護士が、まったく同一の人間たちを、一方は「拷問者と犠牲者」として、他方は「英雄と放蕩漢」として描き出し、司法はその二幅の絵姿のあわいで、どちらを真実と定めることも拒んだという冷厳な事実のみである。
Gazette des tribunaux, 1778, Parlement de Paris, Tournelle : cause entre le sieur Dufour, marchand à Bordeaux, et le sieur Le Maire, capitaine dans la légion de Conflans ; arrêt du 31 janvier 1778.
