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ヨーロッパの牢獄 · 第VI巻 · マケ&アルボワーズ著(1845年刊)

異端審問所の牢獄

スペイン / ポルトガル / イタリア(セビーリャ、トレド、サラゴサ、コルドバ、マドリード、ローマ…) · スペイン王国、ポルトガル王国、イタリア諸邦 · 13世紀(アルビジョワ十字軍) – ナポレオン統轄下の廃止
「異端審問――世界の血と涙で記されたその名こそ、人類が永劫に呪詛を浴びせ続けるべき名である。」『ヨーロッパの牢獄』第VI巻
主な囚人・犠牲者
  • ジャック・ド・モレー、ユルバン・グランディエ、カラス、ラ・バール(狂信の犠牲者として言及)
  • アグスティン・カサージャ博士とその一族
  • エレスエロ
  • カルロス・デ・セソ、ファン・サンチェス
  • マルク・アントニオ・デ・ドミニス司教(秘密地下牢にて獄死)
  • ガリレオ・ガリレイ(審問裁判)
  • ヴォルテール(大審問官に対峙する象徴として言及)
歴史の道程
  • 13世紀初期異端審問所の濫觴:ピエール・ド・カステルノー、初代異端審問長官聖ドミニコ・デ・グスマン、アルビジョワ十字軍の猛威
  • 15世紀末トマ・ド・トルケマダが初代大審問官に就任。最高審問院(スプレマ)の創設、ユダヤ人追放、過酷を極める尋問手続と拷問法(吊具、水責め、火焙り)の確立
  • 1559年(要検証)カサージャ博士一族の信仰告白劇(アウト・ダ・フェ)。フェリペ2世親臨のもと第二の火刑祭挙行
  • 1633年ローマ異端審問所におけるガリレオ・ガリレイの裁判(「それでも地球は回っている」)
  • 1808–1809年(要検証)ナポレオン勅令による異端審問制度の廃止。フランス軍による地下牢の暴脱と庁舎の破壊
叢書『ヨーロッパの牢獄』(全8巻・マケ&アルボワーズ共著)――フランス国立図書館(Gallica)秘蔵原典に基づき、新たに校訂・解題を付した初の現代復刻版。近刊。
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🕯️ 夜話クロニクル · 欧州20大伝説監獄&フランソワ・ピコー調査録夜の読書 · 約6分

生ける魂の墓標

マドリードの三重の防壁から聖庁の暗黒の地下室まで――生きて足を踏み入れ、灰となってのみ出づる地下忘却牢の深淵を探る。

聖なる審問所の三重の檻

自由なる人間として異端審問所の門をくぐった者など、ただの一人も存在しない。敷居をまたいだその瞬間、人はすでに亡霊と化していたのである。月なきマドリードの秋の夜、密閉された一台の網代輿が、トリハ通りの重厚な門前に物音ひとつ立てず止まった。鉄具の擦れ合う響きもなく、御者の吐く罵り声すら聞こえぬ。聖庁の手先――怖るべき「親身の従僕(ファミリアール)」どもは、黒い粗羅紗の衣をまとい、敷石の上を影のごとく音もなく滑り歩く。朽ちかけた扉の裾に小さな覘き窓が開き、無言の門衛の濁った瞳が覗いた。この恐怖の館にあっては、静寂そのものが最初の拷問具であった。豚革で装幀され、トルケマダの鉤爪のような筆跡で注釈の施された手写の規則書には、廊下に漏れ聞こえるいかなる吐息も、三十打ちの笞責めをもって処断すべしと定められていた。

漆黒の胎内へと突き飛ばされた男は、いかなる口実の不敬、いかなる隣人の嫉視による密告、あるいは己の血に混じるいかなる一滴のムーア人の血潮筋によって、この現世の地獄へ突き落とされたのか、知る由もなかった。その場でただちに時計を奪われ、指輪を抜かれ、靴の留め金のみならず上着の銀ボタンに至るまで剥ぎ取られた男の耳に、黄色く濁った指の書記が投獄台帳へ己の存在の抹消を書き留める音が響いた。「本日、肉体ひとつを受領せり。猊下諸公の思召すままとなる日まで、完全なる秘密牢に禁錮すべし」。巨大な鍵束が鈍く鳴った。鉄張りの頑丈な樫の落とし格子で仕切られた三つの閉鎖中庭を通り抜けた。そして、石段が始まった。

それは、水滴のしたたる花崗岩の上に硝石が白く乾酪のように結晶する、大地の腑腑へと螺旋を描いて降りてゆく階段であった。饐えた獣脂の油煙、汚物の饐えた臭気、湿りきった石の冷気が混じり合い、空気は重苦しく淀んでいる。厚さ二尺におよぶ窓なき扉の向こうで、閂が押し殺した雷鳴のような地響きを立てて軋んだ。囚人は縦横わずか八尺四方の小房へと投げ込まれた。唯一の明かりといえば、三重の格子が交差する斜めの通気孔から漏れ入る光のみであったが、それもただ暗黒の通風道へと通じているにすぎなかった。

闇の記録と水責めの審問

それから数週間のあいだ、囚人は生きた人間の姿を誰ひとりとして見なかった。ただ四十八時間ごとに、口のきけない獄吏が澱んだ水の一鉢と黴びたパンの一塊を差し入れに現れるばかりであった。異端審問所がその獲物を急き立てることは決してない。時は理性を蝕み、筋肉を萎縮させ、強固な意志をも解体する――それを冷徹に待つのである。やがて、第一回の「訓戒審問」の刻限が訪れた。フェルトの裂け目から眼光のみを爛々と光らせる二名の覆面の男に両脇を固められ、憐れな男は拷問部屋――あの怖るべき「苦患の間(カマラ・デル・トルメント)」へと引きずり出された。

「閣下におかれては、真実を申し立てられんことを請う。もし迷妄の告白を拒むならば、下される責苦の責めは裁判官にあるにあらず、汝自身の頑迷にこそ帰せられるべし」

穹窿の奥深く、眼差しを背けているかのような黄ばんだ象牙のキリスト像の下に、緑のダマスク織の布で覆われた長机を前にして三名の審問官が居並んでいた。その右手では、書記の鵞ペンが羊皮紙の上を滑り、自白のみならず、断末魔の呻き声、痙攣の顫動のひとつひとつまで書き漏らすまいと待ち構えている。囚人は身包みを剥がれ、恥辱の拷問台へと縛りつけられた。聖庁付きの医師が、その衰弱した手首に指をあて、魂が屈服するより前に命が逃げ去ることのなきよう、脈拍を冷ややかに監視していた。

まず施されたのは「吊架(ガルチャ)」の刑であった。背後で両手首を固く縛り上げられ、穹窿の頂点に打ち込まれた滑車に通した縄によって、身体は天井まで引き上げられたかと思うと、一気に突き落とされ、敷石の一尺手前で急停止させられた。肩関節は裂け、骨はへし折れた小枝のような鈍い音を立てて外れた。男がなおも自白せぬと見るや、拷問は「布水責め(トカ)」へと移行した。麻の薄布が喉の奥深くまで押し込まれ、素焼きの水差しから絶え間なく注がれる細い水流が布を膨張させ、死に至らぬまま窒息の恐怖を長引かせる、言語を絶する緩慢な断末魔を味わわせる。気を失いかけるたびに、書記は氷のように冷徹な筆致で書き留めた。「被告は『慈悲を!』と呻き、血の混じった水を吐き出すも、なお異端の頑迷に執着せり」。

最高審問院の壁に埋もれし者たち

拷問をもってしても人間を屈服させ得ぬとき、秘密牢がその身を生きたまま埋葬する役目を引き継いだ。トレドやセビーリャに遺された秘密記録は、十五世紀以来に精緻化された戦慄すべき監獄機構の全貌を物語っている。通常の雑居牢の下層には、「下牢(バホス)」あるいは忘却の井戸と呼ばれる深淵が口を開けていた。天然の岩盤をくり抜いて造られ、空気も光も絶たれたその穴底で、囚人たちは朽ちることのない堅木の足枷に足首を穿たれ、腐敗と汚濁のなかで朽ち果てていったのである。

スペインにおけるもっとも自由なる魂が息絶えたのも、まさにこの奈落の底であった。スパランド司教マルク・アントニオ・デ・ドミニスはこの地で衰弱死を遂げ、その遺骸は塩漬けにされて木箱に詰められ、数か月後に中央広場の火刑台上で灰燼に帰した。かつて神聖ローマ皇帝カール5世の宮廷説教師を務めたアグスティン・カサージャ博士が、全一族とともにバリャドリッドの薪の山を何年間も待ち続けたのもここであった。壁越しに聞こえる兄弟たちの呻き声に耳を塞ぎながら、彼らに最後の罪の赦しを与えることすら叶わぬまま耐え忍んだのである。囚人たちは、冬には四肢の汗を凍りつかせる寒気によって、八月の酷暑には腐った藁に湧き返る蛆虫の群れによって、移ろう季節を数えるほかなかった。

サラゴサやコルドバの牢獄の石灰岩の壁面には、絶望した爪先が刻みつけた不揃いの日付、逆さ十字、あるいは人の目に触れるはずもなかった胸を掻きむしる訣れの辞が遺されていた。「主よ、わが殉教が父の罪を購うものとならんことを」――パレルモの地下牢の壁面には、今なおその文字を読み取ることができた。審問手続きは、下界とのいかなる接触をも断ち切ることを掟としていた。囚人の家族は、肉親がなお青空の下に息づいているのか、それとも法廷の敷石の下ですでに土に還ったのかすら、知る手立てを持たなかったのである。

1808年:解放の鶴嘴

これらの墓穴がついに白日のもとに曝されるには、ナポレオン帝国をもたらした動乱の嵐を待たねばならなかった。1808年12月、ナポレオン・ボナパルトの軍勢が、不穏に揺れるマドリードへと進駐した。啓蒙思想に浴した将校たちに率いられたフランス軍の騎兵と工兵の分遣隊は、審問所の即時廃止を命ずる皇帝勅令を執行すべく、異端審問所の庁舎へと真っ直ぐ進軍した。

胸に十字架を掲げた審問官の修道父らは、慇懃な態度で兵士らを迎え、欺瞞に満ちた平穏を装った。彼らは福音書にかけて誓った――この館にはもはや一人の囚人も存在せぬこと、世俗の俗説がフランス軍の理性を惑わしているにすぎぬこと、そして地下牢と噂される場所は、敬虔なる穀物の備蓄庫にすぎぬ、と。あまりの堂々たる物言いに司令部がたじろぎかけたそのとき、一人の軽歩兵大佐が、大広間の大理石の敷石の不自然な傾きに目を留めた。工兵が水袋の水を床に撒いた。水は水たまりを作って広がる代わりに、厚手の羊毛絨毯の下に隠されていた敷石の継ぎ目へと、見る間に吸い込まれていったのである。

鶴嘴が大理石を激しく穿った。崩落の轟音とともに一枚の敷石が跳ね上がり、ぽっかりと黒い大穴が現れた。そこから噴き出した空気はあまりに有毒で、歴戦の擲弾兵たちすら肺腑を吐き出すように咳き込み、後ずさりした。縄の端に結ばれた松明が暗黒へと降ろされた。フランス兵たちの眼前に現れた光景は、アウステルリッツを生き抜いた古参兵たちの血をも凍りつかせた。壁に鎖で繋がれ、一糸まとわぬ姿で、泥土に塗れた髪と腹まで伸びた髭に覆われた生ける亡霊たちが、樹脂の炎に怯え、眩しそうに白濁した目をしばたたかせていたのである。

そのなかには、ルソーの翻訳密輸本を所持していた廉により、二十四年間も幽閉されていた老人がいた。大槌の打撃で鉄枷が叩き折られ、スペインの陽光の下へと引き上げられたとき、男は節くれだった両手で顔を覆い、どうかあの暗闇へ戻してくれと哀願した――その眼はもはや、生者の世界の日差しに耐え得ぬほどに朽ち果てていたのである。翌日、広場を埋め尽くしたマドリードの民衆は、空へと立ち上る濃厚な黒煙を仰ぎ見た。恥辱に満ちた裁判記録、投獄台帳、そして聖庁の無数の拷問具が、解放を告げる巨大な信仰告白の焔となって、ついに燃え尽きようとしていた。