
L’Art du Cuisinier — Édition Intégrale (Tomes I & II, 1814)
Antoine Beauvilliers
Les Grands Classiques (Originaux) · 424 pages · 1 113 recettes d'époque
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MAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · CUISINE & LETTRESLa Maison Beaulieu présente l’œuvre de Antoine Beauvilliers selon son architecture éditoriale complète : d’abord I. Les Grands Classiques (les textes originaux d’époque), puis II. L’Héritage des Maîtres (l’édition française modernisée — 500 recettes mises au goût du jour), et enfin III. Le Rayonnement International (l’édition modernisée traduite en 10 langues). Tarif officiel Cuisine AB Éditions : Ebook · 9,90 € · Broché (PB) · 24,90 € (+ port réel) · Relié Collector (HC) · 34,90 € (+ port réel).
Le texte historique intégral de Antoine Beauvilliers, établi et restauré dans sa typographie et sa langue d’origine, avec ses couvertures de collection originales.

Antoine Beauvilliers
Les Grands Classiques (Originaux) · 424 pages · 1 113 recettes d'époque
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Antoine Beauvilliers
Les Grands Classiques (Originaux) · Tome I · 254 pages · Texte intégral
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Antoine Beauvilliers
Les Grands Classiques (Originaux) · Tome II · 244 pages · Texte intégral
Découvrir l’ouvrage →Pour cuisiner réellement Antoine Beauvilliers aujourd’hui chez soi sans brigade : chaque recette est codifiée et structurée selon le protocole de la Maison (Ingrédients calibrés en grammes pour 4 personnes · Préparation pas à pas avec temps et températures exacts · Conseil du Chef), dans le respect absolu du goût et de l’esprit du Maître.
Conformément à la doctrine éditoriale de la Maison, ce n’est jamais le français archaïque d’époque qui est traduit, mais notre édition française modernisée (L’Héritage des Maîtres — 500 recettes au goût du jour), afin d’offrir aux lecteurs du monde entier des recettes claires, précises et immédiatement réalisables en 10 langues (EN, DE, ES, IT, PT, NL, SV, PL, JA, ZH) :

Antoine Beauvilliers · Adrien Beaulieu
Édition internationale en Anglais · L'Héritage des Maîtres
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Antoine Beauvilliers · Adrien Beaulieu
Édition internationale en Allemand · L'Héritage des Maîtres
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Antoine Beauvilliers · Adrien Beaulieu
Édition internationale en Espagnol · L'Héritage des Maîtres
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Antoine Beauvilliers · Adrien Beaulieu
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Antoine Beauvilliers · Adrien Beaulieu
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Édition internationale en Néerlandais · L'Héritage des Maîtres
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Antoine Beauvilliers · Adrien Beaulieu
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Édition internationale en Japonais · L'Héritage des Maîtres
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Antoine Beauvilliers · Adrien Beaulieu
Édition internationale en Chinois · L'Héritage des Maîtres
Découvrir l’ouvrage →アントワーヌ・ボーヴィリエは1754年、パリに生まれた。家柄は決して恵まれたものではなく、一説には父が酒商人であったとも伝えられるが、確証はない。1770年頃、彼は料理人としての修業に入った。やがてルイ16世の実弟にして後の国王ルイ18世となるプロヴァンス伯に仕え、腕を磨いて宮廷の「口膳役」(オフィシエ・ド・ブーシュ)にまで昇り詰める。王族の食卓を司り、その台所一切を取り仕切るこの重責を通じて、彼は貴族社会の厳格な嗜好と要求を肌身で知悉し、巷の仕出し屋や旅籠の主たちには望むべくもない絶対的な格式と権威を身につけた。これ以前にコンデ親王の邸に仕えていたとする記述も見られるが、確たる証拠を得るには至っていない。
王政の余光がまだ残る1782年頃、ボーヴィリエは宮廷を去り、リシュリュー通りに一軒のレストランを開いた。フランス革命によって貴族抱えの料理人たちが市井へ流出するより、一足早く下した決断であった。1788年にはパレ・ロワイヤルのギャルリ・ド・ヴァロワへと店を移転する。当時のパリにおける社交、政治、そして歓楽の中心地であり、彼が標的とした富裕な人士が絶え間なく行き交う場所であった。
1793年、吹き荒れる革命の嵐がその歩みを断ち切る。王党派への共鳴ゆえか、迫害を受け、投獄され、店を没収されたとも伝えられるが、混乱の只中の詳細はいまだ判然としない。だが彼は屈しなかった。1795年、リシュリュー通り26番地に「グランド・タヴェルヌ・ド・ロンドル(大ロンドン亭)」を開業する。この店はやがてパリ随一の人気を誇る名店となり、彼は終生ここに留まった。1814年に刊行した著書の標題において、彼は自らを「元プロヴァンス伯殿下口膳役、王室御用掛、現レストラン経営者」と誇り高く名乗っている。己の出自と誇りを世に知らしめるためであった。同じく1814年、彼は名著『料理術(L'Art du cuisinier)』を上梓した。1817年1月31日、パリにて没し、ペール・ラシェーズ墓地に葬られた。
ボーヴィリエが遺した業績は二つに集約される。すなわち、ひとつの「空間」と、ひとつの「書物」である。
まず、空間である。「グランド・タヴェルヌ・ド・ロンドル」という屋号は、従来の雑多な旅籠や大衆向けの煮込み汁(ブイヨン)屋とは一線を画していた。英国の首都を冠したこの名は、イギリス料理への傾倒というよりは、むしろ国際都市の洗練を漂わせるための瀟洒な目印であった。ボーヴィリエの狙いは、ヴェルサイユをはじめとする王侯貴族の館の典雅を商空間へと移し替え、対価を払いうるすべての客にその門戸を開くことにあった。それはまさに「全方位の総合的空間」と呼ぶにふさわしい。鏡と豪奢なシャンデリアが輝く広間、大鍋を囲む相席ではなく独立した個別席や個室、多彩な皿から好みのものを選べる印刷された献立表、身だしなみ正しく洗練された給仕人たち、前例のない規模を誇る手入れの行き届いたワインセラー、そして常連客の顔を決して忘れない店主。驚異的な記憶力に恵まれたボーヴィリエ自らが客を出迎え、時に助言を与え、時に賛辞を惜しまず、腰に剣を佩いた正装で客間を巡ったと伝えられている。
供されたのは、王侯の城館の味を一般のレストラン向けに昇華させた料理であった。ジビエや家禽を重用し、厳選された最上級の素材の持ち味を、磨き抜かれた技法によって極限まで引き出す。美食家ブリア=サヴァランはこれを至高の料理と讃え、ボーヴィリエこそが「優美なサロン、端正な給仕人、厳選された地下蔵、卓越した料理」を一堂に揃えた最初の人物であると断言した。また、名高い「スフレ」を考案したのも彼であるとされる。彼の死後、大ぶりのブレゼ(蒸し煮)料理に添えられる古典的なガルニチュール(付け合わせ)にも、その名が冠された。
次いで、書物である。1814年、パリのピレ書店より二巻本(八折判)として上梓された『料理術』である。初版本には一冊ごとに、著者の直筆署名か空押し印が施されていた。精緻な銅版画と、配膳の構図を示した九折もの折り込み図版が添えられている。本書が扱う範囲は、ポタージュ、ソース、ガルニチュール、ラグー、獣肉、ジビエにとどまらず、献立の組み立て、食材の買い出しと保存法、厨房の経済的運用、ワインの選定とデキャンタージュ、果実酒の蒸留法にまで及ぶ。ボーヴィリエはこれを、メートル・ドテルや料理長といった職業人だけでなく、自家の食卓を差配し領地の産物を余すところなく活用したいと願う愛好家に向けて書き記したのである。
彼は自らの著作を、長年の経験の結晶であると述べている。当代一流の先人たちの技法を集成し、自ら徹底的に検証を重ねた確固たる改善のみを提示したという。本書は調理の技術のみならず、厨房の管理、経済性、料理の美的な提示法までを網羅しており、この圧倒的な視野の広さこそが、それ以前の単なる料理書と一線を画する点であった。
この書は著者の没後、1821年に増補版が出版され、1824年にはピレ長男・コルネ書店からも版を重ねた。同1824年にはロンドンにて『フランス料理術(The Art of French Cookery)』の題名で英訳も出版されている。
1789年の革命以前、フランスの高級料理は貴族、親王、富裕な金融家、高位聖職者たちの邸宅の奥深くでのみ作られ、その技法が文字として公にされることは稀であった。もっとも、「レストラン」という概念そのものはすでに胎動していた。1765年頃のブーランジェ、そして1766年のマチュラン・ローズ・ド・シャントワゾーが、客ごとに分かれた卓で滋養強壮のスープ(すなわち「修復するもの=レストラン」)を供していた。しかしその空間はなお簡素であり、典雅さや私的な心地よさを求める域には達していなかった。
革命の勃発が、この均衡を覆した。貴族の亡命と富豪の没落は、高度な腕前を持つ無数の料理人たちを路頭に迷わせた。1791年にギルド(同業者組合)が解体されると、仕出し屋、焼き肉屋、菓子職人といった食の職能を分断していた障壁が消滅する。腕利きの料理人たちは自らの店を開く自由を得て、旧支配層の洗練を身につけようと渇望する新興ブルジョワジーが、惜しみなく金を支払う客として現れたのである。グリモ・ド・ラ・レニエールは、パリの料理店の数がわずか数年のうちに五倍に跳ね上がったと記している。そして、その震源地となったのがパレ・ロワイヤルであった。
ボーヴィリエだけが例外だったわけではない。メオ、ロベール、プロヴァンサル兄弟(マネイユ)、ヴェリーといった名料理人たちが、パレ・ロワイヤルとその界隈で覇を競い合っていた。その中にあってボーヴィリエを際立たせていたのは、豪奢な設え、行き届いた給仕、超一流の料理、そして自らの芸術を体系化した理論書の存在であった。ただし、彼の店で定額料金(プリフィックス)が採られていたのか、一品料理(アラカルト)であったのか、あるいはその双方であったのか、食事の時刻が定時制であったのか随時注文であったのかについては、当時の記録が分かれており、これらが併用されていたか、時代とともに変遷した可能性が高い。
また、この時代は美食批評の黎明期でもあった。グリモは1803年から1812年にかけて『美食家年鑑(Almanach des gourmands)』を断続的に刊行し、愛好家たちを名店へと導いた。1825年にはブリア=サヴァランが『美味礼賛(Physiologie du goût)』を発表し、その中でボーヴィリエに数ページを割いている。ブリア=サヴァランは彼の事業に一種の「商業的冷徹さ」を認めつつも、その店にはかつて仕えた名家の歓待の精神が息づいていると評した。グリモ自身によるボーヴィリエへの直接の言及は確認されていないが、『年鑑』が世に出た当時、ボーヴィリエの店がパリ屈指の名声を誇っていたことから、彼が深く敬意を払っていたことは疑うべくもない。
ボーヴィリエが遺した最大の遺産は、ひとつの「規範」である。彼はパリにおける最初の本格的なガストロノミー・レストランの創始者、あるいは少なくともその輪郭を初めて完璧に定義づけた偉大な料理人として記憶されている。優美なサロン、鍛え抜かれた給仕、選択肢に富む献立、個別席、そして充実したワインセラー。これらをひとつの屋根の下に統合した彼の形式は、フランス国内のみならず世界中の高級料理店の礎となった。
そしてもうひとつの遺産が、その「著作」である。ブリア=サヴァランはこれを「この術における最初の体系的な論文であり、後継者たちもいまだこれを超えることはできない」と称賛した。かのカレームも本書を拠り所としている。アンシャン・レジーム(旧体制)下の宮廷厨房の技法と、19世紀にカレームが体系化した近代高級料理(グランド・キュイジーヌ)の架け橋となったのが、まさにボーヴィリエであった。彼はカレームやエスコフィエの「厨房旅団(ブリガード)」組織以前の人物であり、組織論を形式化してはいなかったものの、彼の店の規模を支えるためには、極めて厳格な厨房統率が不可欠であったはずである。もしボーヴィリエの実践とその書物が存在しなければ、フランス高級料理の歩みはまったく異なるものになっていたかもしれない。
今日なお、彼の名は古典的なガルニチュールにその名を留め、著書は歴史的な金字塔として読み継がれている。現在では各国語訳を含め、現代的な版も刊行されている。
何の予備知識も持たずに『料理術』を開くのは、骨の折れる試みである。全60章、およそ1100項目に及ぶこの大著は、準備室(オフィス)と巨大な薪炭レンジ、そして屈強な料理人集団を擁する大邸宅や格式ある料理店のために書かれている。そこには、リーヴル、オンス、パント、ショピーヌといった旧来の度量衡や、パイアース、旅籠鍋、サルボティエール(旧式アイスクリーム器)など、現代では誰も使わない道具類が頻出する。分量は「山鳩三羽」「ひばり二十四羽」と羽数・個数で示されるか、あるいはガルニチュールやラグーのように全く記載がないことも多い。さらに「前条に記したる如く」「参照せよ」といった相互参照が約280篇にも及び、短気な読者は忽ち迷宮へと誘われる。
叢書『巨匠の遺産(L'Héritage des Maîtres)』は、料理の本質を損なうことなくこれらの技法を現代に蘇らせた。ボーヴィリエが名づけた原題、調理の順序、命令形の語調、彼特有の接続句(「これが済まば」「火が通りたるとき」「供する間際に」)、そして末尾の「供すべし」という結びの言葉に至るまで、その筆致を忠実に守っている。サンジェ、スエ、フェール・パルティール、トンベ・ア・グラス、ヴァネ、マスケ、ドレッセといった厨房の専門用語もそのまま生かし、各章の冒頭で簡潔な解釈を付した。一方で、実用を期すべき箇所は整えている。分量は四人分を目安に換算し、重量と容量を現代の単位に改め、原本に欠けていた加熱時間や温度を補い、旧式の器具は厚手鍋(ココット)、ソテーパン、現代のオーブンへと置き換えた。ブロンド色のルウを作るような平易な指示の参照指示は、その場で手順を補記している。
むろん、我欲による改変は厳に戒めた。原本にない手順を捏造せず、仕上がりの味の着地点を変えず、書にない香草、大蒜、酒類を勝手に加えたり、いたずらに「現代風の軽やかさ」を求めて脂を抜いたりすることは一切していない。トサカ、子牛の肺、ヤツメウナギといった、今日では入手困難な素材を用いる皿は、安易な代用品を探すことなく潔く割愛した。
ボーヴィリエが随所に挟み込んだ「注目すべし(オプセルヴェ・ク…)」という註釈――素材の見極めや手捌き、失敗した際の立て直しに関する機知に富んだ助言は、各料理の末尾に添えた「料理長の指南」の骨子となっている。原本に註がない場合には、その料理の精神に違わぬ玄人の知恵を補った。
この書に挑むにあたっては、まず他のすべての章の根幹をなす「ソース」と「フォン(出汁)」から繙かれることをお勧めしたい。次いで、原書で約二十章もの紙幅が割かれている多彩を極めた「魚料理」、そして「家禽」や「ジビエ」、最後に「デザート・砂糖菓子」へと進むのがよいだろう。調理に取りかかる前に、必ずその項のすべてに目を通し、巨匠自身がそうであったように、タイマーの数字のみに頼ることなく、己の五感――ルウの立ち上る芳香、指先から伝わる弾力、黄金色の焼き色――を深く信じていただきたい。そこには、カレーム以前の、しっかりとしたフォンとソースに支えられた、過度な飾り気(ピエス・モンテ)に頼らぬ王侯とブルジョワジーの堂々たる美味が満ち満ちている。
1754年 — アントワーヌ・ボーヴィリエ、パリに生まれる。
1770年頃 — 料理修業に入る。
1782年以前 — 後のルイ18世となるプロヴァンス伯の口膳役(オフィシエ・ド・ブーシュ)を務める(一説にはコンデ親王邸にも出仕)。
1782年頃 — パリのリシュリュー通りに最初のレストランを開業。
1788年 — 店をパレ・ロワイヤルのギャルリ・ド・ヴァロワへと移転。
1791年 — ギルド(同業者組合)解体により、飲食業の職掌の壁が撤廃される。
1793年 — 革命の余波により営業を中断。迫害を受け、投獄および最初の店を没収されたとされる。
1795年 — リシュリュー通り26番地に「グランド・タヴェルヌ・ド・ロンドル」を開業。
1803–1812年 — グリモ・ド・ラ・レニエールが『美食家年鑑』を刊行(一時中断を挟む)。
1814年 — 『料理術』二巻本(八折判)をピレ書店より刊行。
1817年1月31日 — パリにて死去。ペール・ラシェーズ墓地に埋葬される。
1820年 — 妻マリー・エリザベート・ルネ・フランソワーズ・シェロン死去。
1821年 — 補遺を加えた『料理術』第二版が刊行される。
1824年 — ピレ長男・コルネ書店版刊行。ロンドンにて英訳版『フランス料理術』が出版される。
1825年 — ブリア=サヴァランが『美味礼賛』を刊行。ボーヴィリエとその著作を高く評価する。
• 『料理術(L'Art du cuisinier)』パリ、ピレ書店、1814年、八折判全二巻。料理技術の集大成。ポタージュ、ソース、ガルニチュール、ラグー、肉料理、ジビエ、魚料理、製菓、オフィス、リキュール、献立構成、配膳図面(折り込み図版九枚)、食材の目利き、ワインの選定、厨房経済の心得を網羅。
• 『料理術』補遺付第二版、パリ、1821年(没後刊行)。
• 『料理術』パリ、ピレ長男・コルネ書店、1824年版(書誌記録にみられる版)。
• 『フランス料理術(The Art of French Cookery)』ロンドン、1824年。『料理術』の英訳版(没後刊行)。
• 『家庭料理(La Cuisine ordinaire)』良き料理を万人に親しみやすくすべく、カレームとの共著で執筆されたと伝えられる著作(刊行年未詳。真偽要検証)。
Recettes, histoires, parutions et éditions de collection — quelques lettres par an, jamais davantage.