
La Cuisinière Bourgeoise (1746)
François Menon
La cuisine des Lumières et des foyers français
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MAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · CUISINE & LETTRES1737年、ピカルディの鄙びた小邑モンディディエに生を享けたアントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエの生涯は、一介の調剤師の徒弟から始まった。才気を認められて軍医部付き薬剤官となった若者は、やがて欧州を揺るがす七年戦争の渦中へと投じられる。ハノーファー戦役における苛烈を極めた転戦の果て、彼は幾度となくプロイセン軍の捕虜となり、湿冷たる敵国の地下牢に繋がれた。
暗澹たる獄中、虜囚たちに日々の糧として投げ与えられたのは、当時のフランス人であれば豚の飼料としてしか顧みなかった泥まみれの塊茎――馬鈴薯であった。寒気と不衛生のなかで多くの戦友が病に倒れ、あるいは飢餓に痩せ衰えていく傍らで、パルマンティエはこの名もなき地下の果実によって、驚くべきことに壮健を維持し続けた。極限の飢えのなかで噛み締めたその滋味は、若き薬剤官の胸臆に、後年のフランス史を根底から塗り替える決定的な啓示を刻み込んだのである。
戦争の硝煙が収まり、パリの廃兵院(オテル・デ・ザンヴァリッド)の首席薬剤官に任じられたパルマンティエを待っていたのは、度重なる凶作と小麦の高騰によって民衆が草の根を食む、王国の痛ましき現実であった。当時、フランスにおいて馬鈴薯は忌まわしき呪詛の対象にほかならなかった。聖書にその名が記されていないこと、地下の暗闇に実を結ぶこと、さらには癩病や熱病を媒介する毒草であるという荒唐無稽な迷信が、貴族から無知な農民に至るまで固く信じ込まれていたのである。
1771年、ブザンソン・アカデミーが「穀物不足の際に民衆の主食となり得る代用植物」を題とする懸賞論文を公募した。パルマンティエは迷わず筆を執る。彼は冷徹な化学分析と獄中での自らの生体実験を論拠とし、馬鈴薯の澱粉がいかに人体の維持に適し、痩せた土壌や厳寒の気候にも耐えうるかを理路整然と説き明かした。この不朽の論文は見事一等賞の栄誉に輝き、頑迷なる偏見の城壁に開けられた最初の一撃となった。
だが、学究の府における勝利のみでは民衆の迷信を解くことは叶わなかった。パルマンティエは類まれなる心理の達人でもあった。彼は国王ルイ16世に直訴し、パリ西郊サボロンの荒涼たる砂礫の地を実験圃場として下賜されると、一面に馬鈴薯を作付けした。そして、収穫の時期を迎えるや、彼は奇策を講じたのである。
昼間、畑には国王の近衛兵がものものしく配置され、小銃を手に厳重な警備が敷かれた。民衆は遠巻きに囁き合った。「国王自らが軍隊を出して守らせるほどの植物だ、よほど高貴で美味な至宝に違いない」。夜帳が下りると、パルマンティエの密命を受けた兵士たちは持ち場を離れ、畑を故意に無防備のまま放置した。思惑通り、好奇心と射幸心に駆られた民衆は闇夜に乗じて畑へと忍び込み、塊茎を掘り出しては我先にと盗み去っていった。盗んだ芋を恐る恐る口にした民衆は、その素朴な美味と腹持ちの良さに驚嘆した。知謀の主は、民の「盗心」を巧みに利用して普及の火種を撒いたのである。
次なる舞台はヴェルサイユ宮殿であった。1785年8月、パルマンティエは国王の聖名祝日に参内し、可憐な紫色の馬鈴薯の花束をルイ16世に捧げた。王はその一輪を微笑みながら自らの上着のボタンホールに挿し、王妃マリー・アントワネットもまた夜会の髪飾りにその花を結んだ。宮廷の貴族たちが競ってこの花を襟に飾り、やがて馬鈴薯の栽培は流行の頂点となって王国全土の貴族領主から農村へと波及していった。
パルマンティエの業績は、馬鈴薯の普及という単一の功に留まるものではない。彼のまなざしは常に、民衆を飢餓と疫病から救うという一点に注がれていた。製粉技術の改良によるパンの増産、トウモロコシやクリの澱粉利用、ブドウ糖の抽出、さらには海軍用の乾パンや野戦病院における衛生環境の近代化、天然痘の種痘の普及に至るまで、その探求は近代公衆衛生学の先駆をなした。
フランス革命の血の嵐が吹き荒れた時代、旧王室と親交のあった多くの知識人が断頭台の露と消えるなか、パルマンティエはその無私清廉なる人格と、貧民を救済し続けた揺るぎなき功績ゆえに民衆の深い敬愛を集め、危機を乗り切った。ナポレオンの帝政下にあってもその学識は尊ばれ、初代レジオン・ドヌール勲章をはじめとする数多の栄誉に包まれながら、彼は生涯を通じて質素な研究者であり続けた。
1813年、76年の稠密なる生涯を閉じたパルマンティエは、パリのペール・ラシェーズ墓地に静かに眠っている。彼の墓前には今なお、名も知らぬ人々によって新鮮な馬鈴薯が供えられ、絶えることがない。
今日、フランス料理の伝統においてその名を冠した皿――滑らかなじゃがいものピュレとほぐした煮込み肉が黄金色に焼き上げられたアッシェ・パルマンティエ(Hachis Parmentier)や、滋味あふれるポタージュ・パルマンティエの湯気に触れるとき、人は思いを馳せるのである。かつて飢えと迷信に閉ざされていた一国を、知恵と諧謔、そして尽きせぬ博愛の情をもって救い上げた一人の科学者の魂が、今なお暖かな一皿のなかに生き続けていることを。
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