MAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · CUISINE & LETTRES中央市場(レ・アル)の活気脈打つモントルゲイユ通り。人々が足を運んだのは、百個単位で豪快に呑み干すカンカル産の生牡蠣と、名料理人ラングレが創案した「舌平目のノルマンディー風」を味わうためであった。オノレ・ド・バルザックは自らの壮大な連作『人間喜劇』において、ラスティニャックやリュシアン・ド・リュパンプレ、ビクシウら当代の伊達男たちをこの席に集わせ、全巴里の社交界がここに憩うた。今なお通りを見下ろす金文字の看板は、あの文豪の影法師を色濃く留めている。
寒風吹きすさぶ巴里の冬夜、オノレ・ド・バルザックと王政復古期の粋人らは競うてブルターニュの牡蠣篭を空にし、階下の厨房では不朽の名皿「舌平目のノルマンディー風」が産声をあげていた。
午前四時、モントルゲイユ通りの湿った石畳が、軋む車軸の轟音に震える。セーヌ川から立ちのぼる悪臭混じりの冷気をついて、グランヴィルやカンカルの荒磯からひた走りに走ってきた鮮魚早飛脚――シャス・マレの馬車隊が、長駆の死闘を終えようとしていた。汗にまみれた馬々の筋骨からは白い湯気が吹き上がり、鍛鉄の角灯にゆらめく光を遮る。タール引きの分厚い幌の下には、巴里じゅうの美食家が血眼になって奪い合う至宝が眠っていた。前日に編まれたばかりの榛の木の丸篭数百個。その中では、野生の潮の香を帯びた生海苔の床に、無骨な二枚貝の群れがびっしりと身を寄せ合っている。
78番地の暖簾口に、帝政期の主計官さながらの厳格さで荷揚げを見守る頑丈な男の影があった。「ル・ロシェ・ド・カンカル」の祖、アレクシス・バレーヌである。この抜け目のないノルマン人は、貝殻のわずかな罅も、怪しげな潮の垂れ落ちも決して許さぬ。1804年の創業以来、しがない仕出し屋にすぎなかった一軒の店を、王侯貴族や辛口の諷刺作家、そして帝都の底なし胃袋どもがひれ伏す美食の聖域へと仕立て上げたのはこの男であった。中央市場の心臓部が罵声と臓腑と野菜くずの喧噪のうちに目覚めゆくかたわら、ロシェはすでに夜会の豪奢を整え終えていた。地下蔵には純白の氷塊が高々と積まれ、砥石で研ぎ澄まされた短刃の牡蠣剥きナイフが光を弾き、階上の広間に吊られた水晶のシャンデリアは、黄金の青年貴族たちの放つ嬌声を今や遅しと待ちわびていた。
帳が下りるや、モントルゲイユ通りは瀟洒なティルビュリ二輪馬車や紋章を散らした豪奢な四輪馬車の列で埋め尽くされる。「ル・ロシェ・ド・カンカル」の二階、海神ネプチューンを讃える羽目板と深紅のビロードに包まれた小部屋(キャビネ・パルティキュリエ)では、七月王政下の若き伊達男たちが飽食の宴にうち興じていた。その夜、分厚い黒羅紗の外套をまとった一塊の巨躯が、戸を荒々しく押し開いて踏み込んできた。オノレ・ド・バルザックその人である。夜を徹したインクとカフェインの乱用により、眼光は異様な熱を帯び、血色は紅潮していた。その後ろには、当代の知性を牛耳る共謀者たちの群れ――舌鋒鋭い記者ども、あだっぽい哄笑を響かせるオペラ座の歌姫、そしてやがてラスティニャックやリュシアン・ド・リュパンプレの雛形となる、懐は寒いが気位ばかり高いダンディたちが従っていた。
ダマスク織のナプキンを膝に広げるより早く、給仕頭へ怒号のような注文が飛ぶ。「まず手始めに、カンカルを三百個だ!」――階下では、牡蠣剥き職人たちの機械じみた超絶技巧の合奏が幕を開ける。厚革の手袋をはめた左手が無骨な貝殻をぐっと押さえ込み、右手の短い刃先がわずかな隙間を捕らえるや、手首を一閃、鋭く捻る。内転筋は貝の乳白色の肉を傷つけることなく、正確無比に断ち切られる。一個わずか一秒。塩水滴る錫の平盆が、まるで強襲部隊の隊列のごとき気迫で階段を駆け上がっていく。バルザックは軟体動物をダース単位で喉の奥へと滑り込ませ、鋼の短剣のように研ぎ澄まされたシャブリの冷酒で流し込んでは、海の真珠層とキンメリジャンの白亜が織りなす神がかりの婚礼を大音声で称えるのだった。
階上で際限なく空になる白ワインのデキャンタと笑声が沸き返るころ、地下深くの厨房では全く別の緊迫劇が繰り広げられていた。硬木の大薪が猛然と焚きつけられた灼熱の炉の前で、アレクサンドル・デュマ父子や美食王グリモ・ド・ラ・レニエールの亡霊すら敬服した名料理人ラングレが、磨き抜かれた銅鍋の指揮を執っていた。この夜、階上の広間から一通の特別注文が下りてきていたのだ。バルザックの一席が求めたのは、貝類の鋭利な生気を見事に包み込み、圧倒的な豊穣さで舌を撫で上げるような、空前絶後の妙技であった。
ラングレは、身が締まり脂の乗った極上の沿岸産舌平目を手に取ると、外科医の手つきで中骨から身を美しく外した。エシャロットを擦り込んだ銀器の深皿に魚を敷き、骨から引いた出汁と辛口白ワインを注ぎ、天火の強火に放り込む。だが、この皿を不朽のものとした真髄は、その贅を尽くした具材の組合わせにあった。料理長は、自らの滲出液で半生に火を入れたカンカル産の生牡蠣、深紅に茹で上がった川海老の尾、星形に飾り包丁を入れた巴里産のマッシュルームを鍋へ次々と投げ打った。火が芯まで通り煮汁が煮詰まると、そこにノルマンディー・イジニー産の最上級発酵バターを木杓子で惜しげもなく投入し、煮汁が白金のヴェールと化すまで力任せに泡立てる。なめらかで濃厚、舌平目の真珠色の肉を優美に覆い尽くすその極上のエマルジョン――かくして「舌平目のノルマンディー風」は、芳醇な湯気とともに産声を上げたのである。
磨き上げられた銀の釣鐘型覆い(クロッシュ)に守られ、恭しい給仕長二名の手によって、その名皿は小部屋へと運び込まれた。銀蓋が掲げられた瞬間、宴の席には教会堂のごとき静寂が舞い降りた。濃厚な焦がしバターの芳香に、温まった牡蠣のほのかな磯の香、そして仕上げに削り落とされたトリュフの官能的な土の匂いが混じり合い、いかなる饒舌な論客の舌をも沈黙させた。バルザックはフォークを魚の柔らかな身に沈め、聖なる儀式を執り行う司祭の敬虔さをもってソースをすくい取ると、恍惚として瞼を閉じた。「諸君」と、至福に満たされた口元から呟きが漏れる。「われらが平伏すべき真の主権者は、ただ一つ――このバレーヌ親方の食卓をおいて他にはない!」
夜が明け、モントルゲイユ通りの街灯が一輪ずつ消えゆくなか、給仕たちが革底を鳴らして掃き集める無数の貝殻の軋みを背に、バルザックは蝋燭の脂とワインの染みた卓の片隅にただ一人残り続けた。彼の手は、肌身離さず持ち歩く携帯用のインク壺へと鋼ペンを浸す。手形乱発の莫大な勘定書き――次の原稿料が入るまで支払いを引き延ばすつもりの巨額の負債は、早くも不滅の文学へと昇華されつつあった。焦がしバターと大西洋の海藻の香りが漂うこの羽目板の間で、彼の描く紙上の英雄たちは、財産を湯水のごとく使い果たし、時代に対する陰謀を巡らせ、水晶硝子のきらめきの中に魂を売り渡すことになるのだ。「ル・ロシェ・ド・カンカル」はもはや単なる料理屋ではなかった。満ち足りて傲然たる巴里が、自らの裡に宿る狂気と天才とを恍惚と見つめ返す、真珠母の宮殿であった。