
The French Cook (Londres, 1813 — Édition Originale Anglaise VO)
Louis Eustache Ude
Les Grands Classiques (VO Anglaise) · Le premier grand traité de haute cuisine française publié à Londres
Découvrir l’ouvrage →
MAISON BEAULIEUAB ÉDITIONS · CUISINE & LETTRESLa Maison Beaulieu présente l’œuvre de Louis Eustache Ude selon son architecture éditoriale complète : d’abord I. Les Grands Classiques (les textes originaux d’époque), puis II. L’Héritage des Maîtres (l’édition française modernisée — 500 recettes mises au goût du jour), et enfin III. Le Rayonnement International (l’édition modernisée traduite en 10 langues). Tarif officiel Cuisine AB Éditions : Ebook · 9,90 € · Broché (PB) · 24,90 € (+ port réel) · Relié Collector (HC) · 34,90 € (+ port réel).
L’œuvre historique de Louis Eustache Ude publiée dans sa langue d’origine (édition anglaise d’époque) accompagnée de sa première traduction française intégrale fidèle à la lettre par la Maison Beaulieu.

Louis Eustache Ude
Les Grands Classiques (VO Anglaise) · Le premier grand traité de haute cuisine française publié à Londres
Découvrir l’ouvrage →
Louis Eustache Ude
Les Grands Classiques (Traduction Française) · L'œuvre d'Ude restituée dans sa langue maternelle
Découvrir l’ouvrage →Pour cuisiner réellement Louis Eustache Ude aujourd’hui chez soi sans brigade : chaque recette est codifiée et structurée selon le protocole de la Maison (Ingrédients calibrés en grammes pour 4 personnes · Préparation pas à pas avec temps et températures exacts · Conseil du Chef), dans le respect absolu du goût et de l’esprit du Maître.
Conformément à la doctrine éditoriale de la Maison, ce n’est jamais le français archaïque d’époque qui est traduit, mais notre édition française modernisée (L’Héritage des Maîtres — 500 recettes au goût du jour), afin d’offrir aux lecteurs du monde entier des recettes claires, précises et immédiatement réalisables en 10 langues (EN, DE, ES, IT, PT, NL, SV, PL, JA, ZH) :

Louis Eustache Ude · Adrien Beaulieu
Édition internationale en Anglais · L'Héritage des Maîtres
Découvrir l’ouvrage →
Louis Eustache Ude · Adrien Beaulieu
Édition internationale en Allemand · L'Héritage des Maîtres
Découvrir l’ouvrage →
Louis Eustache Ude · Adrien Beaulieu
Édition internationale en Espagnol · L'Héritage des Maîtres
Découvrir l’ouvrage →
Louis Eustache Ude · Adrien Beaulieu
Édition internationale en Italien · L'Héritage des Maîtres
Découvrir l’ouvrage →
Louis Eustache Ude · Adrien Beaulieu
Édition internationale en Portugais · L'Héritage des Maîtres
Découvrir l’ouvrage →
Louis Eustache Ude · Adrien Beaulieu
Édition internationale en Néerlandais · L'Héritage des Maîtres
Découvrir l’ouvrage →
Louis Eustache Ude · Adrien Beaulieu
Édition internationale en Suédois · L'Héritage des Maîtres
Découvrir l’ouvrage →
Louis Eustache Ude · Adrien Beaulieu
Édition internationale en Polonais · L'Héritage des Maîtres
Découvrir l’ouvrage →
Louis Eustache Ude · Adrien Beaulieu
Édition internationale en Japonais · L'Héritage des Maîtres
Découvrir l’ouvrage →
Louis Eustache Ude · Adrien Beaulieu
Édition internationale en Chinois · L'Héritage des Maîtres
Découvrir l’ouvrage →ルイ・ウスターシュ・ユードは、1768年ないし1769年の頃、フランスの大地に生を受けた。1835年の記録によれば、母は婦人帽子の仕立屋、父はルイ十六世の治下でヴェルサイユ宮廷の厨房に奉職した男であったとされ、ユードもまた父の許で束の間の見習い修業に身を置いたという。のちに彼はこの経歴を誇り高く掲げ、主著『The French Cook(フランス料理指南)』の標題紙に自らを「ルイ十六世の旧料理人」と銘打つに至る。もっとも、実際にはごく年少の徒弟、あるいは一介の皿洗いに過ぎなかったとも囁かれ、その肩書は己の履歴を彩るための誇張であったと見なす向きも少なくない。
若き日の彼の歩みは、職の目録を見るかのごとく千変万化を極めた。小間物商、宝飾細工師、彫刻師、印刷工の見習い、リヨンでの行商人、さらには役者、株式仲買人、財務官吏や小役人としての試み、果ては賭博場への出入りに至るまで、あまたの職を転々としたと伝えられる。そこに天職を見出しかねた青年の惑いを見ることもできれば、身分の卑しい若者が拠って立つべき足場を求めてあがいた、激動期のフランス社会の反映を見ることもできよう。やがて彼は料理の世界へと舞い戻り、ナポレオンの生母レティツィア・ボナパルトの執事頭として約二年の歳月を過ごす。しかし、「算術を巡る見解の相違」を理由に、その館を辞したと伝えられている。
彼がドーバー海峡を渡りイギリスへと移り住んだ正確な年代は、定かではない。ある説は恐怖政治の嵐を逃れた亡命と語り、別の説はレティツィア・ボナパルトの許を退いた後のこととする。多くのフランス人料理人と同様、その出国は芸術的野心というよりは、より良き好機と揺るぎなき安定、そして富裕な貴族階級の庇護を求めた現実的な選択であった。やがてユードは、享楽の士にして名うての好客として知られた第二代セフトン伯爵ウィリアム・フィリップ・モリニューの館に迎え入れられる。クロクステス・ホールおよびアーリントン・ストリートの邸宅において、その奉職は実に二十年近くに及んだ。年俸は三百ポンドあるいはギニーに達し、ユードが去って二十余年を経た後にも、伯爵は遺言によって彼に年百ポンドの手当を遺贈したほどであった。
伯爵邸を辞したのは、1815年から1818年の間のこととされる。その離別の契機については二つの逸話が残る。客人の一人がスープに胡椒を振りかけたためとも、あるいは伯爵の長男が塩を加えたためとも言われる。真偽は藪の中なれど、いずれも自らの料理に寸分の干渉も許さぬ、料理人の凄絶な矜持を雄弁に物語っている。その後、ユナイテッド・サービス・クラブに一時身を寄せたと目された後、ユードはジョージ三世の第二王子たるヨーク公爵の家令の座に就き、およそ1818年から公爵が没する1827年までその重責を果たした。
1827年、ウィリアム・クロックフォードがセント・ジェームズ街50番地に豪奢極まる「クロックフォード・クラブ」を開設するや、ユードはその初代料理長として招聘された。世に報じられた千二百ポンドという破格の年俸は、ロンドンの社交界を震撼させた。彼はここに十一、二年ほど留まったが、1838年の暮れか翌1839年の初頭、クラブの運営委員会に対し「自らの価値は四千ポンドに値する」と言い放って袂を分かったとされる。その跡を継いだのが、シャルル・エルメ・フランカテッリであった。
私生活においては、1821年に(カミーユ・)バルブ・リュコと華燭の典を挙げた。夫妻の諍いは社交界の語り草となり、未亡人となった妻は彼の没後、1862年までその生を長らえた。ユードは1846年4月10日、ロンドンのアルベマール街にて熱病に倒れ、76歳、77歳、あるいは78歳にして波瀾の生涯を閉じた。リトル・ジョージ街のフランス人礼拝堂において厳かな追悼ミサが執り行われた後、その遺骸はケンサル・グリーン墓地の土へと帰った。
ユードが後世に遺した足跡は、一冊の書物、そしてその書物と饗宴の記憶の中にのみ留められた料理の数々に集約される。
何よりもまず、その著作について語らねばなるまい。1813年、主著『The French Cook(フランス料理指南)』が世に出された。版を重ねること1815年(第三版)、1816年(第四版)、1818年(第五版)、1822年(第七版)、1827年(第八版)、1827年ないし1829年(第九版)、そして1829年(第十版)と、三十年の間に少なくとも十三、四回もの刷りを重ねる驚異的な版歴を刻んだ。版が進むにつれ、その表題は『A System of Fashionable, Practical, and Economical Cookery, Adapted to the Use of English Families(英国諸家のために編まれた、当世風にして実用的、かつ経済的なる料理全書)』と敷衍され、単なる貴族の厨房のみならず、より広範な読者層へと視線を向けたことを物語る。ユードの没時、本書は「料理の科学」における不動の規範書として崇められていた。
初版の序文においてユードは、先人たちの著した料理書を「難解にして、その処方は実践に堪えぬ」と切って捨てている。彼の目指したところは明快であった。すなわち、誰の目にも分かりやすく、厨房で確実に再現できる料理指南である。内容は版を追うごとに細やかな改訂が施されたが、各種のソース、ブイヨン、ポタージュ、スープや魚のルルヴェ、ファルス、牛・羊・子牛・家禽・野禽の肉料理たるアントレ、淡水魚および海水魚、卵料理、野菜のアントルメから菓子アントルメに至るまで、その網羅するところは極めて広大であった。さらに八名から二十四名に至る晩餐の完全な献立表、配膳の図解、英国人読者のためのフランス料理術語集、さらには厨房の差配法や正式な晩餐会を差配する心得に至るまで、懇切を極めた指針が収められている。
本書に見られる特筆すべき料理を挙げるならば、バターで火を入れクリームソースを添えた「鯖の白子のアントレ」、名高い「ベンティンク風チェリー・プディング」、かのビートン夫人が自著へ採録したとされる「亀のスープ」、精緻を極めた「プティ・シュー」の製法、英語圏における最初期の言及とされる「スフレ」の項、皿の美しさを保つべく同一の側から切り落とした肉を用いるよう戒めた「ドーフィーヌ風鶏手羽肉」、そしてクロックフォードの賭客たちが勝負を中断することなく食せるよう配慮された各種「サンドイッチ」の指南などが並ぶ。
本書の波紋は、海を越えて広がった。「アントレ(entrée)」や「ソテー(sauté)」といった言葉を英語の語彙として定着させた功績も彼にある。詩聖バイロン卿は『ドン・ジュアン』第十五章の第62スタンザから第74スタンザにかけて、壮麗なる宴の描写をユードの献立から想を得て書き上げた。1828年にはロンドン第八版をもとにフィラデルフィアでアメリカ版が刊行され、合衆国の地で印刷された最初のフランス料理書と目されるに至る(もっとも新大陸での反響は薄く、重版を見ることはなかった)。
なお、エドワード・コバム・ブリューワーらによって、ユードには『La Science de Gueule(美味の科学)』なる別著が存在するとの説が唱えられたことがある。しかし、主要な図書館目録にはその書名は一切見当たらず、英国人名事典にも追悼記事にも記載がないことから、後世の誤伝と見なすのが妥当であろう。
そして何より、彼の実践した料理そのものが珠玉の遺産であった。ユードの供する料理は、正統なるフランス式配膳(セルヴィス・ア・ラ・フランセーズ)の美学に貫かれていた。次々に繰り出される膳立、ルルヴェ、アントレ、ロティ、そしてアントルメ。盛付けには細心の神経が注がれた。彼はソースを「料理の魂」と讃え、「料理人は修業によって成るにあらず、天賦の才によって生まれ出づるもの(Coquus nascitur non fit)」というラテン語の警句を座右の銘としながらも、料理とは無私の献身、知性、そして節制を要する芸術にして至高の学問であると信じて疑わなかった。
ユードは、フランス革命の動乱期にドーバー海峡を渡った料理人の潮流に連なる一人である。1789年以前からすでにフランスの味覚を尊んでいた英国貴族の富と社会の安定は、亡命者たちにとって抗いがたい引力を持っていた。そこには双方向の交感があった。料理人たちは異国の風土に幾ばくかの歩み寄りを見せ(主著の副題がそれを如実に示す)、その返礼として上流階級の食卓を徹底的に再構築したのである。ある歴史家が、これにより英国上流階級の伝統的料理文化は「断頭台に送られた」と評したほどであった。
彼が腕を振るった場は、豪奢を極めた貴族の館と、選ばれし者たちのクラブであった。セフトン伯爵邸において、彼は高禄を食む召使であると同時に、当代随一の美食家と謳われた主人の威信を象徴する存在であった。ヨーク公爵の厨房においては、王室の食卓を支えた。そして午後四時半から六時にかけて手早く食事を済ませ、再び賭卓へと向かう勝負師たちが集うクロックフォード・クラブにおいて、彼の料理はクラブの看板そのものとなった。主宰者クロックフォードにとって、ユードへの巨額の報酬は単なる経費ではなく、極めて実り豊かな投資であった。主著に見られる典型的な晩餐の構成は、まさに絢爛たる展開を見せる。ポタージュ、魚料理、ルルヴェ(肥育鶏、ヴェストファーレン産ハム)、アントレ(フリカッセ、仔羊のコートレット、鶏フィレ肉のソテー、仔牛の胸肉)、ロティ(シャポン、鶉)、続いてアントルメ(プティ・ポワ、苺のジュレ、アスパラガス、ピュイ・ダムール)、そして赤スグリのタルトや檸檬のスフレが掉尾を飾る。
彼はカレームと同時代を生き、のちにロンドンにおいてフランス料理を民衆を魅了する一大見世物へと昇華させたアレクシス・ソワイエやフランカテッリの先駆者であった。カレームほどの学究的体系化には至らず、ソワイエほどの派手やかな宣伝力も持たなかったが、英国におけるその地位は決定的な礎石であった。後進たちが享受することになる名声、料理の規範、そして料理人という職業の社会的威信を切り拓いたのは、他ならぬユードであった。ユードとソワイエの間に個人的な反目があったとする確たる証左はなく、むしろ偉大なる歴史の継承と見るべきであろう。
ユードはまた、正しく調理された英国料理は極めて優美なものになり得ると認めつつも、良き馳走に対して敵意を隠さない英国の医師たちや、高度な料理技術に無関心な英国の女性たちに対しては苦言を呈することを忘れなかった。その批判の根底には、料理の道を極めた職人の矜持と、祖国の美食への誇りが色濃く宿っていたのである。
ルイ・ウスターシュ・ユードが遺した功績は、三つの側面に集約される。第一に、フランス高等料理(グランド・キュイジーヌ)の技法と厳格なる規矩を英国の貴族社会や名門クラブへと移植・定着させ、それを洗練の極致として不動のものにしたこと。第二に、一世代にわたる職業料理人たちの必携の教本となり、興隆する上流中産階級の料理への野心を育んだ主著の存在である(同書は今日なお復刻を重ねている)。そして第三に、料理人の社会的地位を一変させたことである。己の職能を「芸術にして科学」と説き、天賦の才能の尊さを謳い、自らの腕前に法外な報酬を要求することによって、彼は料理人を単なる下僕の境遇から芸術家の高みへと引き上げた。社交界の耳目を集めたその鮮烈な個性は、味覚のみならずその存在自体が注視される、後世の「花形料理人」の誕生を告げるものであった。
料理の法典を編纂したカレームや、大衆を熱狂させた革新者ソワイエに比べれば、世人の記憶に刻まれたユードの名はやや慎ましい。しかし、その真の歴史的意義は揺るがない。彼はロンドンにおける偉大なるフランス人シェフの系譜――ユード、ソワイエ、そしてフランカテッリへと続く道筋――の嚆矢を放ち、続く者たちが羽ばたくための土台を築き上げたのである。
『The French Cook』は、まさに転換期の息吹を伝える書物である。同時代の泰斗カレームの浩瀚な著作群に比べれば学究的な装いは薄いものの、本書には決定的な強みがある。すなわち、「真に理解され、実践されるために書かれた」という点である。ユードが語りかける相手は、現場の職業料理人たちであり、またフランス流の雅やかな食卓を整えんと欲する邸宅の主たちであった。読者はまず、彼の料理の真髄たるソース、ポタージュ、そして家禽のアントレの頁から分け入るべきであろう。そこに記された献立の数々は、そのまま厨房における作業指針として十全に機能する。
フランスの読者にとって、本書は格別の興趣を湛えている。ユードは同胞でありながら、その言葉は海の向こうの異国人に向けて紡がれている。料理の名はフランス語でありながら、その解き明かしは英国流の論理に従い、隣国を眺める眼差しは、日々の食卓において祖国の威信を背負い続けた亡命者のそれである。この微かなずれこそが、読書の醍醐味に他ならない。ここには、異国の地において自らの正しさを日々証明し続けねばならなかった男の目を通した、フランス料理の類稀なる肖像が刻まれている。
叢書『L'Héritage des Maîtres(巨匠たちの遺産)』において、ユードの処方は一編たりとも等閑に付されることなく復刻されている。巨匠が定めた原名の響きを重んじつつ、分量は現代の四人分の食卓に合わせて再調製され、往時の記述が単なる手作業の描写に留まる箇所には正確な加熱時間と温度を補い、古色蒼然たる度量衡はグラムやセンチリットルへと換算された。本書は日常の料理手帖のごとく平明に繙くことができるが、そこには巨匠の真髄たる精神――ソースへの絶対的な敬意、皿の美への執念、そして一皿の料理を壮大な晩餐の調和の中に位置づける思想――が、いささかも損なわれることなく息づいている。
1768–1769年頃 — フランスに生まれる。
1789年以前 — 1835年の記録によると、父の許でヴェルサイユ宮廷の厨房にて束の間の見習い修業を積む。
年代不詳 — 宝飾細工師、彫刻師、印刷工、行商人など多彩な職業を転々とする。レティツィア・ボナパルトの執事頭を約二年間務める。
年代不詳 — イギリスへ渡航(恐怖政治の逃亡、あるいはそれ以降の時期とされる)。
1813年以前 — セフトン伯爵(クロクステス・ホール、アーリントン街)の厨房に職を得て、二十年近くにわたり奉職。
1813年 — セフトン伯爵邸在職中、主著『The French Cook』初版を上梓。
1815–1818年 — セフトン伯爵邸を辞す。同書の第三版(1815年)、第四版(1816年)、第五版(1818年)が相次いで刊行される。
1818–1827年頃 — ヨーク公爵の家令を務め、公爵の薨去までその職に留まる。
1821年 — (カミーユ・)バルブ・リュコと結婚。
1822年 — 『The French Cook』第七版刊行。
1827年 — クロックフォード・クラブの初代料理長に就任(破格の年俸千二百ポンド)。『The French Cook』第八版刊行。
1828年 — ロンドン第八版を底本としたアメリカ版がフィラデルフィアにて刊行。
1829年 — 『The French Cook』第十版刊行。
1838年末または1839年初頭 — 年俸の増額を巡る確執の末、クロックフォード・クラブを辞任。後任にはフランカテッリが就任。
1841年8月 — ソワイエの記録による誕生会晩餐(夫婦喧嘩と食卓の下の愛犬たちの逸話)。
1846年4月10日 — ロンドンのアルベマール街にて死去。ケンサル・グリーン墓地に埋葬される。
1862年 — 未亡人死去。
• 『The French Cook』(ロンドン、1813年初版。以降、1815年、1816年、1818年、1822年、1827年、1829年など版を重ねる)。英国の料理人に向けてフランス高等料理の真髄を説いたレシピと献立の手引書。配膳図を収載。版を重ねるにつれ『A System of Fashionable, Practical, and Economical Cookery, Adapted to the Use of English Families(英国諸家のために編まれた、当世風にして実用的、かつ経済的なる料理全書)』へと副題が拡充された。
• 『The French Cook』(フィラデルフィア、1828年)。ロンドン第八版をもとに刊行された合衆国版。合衆国本土で印刷された最初のフランス料理書と目される。
• 『La Science de Gueule(美味の科学)』:帰属には疑義あり。主要な図書館目録にも一切の所蔵記録は見出せない。
• 『The French Cook』現代復刻版:ケンブリッジ・ライブラリー・コレクション等に収載。また1978年には『The French Cook, or The Art of Cooking』と題する再版が古書市場等で確認されている。
Recettes, histoires, parutions et éditions de collection — quelques lettres par an, jamais davantage.